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全117件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。 1  2  3  4  |  《前のページ |  次のページ》 

鎌倉新仏教

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 5月 1日(金)14時17分6秒
  東京・中日新聞朝刊に連載されている五木寛之の『親鸞』の4月21日号に
法然門に入門したての綽空(親鸞聖人)の台詞として、
法然聖人の新しい考え、新しさという言葉が述べられています。
親鸞聖人が、こんなことを言うはずがありません。
仏教に新しいも古いもないからです。
法然聖人の『選択本願念仏集』も親鸞聖人の『教行信証』も、
仏典を引用して念仏の教えの正当性を主張しています。
親鸞聖人は、真実の教えとしての「真宗」を名乗ることはあっても、
新しい教えとしての「新宗」を名乗ることはありませんでした。
『教行信証』化身土巻の後序に
「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり」
と言っているのは、新しいから盛んなのではなくて、
真実の正しい教えだから盛んなのであると言っているのだと思います。
同様に道元禅師も座禅は釈迦の修行法であり、釈迦が教えた仏教に直結していると確信していました。
つまり、この「鎌倉新仏教」という規定は、第三者的な規定であり、
仏教を内側から理解してはいない規定であると言えると思います。
 

一念発起

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 3月23日(月)07時51分1秒
  「一念発起」の「一念は念仏である」という解釈に
阿満利麿さんに賛成していただきました。
 

一念

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月28日(土)11時20分59秒
  少なくとも真宗で「一念」といえば、要となる言葉だと思います。
ですから、「他力本願」と同様に
「一念発起」も現在使われているような
ただ単に「新たに決心する」と言うような意味ではないと思われましたので、
多くの解説書に疑問がありました。
また「発起」も仏教用語として読むべきと解しています。
『親鸞の仏教と宗教弾圧』の発起序の解説が参考になりました。
 

信の一念 と 行の一念

 投稿者:らくりん  投稿日:2009年 2月26日(木)10時15分12秒
  『歎異抄聴記』で曾我先生がどのような形で触れておられたか、記憶が定かではありませんが、

曾我先生の場合、
「行の一念」と「信の一念」とは、
「信の成就は、称するという表現になる」ということで、
別々のことではないだろうと思います。

ここの論点や表現について、
すべてが共通しているわけではありませんが、

私の、浄土真宗に関する視点や領解を、
さかのぼっていくと、
原点は、ほとんど視点において 曾我先生にたどりつきます。

私の自己認識としては、
曽我先生を通して、
親鸞に出あっているといってもいいかもしれません。
 

阿満利麿さんの『歎異抄』講座

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月23日(月)12時51分30秒
  いよいよ最後に「流罪記録」が取り上げられることになりました。
なぜこれがここにあるのかは、議論になると思いますが、
形式的には、香月院深励さんが言われている
『歎異抄』と『教行信証』は章建てが対応しているとの説をとりたいと思っています。
 

一念発起

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月23日(月)12時39分10秒
  ありがとうございます。

覚如聖人の『改邪鈔』には、

それ本願の三信心といふは 至心信楽欲生これなり
まさしく 願成就したまふには 聞其名号 信心歓喜 乃至一念とらとけり
この文について 凡夫往生の得否は 乃至一念発起の時分なり
このとき 願力をもて 往生決得すといふは すなはち 摂取不捨のときなり

とありまして、「乃至一念」といえば、
法然聖人以来「称名念仏」のことになっていますが、
曽我量深さんの『歎異抄聴記』では、「信心」のことのように述べておられました。
どうも、蓮如聖人の『御文章』での表現が誤解の元ではないかと思っています。
 

一念発起

 投稿者:らくりん  投稿日:2009年 2月23日(月)10時56分54秒
  「一念に八十億劫の重罪を滅す」云々というのは、『観無量寿経』の下品下生のところを受けての話だと思いますから、
私も、ここはいわゆる「行の一念」という意味で、口称の意味に了解するのが妥当だと思います。
 

