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(無題)

 投稿者:らくりん  投稿日:2009年10月 2日(金)15時21分46秒
編集済
  長らくご利用ありがとうございました。

こちらの掲示板は、まもなく運用を終了したいと思います。

以後の投稿は、管理者の確認後にしか表示されません。
悪しからずご了承ください。

らくりん@管理人
 
 

鎌倉新仏教

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 5月 1日(金)14時17分6秒
  東京・中日新聞朝刊に連載されている五木寛之の『親鸞』の4月21日号に
法然門に入門したての綽空(親鸞聖人)の台詞として、
法然聖人の新しい考え、新しさという言葉が述べられています。
親鸞聖人が、こんなことを言うはずがありません。
仏教に新しいも古いもないからです。
法然聖人の『選択本願念仏集』も親鸞聖人の『教行信証』も、
仏典を引用して念仏の教えの正当性を主張しています。
親鸞聖人は、真実の教えとしての「真宗」を名乗ることはあっても、
新しい教えとしての「新宗」を名乗ることはありませんでした。
『教行信証』化身土巻の後序に
「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり」
と言っているのは、新しいから盛んなのではなくて、
真実の正しい教えだから盛んなのであると言っているのだと思います。
同様に道元禅師も座禅は釈迦の修行法であり、釈迦が教えた仏教に直結していると確信していました。
つまり、この「鎌倉新仏教」という規定は、第三者的な規定であり、
仏教を内側から理解してはいない規定であると言えると思います。
 

一念発起

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 3月23日(月)07時51分1秒
  「一念発起」の「一念は念仏である」という解釈に
阿満利麿さんに賛成していただきました。
 

一念

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月28日(土)11時20分59秒
  少なくとも真宗で「一念」といえば、要となる言葉だと思います。
ですから、「他力本願」と同様に
「一念発起」も現在使われているような
ただ単に「新たに決心する」と言うような意味ではないと思われましたので、
多くの解説書に疑問がありました。
また「発起」も仏教用語として読むべきと解しています。
『親鸞の仏教と宗教弾圧』の発起序の解説が参考になりました。
 

信の一念 と 行の一念

 投稿者:らくりん  投稿日:2009年 2月26日(木)10時15分12秒
  『歎異抄聴記』で曾我先生がどのような形で触れておられたか、記憶が定かではありませんが、

曾我先生の場合、
「行の一念」と「信の一念」とは、
「信の成就は、称するという表現になる」ということで、
別々のことではないだろうと思います。

ここの論点や表現について、
すべてが共通しているわけではありませんが、

私の、浄土真宗に関する視点や領解を、
さかのぼっていくと、
原点は、ほとんど視点において 曾我先生にたどりつきます。

私の自己認識としては、
曽我先生を通して、
親鸞に出あっているといってもいいかもしれません。
 

阿満利麿さんの『歎異抄』講座

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月23日(月)12時51分30秒
  いよいよ最後に「流罪記録」が取り上げられることになりました。
なぜこれがここにあるのかは、議論になると思いますが、
形式的には、香月院深励さんが言われている
『歎異抄』と『教行信証』は章建てが対応しているとの説をとりたいと思っています。
 

一念発起

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月23日(月)12時39分10秒
  ありがとうございます。

覚如聖人の『改邪鈔』には、

それ本願の三信心といふは 至心信楽欲生これなり
まさしく 願成就したまふには 聞其名号 信心歓喜 乃至一念とらとけり
この文について 凡夫往生の得否は 乃至一念発起の時分なり
このとき 願力をもて 往生決得すといふは すなはち 摂取不捨のときなり

とありまして、「乃至一念」といえば、
法然聖人以来「称名念仏」のことになっていますが、
曽我量深さんの『歎異抄聴記』では、「信心」のことのように述べておられました。
どうも、蓮如聖人の『御文章』での表現が誤解の元ではないかと思っています。
 

一念発起

 投稿者:らくりん  投稿日:2009年 2月23日(月)10時56分54秒
  「一念に八十億劫の重罪を滅す」云々というのは、『観無量寿経』の下品下生のところを受けての話だと思いますから、
私も、ここはいわゆる「行の一念」という意味で、口称の意味に了解するのが妥当だと思います。
 

一念発起について

 投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 2月22日(日)21時49分14秒
  『歎異抄』第14条の「一念発起」を多くの注釈書では、
「信心の心を起こすとき」「信心の心が起こるとき」と現代語訳されていますが、
この「一念」は「称名念仏」ではないでしょうか。
直前に「一念まうせば」とあり、
また第1条に「念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき」と書かれています。
阿満利麿さんの講座が、『歎異抄』の講座としては、
次回3月21日が最終回となりますので質問してみようと思っています。
 

了解しました

 投稿者:まもる  投稿日:2008年12月 3日(水)12時56分19秒
  いろいろとご配慮ありがとうございます。  

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