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筑波の朝

 投稿者:小林大鬼  投稿日:2018年 5月25日(金)01時32分13秒
  ひょろひょろと
首を伸ばして
風に吹かれて
揺れている
黄色い花々



草生い茂る
道端のあちこちで
青空に微笑んでいる
名も無き魂
 

Kazu.様

 投稿者:小林大鬼  投稿日:2018年 5月25日(金)01時28分58秒
  「祖父葬送」に辛口な感想ありがとうございます。


何気ない表現が誤解を招く~死神みたいな人が~侮辱に当たる。死を見つめ最後を司る意味で描いたのですが。蟷螂~に変更します。

生の重さよ詩の軽さよ~伝わらないとの事でしたので、祖父の形はどこにもない~をその前に入れました。

改めて読み返しながら、詩の本質を考えてしまいます。本当に伝えたいものは何か?他者を気にし過ぎて、自分の描きたいものとはかけ離れてはいないかと。
 

Kazu.さま

 投稿者:Luvjoiners  投稿日:2018年 5月24日(木)20時12分52秒
  こんばんは、初めまして。詩作への感想をありがとうございました。
前作と共通のキャラクター(鳥)を使いながらも、まったく違う作風にし、また敢えて難しく(というか意味不明に)仕立てあげてしまったので、反応が様々であることは最もであると思います。ちなみに吉増剛造という詩人をイメージしたつもりでした。意味と言うより、音を重視したものになっています。
今回はかなり挑戦が過ぎましたが、またいろんな形式の詩作を試してみたいと思います。
 

島 秀生 様

 投稿者:佐竹co  投稿日:2018年 5月24日(木)17時58分28秒
  『水曜日』へのご感想ありがとうございました。

初連の内容の絡ませがないことと、解読的な文になっていることなど
自分でもう一度読み直してみると確かに、とすごく納得しました。
パン屋のカレーに深い意味はないのですが、たぶんカレーパンです笑
雨の日に、カレーパンをカウンターに座って食べているのを想像して書きました。
おもしろいと思っていただけるなんて光栄です、、。

あと初回届け出の件、申し訳ありませんm(__)m
一回メールは送ったような気はするのですが、、
次回投稿時に送らせて頂きます。

お忙しい中ありがとうございました。
 

初夏

 投稿者:夏生  投稿日:2018年 5月24日(木)17時07分20秒
  春がめくられ
夏の
まだ白い額が
のぞいて見える

若返った木々
ゆれる枝から
明るすぎる歌声が
響き渡る

青い匂いと
汗かいた空気
梅雨はまだ先の話
話は誰も聞いていない

目がくらむ
はつらつに埋もれて
緊張した
まぶたが震えだす

 

Kazu.様

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年 5月24日(木)14時40分39秒
編集済
  こんにちは。
「言葉」に評と感想をありがとうございました。
今回は「言葉」について書いてみましたが、それに拘りすぎて「詩」の部分が少し抜け落ちた感がありました。

3連目の「どんな瞬間に身近に感じたのか」「それはどんな事だったのでしょうか」というご質問ですが、先人達の
書かれた詩を時代が違っても読むことが出来る事に幸せを感じることがあって、特に好きな詩人の詩ではその詩を改めて読んで、背景や詩に込められた気持ちなどを想像したりしていると、また違った気付きがあったりして、共感を覚え身近に感じることがあります。

最後の締めが、?だという事ですが、仰るように「言葉は何処までいっても言葉であって人格などはない。」という
考えに私も同感です。「詩が一人歩きを始める」ではなく「言葉が一人歩きを始める」にした理由ですが、「書いた文字達が心の中に入り込んで、反応した心がリトマス紙のように青から赤になる」ここで赤になったのと、「まとまりのない文字達のせいで心が乱れる」という事で、心の中は「詩を書く事を以前のように楽しめない」もしかしたら、自分の書いた物が「詩」として成り立たず、ただ言葉の寄せ集めで終わってしまっていないか、という不安感を出したかったのですが、分かりずらいですね。申し訳ありませんでした。
ご指摘を受けて色々と考えさせられました。   どうもありがとうございました。
 