一念発起について

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月22日(日)21時49分14秒
  『歎異抄』第14条の「一念発起」を多くの注釈書では、
「信心の心を起こすとき」「信心の心が起こるとき」と現代語訳されていますが、
この「一念」は「称名念仏」ではないでしょうか。
直前に「一念まうせば」とあり、
また第1条に「念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき」と書かれています。
阿満利麿さんの講座が、『歎異抄』の講座としては、
次回3月21日が最終回となりますので質問してみようと思っています。
 

了解しました

 投稿者:まもる  投稿日:2008年12月 3日(水)12時56分19秒
  いろいろとご配慮ありがとうございます。  

恐れ入りますが、

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年12月 3日(水)08時56分5秒
  ここは私に対する質疑応答のために開設している掲示板ではありませんので、
こみいった質問はご遠慮ください。

教義的な問題、あるいは信仰上の問題は
このような衆目のある中でのやり取りは
誤解やすれ違いのもとになります。

また、そういう問題について語り合う場合には、
お互いの、生活、宗教的背景、思想信条……などを
充分に踏まえたうえでなければ、
深まったやり取りになっていかないことが多いと思います。
それだけではなく、不毛な議論を重ねることにさえなりかねません。

時間がありましたら、 ↑のタイトル下の〈過去ログ閲覧室〉のリンクから
〈つれづれバンバン〉の過去ログを読んでみてください。

こういう掲示板の面白さと厄介さの一端に触れていただけるのではないかと思います。
 

尋ねていくこと

 投稿者:まもる  投稿日:2008年12月 2日(火)22時56分41秒
  気を悪くされたかもしれませんね>そんなことありませんよ。私の言葉不足で余計な気を遣わせてしまい申し訳なく思います。                       私はどうも人付き合いが下手で、すぐ言葉にならず先生にも思い切って言えなかったり、疑問が言葉にならず聞法の後しばらくして違和感がはっきりとした質問になっていくことが多いので、そういう質問はちゃんとメモにとって先生に尋ねていかないとなあ・・と最近思います。                                  もしよろしければたまにこちらの掲示板でも(らくりん亭が閉鎖になるまで)質問をお尋ねしてもよろしいでしょうか?  

まもるさん

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年12月 2日(火)13時12分50秒
  突き放した返事になって、
気を悪くされたかもしれませんね。

でも、こういう掲示板はどのような方が登場してくるかわからないので、
つい、つながりや背景がわかからない人に対しては
臆病になってしまうのです。

>ただ念仏申しているとどうしても気になってしまう
気になることがたいせつなのだと思います。
だから、聞きたくなるのでしょう。

気にならなくなったら、そこから停滞がはじまります。

私自身も、まもるさんと同じことがずっと気になっています。
最初から気になっていますし、今も気になっています。

そしていまだに、一言で誰もが納得できる 答え はみつかっておりません。
こういう根本的な問題は、
いつでも、誰にでもおこってくる疑問で、
気になった人が、自分自身で尋ねていくしかない“問い“なのだろうと思います。
 

気になる

 投稿者:まもる  投稿日:2008年12月 2日(火)13時00分57秒
編集済
  自己紹介もなしに突然の質問、まことに申し訳ありません。私は時折、らくりんバンバンやひらけゴマを覗かせて貰っていて「らくりん亭がもうすぐ閉鎖してしまうのか?」と思いつい投稿してしまった次第です。ただ念仏申しているとどうしても気になってしまうので、いつも聞法させてもらっている先生に恐る恐る質聞してみようと思います。                           返信どうもありがとうございました。  

はじめまして……。

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年12月 1日(月)21時00分4秒
編集済
  まもる さん
初めまして。

存じ上げている方なのかどうか、
あるいは、どういう方であるのか想像もできません。

ご質問とのことですが、どうしてそういうことがお知りになりたいのか、
それをお知りになって、どうなさりたいのか、
また、なぜそれを私にお尋ねになるのか、
そういうことが、私はとても気になります。

掲示板のような、完全に公開された場では、
自己紹介もなく、いきなりの質問だけなさる方には、
不躾ながら
経験的に、かなり慎重になる習性が身についてしまいました。

また、今回のご質問は、
「基本的な事」というより、
最も根本的なことであると思います。

そういう根本的なことにつきましては、
私は、こういう場所で「解説」して、
ご納得いただけるような、簡単で便利な言葉を持ち合わせておりませんので、
「解説」も「解答」もご勘弁ください。

