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 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年 8月16日(水)20時03分8秒
  Kazu.様、
こんばんは。
「小瓶の中に」への佳作との評、また、作の中を見渡し気付きを記してくださり、ありがとうございます。卒業と言われると、それを危ぶまれた学生時代をすぐに思い出すので震えてしまうのですが(苦笑)それはさておき、まだ道半ば、未完成である自分を、詩を書く者として様々に捉えてくださっていたり、そこには驚くような言葉が並んでおり、本当に恐縮の一言です。どのような点も、いただくご指摘はすべて詩作への一個の手掛かりであり、詩の道を照らす光ですので、今後も厳しく、ご教示いただければ幸いです。
投稿した後に間隔をあけて、詩を寝かせてから再度読むようにしていますが、後半の展開、特に指摘をいただいた終連前の連は、違う書き方や、たたみ方があったように思います。大切な願いが夏バテしているようにも感じました。

詩を書く上で普段から気をつけている事があります。…うまく出来ているかどうかは、読み手となる皆様でなければ分からない部分ですが、自分の書いたものが他者を不用意に傷つけてはいないか、という点です。これは詩に深く触れてくださった大切な方々から学んだ、大切な教えです。
詩の向こうにいる読み手への細心の注意をはらえるようにありたいです。たとえばここでは殆ど投稿しませんが、暴れる感情に振り回されて書いた剥き出しの詩は、凶器になりかねないので、出すならば何かしらのワンクッションを挟むか、もしくは手元で寝かせておくかのどちらかです。時にはそのようなものしか書けない事もあるので、それは自分次第であるとも思います。書きたくないけれど向き合わなければならないものとも、詩を通して対面する日々です。
詩は、書こうとして遠くを見つめた時から、自分から離れていくように感じます。何を書こう?と思った時は、身近な物事を見つめる事が多いです。詩は本来傍にあるものだと感じる今日この頃です…唐突に語ってしまい、申し訳ありません。大切な部分に触れてくださったので、答えになったのかどうか怪しいですが、コメントに書かせていだきました。長くなりました。
今夜は地元で花火大会があります。花火からまた、何かを感じて、楽しんで来たいと思います。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
 

8月8日(火)~8月10日(木)ご投稿分の評と感想です。その2

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2017年 8月16日(水)17時54分53秒
  〇山下 一歩さん 「人生」8月9日(水)ご投稿分

山下さん、お久し振り×2です。

前回は、今年なかなか咲かない桜の時季の『春雨』でしたね。
あの女(ひと)はもうこころの中の人になりましたか?
私も同様な想いを体験しましたので、心中、お察し申し上げます。

今作は、言わば前作のこころの回答編として拝読しますと、その一語一語が一層意味を持ってきます。

もともと無駄な言葉を排して、主題を見極めた書き方をされる山下さんですが、最終連は、きっといつもの私なら文句言っちゃうところとなんですが、しかし今回は、その言わんとするところがよく理解できるので、一呼吸してから、この連が腑に落ちてくるのです。勿論、山下さんもそのことは百も承知していて、言わば確信犯のように書いている訳で、そんな風に、本来なら書かなくてもいいことを敢えて書くということだって詩にはある、いや、「書かなくてもいいことを敢えて書く」という詩人の覚悟のようなものを感じました。

評価はこれまたネーミング付で「個人的感情移入的、佳作」です。

(余談ですが、この手のものって、詩集にするとその効果は『丸八真綿の二倍、二倍!』以上でしょうね。
※先月に続き再掲します:丸八真綿は浜松市発祥の寝具メーカーです。1970年代、関取の高見山がひしゃげた声で『二倍、二倍!』とテレビCMで連呼して、ブームになった言葉です。でも全国区かどうかは定かじゃありませんけど、個人的には私の頭ん中でよく木霊するフレーズだもんで…)

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〇キャベツさん「あなたはどうして」8月9日(水)ご投稿分

キャ、キャベツさん、お久し振り×3でしょうか。

パソコン飛んでだいぶデータ無くなったんで定かではありませんが、一年程前の遠距離恋愛物以来のような気がします。
で、そうですね。その通りです。まず真っ先に何を言われるか、って思っているでしょ?
そこから始めましょう。

今作の表記は明らかに意図的ですね。
左側の縦一列が本詩で、その右側に書かれていることはもう一人のキャベツさんの、言わば心の声でしょう。ちょっと離れた右側(視覚的に言うと三列目)だって、四行詩として読むことも可能です。こういう書き方を是とするか非とするかですが、基本、私はどっちでもいい派です。なぜなら視覚だって詩の一部だって言うことは、詩の改行、一行開け、一字段下げ、詩集の贅沢なページ空間等々、みんな視覚的発想を意図してのことですから、まぁ、この書き方も充分その範疇にあると考えます。



しかし、もう少し工夫がなかったものか、とも思いましたよ。
第一、読みにくいし…。
掲示板のソフトの性質上、或いは投稿する側のモバイル機器との相性等、制限はあるかも知れませんが、やはり視覚的意図があるのなら、徹底的に完成状態でUPすべきですね。そうじゃないと詩の意味が不鮮明になってしまって、本末転倒になりかねませんからね。
(以前、私が所属していた同人誌で、詩を蚊取り線香の渦巻状にして中心に向かって書いてた人いましたが、雑誌をグルグル回転させなきゃならなかったんで、読みにくかったことしか覚えていません。音を題材にした詩を、ト音記号にして書いた人もいたな…)

では、本題に。
この詩はストレートに理解できます。
その本詩に対する反語詩や対語詩も、「なるほどね」と思わせる考え方であります。
言葉の切れ、比喩の斬新さ、ところどころにキラリと光るものがあって、今までのキャベツさんとは一味違った、新たな一面を見せてくれた思いがします。