Kazu. 様

 投稿者:江見 由宇  投稿日:2018年 5月24日(木)11時39分59秒
編集済
  こんにちは。
評不要とさせていただきましたが、拙作を読んでくださり、また この詩の内容に関連するコメントを書いてくださり、お時間を割いていただいたことに感謝いたします。
ありがとうございました。
 

5月15日(火)~5月17日(木)ご投稿分の評と感想です。

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2018年 5月24日(木)10時24分55秒
  雨音様、お先に行かせてもらいます。

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○小林大鬼さん 「祖父葬送」5月15日(火)ご投稿分

小林さん、こんにちは。
お作、一連のテーマで書かれていますね。

私事になって恐縮ですが、以前私は、私の知人のお通夜に始まり、葬儀を経て一周忌までを七篇の詩にしました。ですからそこには葬儀当日の詩もあるのですが、私はそれをダイレクトには書けませんでした。もしその詩だけを取り出して一篇の詩で発表したら、たぶん、それが知人のそれとは受け取りづらかっただろうと思います。私には棺も位牌も骨壺も書けなかった。というか、敢えてそれらの言葉は避けました。自分にはそれを書く勇気と心の整理がつかなかったからでした。その点お作は、その一部始終を毅然と書かれていて、冷静な詩人の眼を感じます。このことは決して冷酷ではなくて、やはり言葉を操る者として、事象に対しては斯くありたいものだと思いました。

詩は、小林さんにしては長めです。それだけ想いの丈があったからでしょう。
内容的には出棺、火葬、納骨までを書いていますが、その一部始終の情景はわかるのですが、そこにもう一つ、詩への昇華が感じられません。淡々と書かれているその小林さんの眼はよく分かります。しかし詩という観点からみると、その日その時の出来事を記しているだけのように読めるんです。「所詮、他人事だからそんなことが言えるんだ」という叱責の声が聞こえてきそうですが、極論すれば、読者は他人です。他人事なんです。だからこそ、その他人に詩で想いの丈を伝えたいのなら、やはり一連の出来事を詩に昇華しなくては、読者には作者の想いが伝わってこないのです。

「生の重さよ死の軽さよ」だけでは、読者にはその生死の重量感は伝わりません。
「死神みたいな人が//掃き集め」という表現には、正直、その職業に対する侮蔑を覚えます。
小林さんだって祖父を、死神の手に委ねたとは思っていないはずです。ここの連は是非、再考してみてください。

評価は保留とさせていただきます。

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○ゆきさん 「言葉」5月15日(火)ご投稿分

ゆきさん、こんにちは。
お作、とても共感します。私も「言葉」というものにダイレクトに思い悩んだこと、ありましたから。

詩は「言葉」の為せる表現形式ですが、その「言葉」そのものに主眼を置いて考えてみることも、また詩であると思います。その「言葉」にゆきさんは2連目で「言葉を綴る事は/終わりのない遊びのようで//楽しかったのに//怖くなった」と言います。これ同感ですね。私もケッコウ長いこと詩をやっていますが、未だに「怖い」と思っています。後年、自作を読み返して、しまった!なんてこと、度々です。

3連目に

 人が生んだ言葉達を
 時間を超えて
 身近に感じた夜には

とあります。ああ、この気付き、いいですね。
では質問です。どんな瞬間に「身近に感じた」のでしょう。そしてそれはどんな事だったのでしょうか。ここを更に追及して欲しかったですね。

6~7連目の事は、もう詩人冥利に尽きますね。自分の書いた文字が心の中に忍び込み、それに(心が)反応して感化されるなんて、最高です。私も時に、書くことで考えが整理され、「あの心のモヤモヤはこれだったんだ!」と思い至ることがあります。そのことを「リトマス紙」に例えていて、化学を生業とした者としては、グッドでした。

ただ、最後の締めが、私には(・・?でした。
ゆきさんは「言葉が一人歩きを始める」と言います。果たしてそうなんでしょうか。言葉ではなくて「詩が一人歩き」を始めるのではないでしょうか。私は、言葉はどこまで行ってもただの言葉であって、人格なんかないと思うのです。その言葉を発したとき(つまり言葉で心を書き表したとき=詩)、その言葉には人格が与えられて(つまり一篇の詩となって)、一人歩きを始めるのだと思うのですが…。