ただ、申し上げたいことは、いずれも大事な問題ですので、
「南無阿弥陀仏」と念仏申しながら、
生涯をかけて、ご自身で尋ね求めてください、ということです。

不尽、悪しからず。
 

信楽獲得

 投稿者:まもる  投稿日:2008年11月30日(日)16時20分53秒
  らくりんさん、はじめまして。                           突然ですけどすごく基本的な事をお尋ねしたいのですが、浄土真宗は「信楽を獲得する」「信心をえる」「信心決定」といいますけれどこれはいったいなにを言わんとしているのですか?称名念仏とどう関係しているのですか?                    また蓮如上人の言う「真実信心をえたる決定往生の行者」が具体的に誰が得ていて、誰が得ていないのかさっぱり分かりません。分かるのは自分ではないということだけです(南無阿弥陀仏申しても御恩を報ずる心は微塵もない)。いったいなにをどう獲るのか(というか信心ってなに?)獲られるものなのか、獲ると具体的に何か変わるのか、すごく曖昧でよく分からんのでできれば解説をお願いします。  

『歎異抄の深淵 師訓編』

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2008年10月29日(水)20時12分55秒
編集済
  さっそくのお返事、ありがとうございます。

本書は、書店で立ち読みして、吉本さんに触れているので、
珍しく思い、図書館で借りて読み終わりました。

内容的には、おおむねうなずけますが、学術的研究書ではなく、
思弁的饒舌と感じました。
批判・批評性が弱く、既存の言葉や理念を疑うことが少ないように思われました。

第5章の「父母の孝養」を何の疑いもなく「冥福を祈る」と言い換えています。
法然聖人も親鸞聖人も「冥福を祈る」なんて言葉を使っていないと思うのですが。。。
さらに、父母を特別扱いすることを否定しても、冥福を祈ること自体を否定していません。

また、文末の「有縁」と文頭の「父母」との異同についても考察していません。

阿満利麿さんの歎異抄購読会は、前半の第10条まで終わりました。
なので、『歎異抄の深淵 異義編』をこれから読んでおこうと思っています。
 

面識はあります。

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年10月28日(火)22時44分41秒
編集済
  お久しぶりです。
こういう完全オープンな場を開いていることに
ちょっと疲れまして、
ここも、そろそろ閉鎖しようかと思っていたところです。

武田定光さんは、同世代で、一応面識はありますが、
それほど深い付き合いはありません。

私は、大谷大学の大学院に入るまでに六年間、
いわゆる「回り道」をしていますので、
彼がストレートなら、入れ違いになっているわけで、
記憶では、
同じ教室で机を並べたことはありませんし、
   (それが定かでない程度の関係だということです)。
ゼミで一緒になったこともなかった、はずです。

道で出会ったら、お互いに認識できて(少なくともこちらはできると思います)、
時候の挨拶をする程度です。

私は、表層で考えている方で、
あまり「深淵」には縁がない人間だ
と、自分では思っています。
 

武田定光さん

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2008年10月28日(火)18時41分52秒
  書店で見かけて気になって、『歎異抄の深淵』とかを読み始めています。
らくりんさんと同世代の方のようで、
1954年生まれ、大谷大学文学部博士課程修了、真宗大谷派因速寺住職とのことです。
ご存じよりの方でしょうか。
 

有り難うございます

 投稿者:みこと  投稿日:2008年 5月19日(月)07時39分35秒
  御返信を頂き、誠に有り難うございます。またいきなりおたずねしまして申し訳ありませんでした。
完了形かどうかにつきましては気をつけなければ行けませんが、私には本願の存在、特に摂取不捨というものに
救われたという気持ちがあります。また日常生活の中で、念仏もうしあげなければ成らないときも
確かに存在致します。それはいわゆる報恩感謝とも違うとは思いますが(またそのような場面は
実は少ない方がよいのではないかとも思いますが)

