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雨音 様へ

 投稿者:沢口リリキ  投稿日:2017年 8月21日(月)10時30分28秒
  雨音先生
残暑お見舞い申し上げます

「夏の庭で~回想~」に佳作の評と感想をありがとうございます。
私も雨音先生と同様、夏という季節は特別で幻想的であります。私の場合は人生そのものが幻想であると疑心を持っている者です。
幸若舞の『敦盛』、織田信長が好んで舞った詞章の一節
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
は、二十代からの「座右の銘」的言葉でして、そんな気持ちを持ちながらこの詩を書きました。下天(化天)世界の一日は人間世界の五十年らしいです。
数年前まで「人間五十年」は当時の寿命を意味してるのかと思っていましたが違うようでした。
二十代半ばに読んだ津本陽さんの「下天は夢か」という本のタイトルは敢えて人間世界を下天と例えたのでしょうか……すみません、私的な謎を持ち込みまして。

生物の生死、季節の移ろい、人間の儚いけど確かに埋められている記憶という装置について、深く書けませんでした。ただ現象のみを拾い上げて書いただけですので、再度じっくり書いてみたいと思います。

ご多忙の中、今回もありがとうございました。
暑い日が続きますがお体ご自愛ください。『敦盛』にて涼をとるのは難しいかもしれませんが、微かでも心に涼風が吹いていただければ幸いです。


思へばこの世は
常の住み家にあらず
草葉に置く白露
水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ
榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も
月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年
化天(下天)のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を享け滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ

編集) 沢口リリキ
 

雨音さま

 投稿者:こたきひろしメール  投稿日:2017年 8月21日(月)07時01分7秒
  感想ありがとうございました。
評価の度に、やったーとなんだーの落差がうまれます。今回は後者です。
人間ですから、止むおえませんが、これから精進します。
 

葉月 祐 様

 投稿者:くれ  投稿日:2017年 8月21日(月)06時16分18秒
  はい 承知致しました。大丈夫ですよ。ご連絡有難うございます。  

雨音様

 投稿者:タルコンティ  投稿日:2017年 8月20日(日)23時28分31秒
  雨音先生
 残暑お見舞い申し上げます。
 お忙しいなか拙作に御感想をくださり有難うございます。
 これだけでは詩としては難しいという御指摘と理解しております。
 大変勉強になります。
 私はどちらかというと短めか長めのものが多いです。
 次にみていただくときには注意したいと思います。
 引き続きどうぞ宜しくお願い致します。
 

彷徨う老人

 投稿者:Davy Crockett  投稿日:2017年 8月20日(日)23時24分17秒
  諦観気取りの老人が歩みを進める

厭世的に死に場所を求める

退廃的に廃れていく歴史を眺める

深閑の深みに浸たる煙り

酒と煙草を好む老人

彷徨い歩く

愚鈍な歩み、亀の様に、されど歩を進める

ゆらり、ゆらりと虚めきながら

記憶は摩耗し、精悍な顔付きは面影を遺さず

されど確固たる意志は未だ持ち得たままに

目的を探す、誰かと笑い、誰かの別れを遺し

哀しみを背負う重荷を背負ったままに

何処かへ向かう、目的すら忘れたままに

何処かへ向かう、目的すら忘れたままに

歩を進める、1歩、また1歩

死が前に立つなと狼狽える

それを認めず、まだ生きていたいと彷徨い歩く

目的も記憶も確固たる信念も何もかも

亡くした亡者の老人の

息をしてるか否か死者の境はそれしか無いと解らずに

今も目を背ける

死が前に立つなと狼狽える
 

青島江里様

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年 8月20日(日)23時14分0秒
  大変申し訳ありません、
修正した作品は
8月16日の木曜日の
親×子  時々  子×子
です、大事な事が抜けてしまいすみませんでした。
宜しくお願いします。
 

くれ様へ

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年 8月20日(日)23時04分2秒
  大変申し訳ありません。タイトル、一部見落としがありましたので、
投稿後すぐに修正いたしました。
花丸→花マル、です。申し訳ありませんでした。
 

頑張り屋さんに花マルを

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年 8月20日(日)22時58分4秒
編集済
  会社の出勤表には
出勤人数を確認する為に
マルを描き込む欄がある

それは ありふれた記号のひとつだが

  消えそうな大きさでマルを描く人。
  欄いっぱいにマルを描き込んだ人。
  上で線をキュッと結んだマルもあれば、
  採点するように描かれたマルもある。

パッと見ただけでも
これだけの違いが見てとれるから
みんな どんな気持ちで
マルを描いたのだろうか と
想像してみたりする

  線の太さ、
  左右の傾き方、
  マルの大きさ、
  描かれ方・・・

これらはそのまま
わたし達の
心の有り様かもしれない


きっと
どんなマルにも
一度描かれた時から
『やってやるぞ』という想いが
込められているのではないだろうか

  良い事があった人も、
  何も無かった人も、
  楽しそうな人も、
  そう見えない人も。

『今日も一日頑張るぞ』

きっと
その一言を 決意を
マルに詰め込むように
描いたのだろう

それぞれのマルが
想いを語りだしたら
ちょっと面白いかもしれない
などと考えながら
一日が 無事に終わる事を願って

わたしも
少し小さめのマルを描いた


たとえ当たり前の事でも
『今日も会社に来ました』
という印を目にすると
すべての欄に
『大変よく頑張りました』の
花マルを描きたい気持ちになる

『みなさん、いつも、おつかれさまです。』
そう言いたい気持ちになる


帰る前には
マルの花畑に変わった出勤表を
眺めてから 会社を出るようになった

毎日 絶えず
いろんな事が起こるけれど
そんな日々を
どうにか乗り越えてきた
自分自身にも

  いつの日か
  胸を張って
  花マルを描いてあげよう


すべての頑張り屋さんに花マルを。



 

生きるって難しい

 投稿者:中也  投稿日:2017年 8月20日(日)21時28分52秒
編集済
  僕は今だに
僕の全てがわからない

だから
毎日
小さなことを
たとえば
今晩の夕食は
カレーが食べたいとか
カシオペア座がきれいだとか
明日の仕事のことだとか
子供たちの将来だとか

それは
人類の貢献に
役に立つようなこと
ではなく
ただ
自分の幸せとか
自分の欲する
とても
小さな  小さな
そんなことしか
考えられなくて

子供が
積み木を積んでいくように
何度も
崩れたり
崩したりしながら
生きている

たぶん
今までも
これからも

僕には
明日のことが
わからない

だから
ささやかなんだけど
夢や希望を持ちながら
不器用に生きているのかな
日常という社会の中で

これから
僕にできることって
なんだろう

こんなに生きてるのに
未だわからないまま

もしかして
今日を懸命に生きていること
今日を懸命に生きていくこと
それだけなのかも知れないね

なんか
生きるって難しいね
 

青島江里様

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年 8月20日(日)18時35分6秒
  お忙しい中にすみません。
11連目以降に大幅に加筆修正致しました。
まだ間に合いますでしょうか?
日にちが経ってからすみません、
どうぞ宜しくお願い致します。


 

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