評価は佳作一歩前で。

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○あさぎさん 「air port 到着ロビー」5月15日(火)ご投稿分

あさぎさん、こんにちは。
ゴメン、あさぎさん、この詩、分かりません。

いや、ここで言っていることは、大体は想像できるのですが、なにせ私、海外渡航の経験ゼロなんですよ。
理由① かつて海外に出向くような仕事をしたことがない。
理由② 旅行等には全く興味がなく、本州から外に出たのは北海道一回と、あと、三河湾にある日間賀島へ一回だけ。四国も九州も行ったことなし。
理由③ 高所恐怖症ではないけど、飛行機は北海道へ行った時の一回しか乗ったことない。
理由④ (これが一番の理由かもしれませんが)かなりの出不精。

以上の理由から、「air port」なるものの存在がよく分かっていません。
「クルミ割り器にクルミの痛さを知れ」と言われましても、どだい無理というものです。

スマンです。
評は割愛させて下さい。

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○@すみっこさん 「車窓」5月15日(火)ご投稿分

@すみっこさん、こんにちは。
詩を書くことって、ある意味、もう一人の自己との対話でもあるわけです。しかしそれにハマってしまうと、どちらの自分が本当の自分か分からなくなってしまいます。尤も、時空を扱う物理学の説には、同時に多数の現実世界が存在していても不思議ではないそうで、だからもう一人の(或いは複数の)別の「私」が同時に居ることになるのだそうです。と書いていて、「ドッペルゲンガー」の事を思い出しました。で確か芥川龍之介の短編にそんなのあったなと思って、wikiってみたら、ありました、『二つの手紙』。青空文庫で再読しました。やはり芥川は短編の名手、ご興味あったら是非一読を。

前置きが長くなりました。詩にまいります。

と、その前に、また寄り道。
先日、私、必要に迫られて、四年振りに東京へ行きました。新幹線と山手線で目的地を往復したのですが、確かに電車の車窓って、ボンヤリ外の景色を見ていると、突然トンネルや地下に入って暗くなると、自分の顔が映ります。それが最近の実体験としてあったので、この詩のイメージが掴み易かったです。

@すみっこさんは電車の車窓を見ています。するとそこに自分の顔が映っていて、そのもう一人の自分に対して心の内で語り掛けます。ここにはガラスに映った自分という鏡像ではありますが、明らかに「ドッペルゲンガー状態」にあります。ご自身、なにかとても辛いことでもあったのでしょう。その気持ちのはけ口を、車窓に映るもう一人の自分に託します。

 私の代わりに好きなだけ泣いていいよ

この言葉に読者の心も疼きます。

 いつもより長く揺られていたい
 現実なんて少しぐらい
 置きざりにしたっていいんだ

ここ、絶品です。

自分の事を赦すとき、どうしても人はナルシズムになりがちですが、そこをグッと持ち堪えていて、いいですね。そして最後は、

 明日の天気予報は晴れるらしい

としていて、詩の最初のほうで書かれた「曇り空」に対応しています。
こういう時系列の確かさが、詩に安定感と統一感をもたらすものと思われます。

お作、佳作です。

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○江見由宇さん 「支配(評不要)」5月15日(火)ご投稿分

江見さん、こんにちは。
評不要ということでしたので、この詩の事には触れません。

最近、テレビで見たのですが、人が人たる進化の過程で、二足歩行したことで喉の構造に他の四足動物とは違う決定的な変化があったとのことです。それは喉の筋肉を作用させ、複雑な「音」を発することができるようになって、原人たちは感情を「声」で表現できるようになり、その集団がいつしか洞窟に絵を描き始め、それがいつも絵で描いていると大変なんで簡略化されて文字ができて、声と文字は一体になって、そこに「言語」なるものが成立したと。
私たちはその進化の過程で、ネアンデルタール人が生き残れば、もっと違った言語を話したかも知れませんが、今、地球上では、アフリカに発したホモサピエンスが生き残り、現在に至ったというのが定説のようです。現在私たちはこの日本に生まれ、日本語を話しています。1945年当時、敗戦の始末に、「日本語をやめてフランス語にしよう」ということを言った人もいたとか。しかし私たちは今「日本語」を話している。まずはこのことの意義を再認識したいですね。