それで、それらの働きが果たして真宗教学や教行信証で扱われていることとどのような関わりがあるのか、
どのように言葉として定義されている(またはされていない)のか、それを知りたく思ったのが
勉強?してみようかと思いましたきっかけです。ですから、回向というのはどのような働きを言うのか
興味深く思っておりました。御返信は参考になりました。
なかなか真宗寺院は近くにありませんが、機会を見つけまして、どこかで聴聞させていただこうかとは思います。

掲示板の件は了承致しました。ぶしつけに書き込んでしまいまして申し訳ありません。
また一連の書き込みが趣旨にそぐわないようでしたら、是非御削除いただけたら幸いです。
それでは。
 

>みことさん

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 5月18日(日)22時14分36秒
  初めまして、ようこそお越しくださいました。

>そのように考えても構わないものなのでしょうか
どのようにお考えになっても構わないのですが、

書かれていることだけから判断する限り、
「回向」についても「往相回向」についても「還相回向」についても
私が考えていることとはだいぶん隔たりがあるのではないかと思います。

ここに記された短い文章では、
充分にお考えを汲み取れているかどうか心許ないですが……

▼まず「自分が弥陀に救われた」という過去完了形で表現されるような救いのイメージを私は持っておりません。

▼「欲生心」というのは、「如来心」として言われていることで、
「私が広げたくなる」ということこととは直接関係がないと考えています。

▼「きっと大丈夫である、という気持ちになる」ということが還相回向であるとは考えておりません。

最後に、この掲示板は『親鸞の教行信証を読み解く』の著者として運営しているわけでもありませんし、著書の読者会でもありません。
また、『親鸞の教行信証を読み解く』に関する質疑応答とか、
議論をやろうと思ってこの掲示板を運営しているわけではありません。

ただ、個人的に思ったことを書き記したり、
お知らせしたいことを書いたりしたいと思って開いているだけです。

掲示板の議論では、苦い経験もしたことがありますので、
こういう公開の掲示板で議論して消耗することは避けたいと思っています。

悪しからずご了承ください。
 

欲生心と還相回向

 投稿者:みこと  投稿日:2008年 5月16日(金)12時02分25秒
  初めまして。最近、「教行信証を読み解く」を読ませて頂く機会がありました。
特に二巻の「欲生心と還相回向」の関わりについて、興味深く拝読致しました。
これは私がこう思うということなのですが:

自分が弥陀に救われたということ(往相回向)があれば、それに加えて次には
(1)それを他の人にも広げたくなる(欲生心)
(2)もし浄土(という安全地帯)を出て、濁世で様々な人にまみれて生きていくとしても
(それでも自分を見捨てない弥陀がいるから)きっと大丈夫である、という気持ちになることが「出来る」。

この二つのことが同時に回向されるのではないか、そしてそれらは
還相回向と呼ばれるものに近いものなのではないかと思った次第です。
そのように考えても構わないものなのでしょうか。
 

上映決定

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 5月16日(金)09時26分20秒
  「靖国 YASUKUNI」が、
金沢シネモンドにて下記の日程で上映が決まったようなので、
お知らせいたします。

5/17(土)〜5/23(金)14:40/16:55
5/24(土)〜5/30(金)13:45
[2007/日本・中国/2時間3分]
 

ありがとうございます。

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 5月13日(火)14時38分47秒
  河豚さんご指摘ありがとうございます。

二ヶ所の訂正、さっそく出版社に連絡しておきます。
 

新著正誤

 投稿者:河豚  投稿日:2008年 5月13日(火)03時05分53秒
   いくつか気づいた点をお知らせします。
「発」の送り仮名等についてです。
訂正の必要の無いものも含めて「発」がでてくるところを列記します。

P124 9行目 発った(ルビ有)
p125 5行目 発させる
p125 6行目 発こさせる→発させる
p127 10行目 問いを発した→「はっした」or「おこした」ルビを入れてはいかがでしょうか
p136 5行目 発させる
p137 下2行目 発ってくる(ルビ有)
p162 下4行目 菩提心を起こした→発した
 

どうやらおさまった か?