私たちの日本語って、ホント、とても素晴らしいんですね。
「十一月の三日は祝日で、ちょうど日曜日です。」
こんな言葉を十歳くらいの子供でも読んで書けるなんて、「世界でもめずらしい天才人種に相違ない」
(『漢字と日本人』高島俊男・文春新書198)

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○サンダーソニアさん「初恋」5月15日(火)ご投稿分

サンダーソニアさん、こんにちは&初めまして。Kazu.と申します。よろしくお願い申し上げます。
初めてのお方なので、ご挨拶と所感を書きます。評価は次回より申し上げたいと思います。

さてお作ですが、この一作だけではなんとも申し上げられない、というのが正直なところです。この手紙の主がどのような位置付けにあるのか、或いはしたのか、その意図を量り兼ねています。
詩は創作と違って、圧倒的に短い文章表現です。創作ならば主人公を設定して、なにがしかの事件が起こり、それがストーリーとして展開されていきますが、詩はそのほとんどが、(私が)主観的態度によって認識された事象が対象になりますから、その認識者がどのような位置付けにあるか不明ですと、たちまち読者は迷子になってしまいます。手紙の形態で詩を構成することは何ら問題ありません。ここに登場する「ぼく」の立ち位置が読めないだけなのです。

詩のスタイルとしては面白いので、そして詩へのアプローチの仕方も変化に富んでいるので、もう少し詩篇をよんでみたいお方です。

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○裸心美さん 「おばけやしき」5月15日(火)ご投稿分

裸心美さん、こんにちは&初めまして。Kazu.と申します。よろしくお願い申し上げます。
初めてのお方なので、ご挨拶と所感を書きます。評価は次回より申し上げたいと思います。

さてお作ですが、たぶん裸心美さんは書きたいことがいっぱいあって、でもそれを詩としてギュッと押し込めてしまったから、詩のベクトルがたくさんできてしまったように思われます。
最初は怖がりの「きみ」への労りが、最後は「わたし」の事になってしまっていますし、肝心の「隣で怖がるきみ」へのアドバイスが「おばけ」に転嫁させようとしていて、でも現実は「おばけは//気持ちを//消せやしない」となっているし、全体的に焦点がぼやけてしまっています。

裸心美さん、お作、何度も読み返してみてください。そしてアレッ?て思ったところ、そこがこの詩の分岐点です。その先は別の詩として、改めて書いてみてください。
一つの詩で言いたいことはひとつ、それを意識して、また書いてみてください。

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○@すみっこさん 「写生」5月16日(水)ご投稿分

今回も@すみっこさん、ダブル投稿です。加筆修正の件は承知いたしました。

お作、そうですね、若葉の萌え出す季節に相応しい描写ですね。
自然を前にすると、人は言葉を無くすときがあります。特に山は四季折々、いろいろな表情を見せてくれて、でも結局不動であることに、私たちは大いなる安らぎを覚えるのでしょう。
その想いを@すみっこさんは「それを描かずにはいられないんだ」と言います。この一連一行の言い切りが、読者の心を納得させます。

この詩で特筆すべきは1連目。

 山が緑をつくる
 緑が山をつくる

この2行で世界が一気に広がります。
ここで共感する言葉は「つくる」です。おなじ「tukuru」の発音ですが、しかし意味が違う。こういう仕掛けをすることに、詩の面白みがあります。このままでも十分楽しめるのですが、例えば、

 山が緑を創る
 緑が山を造る

なんてのも一興ではないでしょうか。
山が緑を創り出し(生み出しor描き出し)、その緑が山を造る(製造する=存在させる)。

2連目に「青い空」が出てきます。この「青」、私はいらないかなと思いますよ。最初で出した「山の緑」の色を薄めてしまうような気がします。萌える緑の山の延長上には、青い空が見えています。そこ、敢えて書かないことで、読者のイメージを邪魔しない、そんな書き方もあると思うのです。

3連と4連(一連一行)の書き方ですが、ここではその威力が発揮されていないように思われます。一連一行ってインパクトのある書き方です。それ故に歌舞伎なら大見得、ここ一番の奥の手みたいに使ってほしいのです。お作では終連の落としで使っているので、猶更です。