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 5月 6日(火)12時38分47秒
編集済
   ↓ の件ではお騒がせしました。
大量返送メールは、2日ほどでおさまってきました。
また、これまでのところ、
どなたからも似たようなトラブルの連絡はありません。

このまま何もなければ、と願うばかりです。

とりあえず、ご報告まで。

http://www.akashi.co.jp/home.htm

 

メールアドレスが悪用されているかも知れません。

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 5月 3日(土)10時19分33秒
編集済
  私のメールアドレスが悪用されているかもしれない現象が起こっておりますので、私のメールアドレスに記載されている方に、次のようなメールを発信いたしました。
この掲示板をご覧になる方の中にも、お心当たりがある方がおられましたら、よろしくお願いいたします。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
このメールは、私のメールアドレスブックに記載されている方全員に、
BCCで発信しています。

このような不快なメールを差し上げる非礼をお許しください。

ここ数日の間に、私のメールアドレス宛てに、
宛先不明で返送されてメールが大量に、1日に1000通以上届きます。
もっとも可能性が高いのは、
私のメールアドレスがイタズラメールの発信元として悪用されていいて、
そのうちの宛先不明分が私の所に返送されてくるのではないかということです。

考えられる可能性は三つありますが、
1、私のパソコンが感染して、発信源になっている。
 ――この場合は、私のアドレス帳に記載されている方々のメールアドレスも、悪用されている可能性があります。私のパソコンのウィルス感染をチェックいたしましたが、問題は発見できませんでした。
2、私のメールアドレスが記載されたみなさま方のパソコンがウィルスに感染して、その方のアドレスブックが、イタズラメールの発信源として悪用されている可能性があります。
 ――この場合は、みなさま方にウィルスチェック・駆除をお願いしなければなりません。
3、私のメールアドレスが、故意に誰かに悪用されている。
 ――この場合は、私としては打つ手がありません。

今のところ、大量に返送メールが届くこと以外には実害はありませんが、
何かお心当たりがある方だけではなく、
ウィルチェックソフトをご利用されていない方は、
ぜひとも、
ウィルス対策ソフトなどを利用して、
お手元のパソコンのウィルス感染のチェックをなさることを、
お勧めいたします。


【参考】
http://is702.jp/column/security/00005/
http://azby.fmworld.net/usage/quiz/20040602/index.html#ans
 

〈らくりんバンバン〉過去ログ最終版

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 4月19日(土)09時40分6秒
編集済
  〈らくりんバンバン〉過去ログ最終版をアップしました。

思い出しながら、なんとかできました。

本掲示板のタイトル下のリンクか、
又は、↓ のHP〈らくりん交差点〉からお入りください。

http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm

 

〈らくりんバンバン〉の運用を終了しました。

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 4月16日(水)21時14分28秒
   ネット生活を始めて最初に開設した掲示板〈らくりんバンバン〉の運用をとうとう終了いたしました。こちらの〈らくりん亭〉はそのまま継続します。
 ネットライフの手ほどきから始まって、流星(当時はvita)さんや、三吉さん、大悲さん、お留守居役様さん、ぐっちんさん、林遊さん、大願さんなどから、ネット世界の面白さだけではなく、怖さややっかいさなどなど、いろいろ教えていただきました。

 閲覧だけはできるようにしておこうと思ったのですが、無料利用ではそういう設定はできないようになっていました。
 最終の書込みを、過去ログにして残しておけばいいのですが、
 やり方もすっかり忘れてしまっているし、なんだか面倒くさくなってしまったので、
 パスワード入力を設定して、閲覧のためのアクセスもできないようにしてしまいました。
 長い間のご愛顧ありがとうございました。

http://www.akashi.co.jp/home.htm

 

佐藤正英さんの近著「<定本>歎異抄」

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2008年 4月15日(火)19時26分52秒
  『歎異抄』第3条での親鸞聖人の発言は、
冒頭の
>善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
と文末の
>善人だにこそ往生すれ、まして悪人は
だけであって、その他は編集者(唯円)の解説である、
と解析されています。

反成仏主義の私にとって喜ばしいことは、
「悪人成仏」という言葉が、親鸞聖人の発言ではないことが明らかにされたことです。
 

正誤 追加

 投稿者:らくりん  投稿日:2008年 3月 7日(金)11時50分41秒
  51頁12行 誤[御三条]―→正[後三条]

http://www.akashi.co.jp/home.htm

 

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