 私の絵は
 私のパレットの緑色だけで
 完成するのだ

みたいに、軽く流すという手もありますね。

詩としては十分完成形だとは思いますが、@すみっこさんだから「佳作一歩前」で。
この詩の感性にはとても共感できました。

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○Luvjoinersさん「鳥の名前はあるしをんぬ、海の狼はMerwolf」5月17日(木)ご投稿分

Luvjoinersさん、こんにちは&初めまして。Kazu.と申します。よろしくお願い申し上げます。
初めてのお方なので、ご挨拶と所感を書きます。評価は次回より申し上げたいと思います。

が、

ごめんなさい、私、この詩、読めませんでした。
お作は私の考える「詩」とは、またべつの「詩」のように思われました。
例えば陸上競技のアスリートならば短距離走とマラソン、格闘技ならばレスリングとボクシング、同じフィールドでも、その資質には大きな違いがあります。

私の詩の基調は、昭和を引きずった、バリバリの抒情詩です。
平成の時代も終わろうとしている昨今にあっては、もうガラパゴス化した者と思召して、許してください。私の携帯電話も「ガラホ」止まりです。おそらく「スマホ」までは進化しないでしょう。

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パソコン、また、飛びました。
このパソコン、三年半前にデスクトップでカスタマイズしてもらい、二年でHD飛んでしまい、HD交換してもらいました。その際、データ保存機能ソフトがあったにも関わらず、結局90%以上は消えてしまいました。それがまた、一年三か月で飛んでしまい、お店の人もさすがに同情してくれて、HDの再保障期間中ということで対応してくれました。一回目に飛んだ時、OneDriveともう一つ別のクラウド設定してもらったので、今回はMY DEAR関係のデータは無事でした。でもリカバリーしたので、諸々の設定は全部チャラとなってしまいました。(ハイ、コワイですネ、オソロシイですネ…by淀川長治調)でも今は絶好調。電源ONで30秒で立ち上がるし、画面の切り替え1秒もかかりません。ご臨終寸前の立ち上がりに一時間、一文字打ったらフリーズがウソのようです。
まぁいまさら紙と鉛筆には戻れないし、なんとかこいつと付き合っていくしかない、と決心した次第です。
 

寄る辺

 投稿者:沢口リリキメール  投稿日:2018年 5月22日(火)21時19分53秒
編集済
  四十数年と云う歳月は
音もなく流れ去り
離ればなれになってしまった、私とお前
未だに消息も掴めていない‥‥‥


  もし、私が春の風ならば
  過去に吹いて
  庭のテラスで
  絵本を読んでいる
  チビなお前のまあるい指先を
  そっと撫でてあげたい

  もし、私が夏の海の波ならば
  過去を遡上し
  渚で子供とはしゃぐ
  母になっているであろう
  お前の白い足元に
  エメラルドの輝きを届けてあげたい

  もし、私が秋の木漏れ日ならば
  過去を照らし
  枯れ葉の並木を俯いて歩く
  人生に少し疲れた
  お前の視界の中に
  柔らかな光を敷き詰めてあげたい

  あの日
  私たちは運命に逆らい
  両親の意思に逆らい
  共に生きることも出来たはずなのに
  あまりにも幼く無力すぎて‥‥‥

  もし、私が今宵の冬の月ならば
  街並みという街並みを映し
  お前を必ず探し当て
  お互いどんな人生を送ってきたのか
  夜が明けるまで語り合いたい
  失われた時を埋める為に

   妹よ

   大切な私の
   妹よ

  ああ せめて
  元気に暮らしているとわかるなら
  兄さんはそれだけでいい

  ただそれだけで‥‥‥

  たとえ、このまま再会の願いが
  叶わなかったとしても




 

異国のうたに

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2018年 5月22日(火)17時54分28秒
  レッサムフィリリ
レッサムフィリリ

あなたが輝く近道は
好きなことを見つける事

あなたが輝く近道は
好きなことを続ける事

そう聞こえた気がして
見えない風が私の心を揺り動かした
レッサムフィリリ

私の居場所は私が決める事

わたしのレッサムフィリリ
あなたのレッサムフィリリ

ラブソングにならないけれど
心はフワリと風に揺られていたい
 

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