この書き方はまた、作者の詩の方向性が定まっていないためのようにも思われました。
通常、私たちは詩を書く上で、「Aかも知れないしBかも知れない」でも「AであってBでないとすればCか?」いや待てよ「AであってBではないとホントに言い切れるのか。それがアヤフヤのうちにCを持ってきてもいいのか」etc.
そんな自問自答しながら、一篇の詩を書きあげるものではないでしょうか。
様々な想いを整理して、今の自分のこころの在りかを語っていけば、並列に思考過程を明記することには疑問が残ります。
ただ、劇中劇というものがあるように、詩中詩ってのもあるでしょう。或いは二つの詩が同時進行しながら、最後は一つの結論に達するという離れ業もあるでしょう。そういうものに果敢にチャレンジすることも修行の一環ではあります。
それはまだ私自身にも分かりませんけど…。

評価は暫定佳作ということで。

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〇山下 一歩さん「玉ねぎの悲話」8月9日(水)ご投稿分

ああ、山下さん、こころはもう落ち着かれたご様子。安心しました。

そうですか。
玉ねぎが玉ねぎになるためには、そんな経緯があったんですね。
って、思わず納得してしまう、とても素敵で楽しい悲話(?)でした。

「玉ねぎを切ると涙が出る」って、私もバケガクのハシクレ、あれって確か硫化アリルだったよなぁ、って思ってウィキったら、エーッ、違うんだ!更に調べて、ナント、2002年にハ〇ス食品の研究者がその原因物質を突き止めてあの「ネイチャー」に発表して、そしてナントナント、そのことで平成25年に「イグノーベル賞」に輝いたというではありませんか。いや~あ、たかが玉ねぎ、されど玉ねぎであります。そしてこの度、「ネイチャー」には及びませんが我がMY DEARに、玉ねぎに関する新たな事実が判明いたという次第であります。

と、まぁ、前置きはこれくらいにして、詩にまいりましょう。

先月にも食べ物の詩があって、今回もまた拝読出来て、私の料理は「男の手料理」程度の腕ですが、とても親近感を持って読みました。また私の棲む浜松市の海っ端は玉ねぎの一大産地、時季には一杯くれるんで、生で良し、炒めて良し、麺つゆで作る牛丼に、豚バラブロックの煮豚の隠し味にと、万能食材です。きっと山下さんもよく使われる食材なんでしょうね。

ある時「玉ねぎ」と言うからには、最初に「ネギ」があって、それが丸くなったから「玉ねぎ」なんだと思い至ったわけで、その気付きが詩の出発点だったことでしょう。
玉ねぎ→切る→涙が出るは通常誰しも連想することですが、その玉ねぎ自身が叶わぬ夢への想いから自身が涙を溜めて、顔がパンパンに腫れた「涙の結晶」としたところが山下さんですね。
その検証は玉ねぎの形、構成、切ると涙の出る理由へと、留まることを知りません。

こういう詩って、書いている本人が一番楽しいので、その息遣いまで伝わってきます。
山下さんのいつもとは一味違った、箸休めのようなお作に、佳作を。

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〇葉月 祐さん 「小瓶の中に」8月9日(水)ご投稿分

葉月さん、こんにちは。

前回書きましたが、もう葉月さんは細かなところは私の評は「卒業」だと思っていて、ですからこれからは詩を書く者同志としての感想か(これ、かなり個人的嗜好が入ります)、さもなくば、意地悪バアさん的粗探しになるか(ハッ、「意地悪バアさん」は固有名詞だったか?でないと、差別用語になりますので、「意地悪ジイさん」と言い直します)ですね。

詩を書いていて、一篇の詩を書き終えると、まだ言い足りないときはその詩の続編が書けます。或いはシリーズ物でしたら、その路線に沿って詩が書けます。しかしこころが空っぽの状態で、さて詩を書こうとすると(例えば同人誌の締め切りがきちゃって)、まず題を何にしようかというところから葛藤が始まることになります。
しかし葉月さんは、上記のこととはまるで無関係のように次々に題を見つけて書いている、ように見受けられますが、同じ詩を書く者として言えることは、いやいやそんなことないですよ、そんな簡単なものじゃないですよ、という反論が聞こえてきそうで、まったくその通りだと思います。
ところが葉月さん、まぁ~ね、そんなに苦労してないわよ的、飄々となさっているように見せ掛けられるほど、したたかでしなやかな詩精神の持ち主だと拝察します。

詩に参ります。
まず詩の場面設定がいいですね。
1連目の4行で、この詩はもう決まりました。
後は詩の構成力に掛けてはずば抜けて安定している葉月さん、終連の「明るい未来を/どうか その手に掴んでほしい」まで、一気に読ませられます。

上手いですね。安定してますね。
途中の「緑茂る森の中//ただ 濁っていくだけなのか?」までの段ずらし表記や、「ひとりでも平気だなんて//人は多分 ひとりだ」という自己内省の言葉とか、実に嫌みのない書き方で、そういう点にまで配慮できるゆとり(詩の技巧としての)があることが、この詩の安定感に通じるのでしょう。

あとは意地悪バア…じゃなかったジイさん的見方をすると、ラス前の連と後半の流れが気になりました。ラス前連はこの連そのものが本当に必要だったのか、後半の「それでも、」以降はもっと強い言葉で構成しないと、最終連の「(ねがい)」が弱く読めてしまわないか、と思いましたよ。

評価は勿論、佳作です。

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〇啓さん 「資格なし」8月9日(水)ご投稿分

啓さん、初めまして、&、こんにちは。
啓さんは初めてのお方なので、感想を中心に書かせて頂きます。
また、ワタクシは相手に呼び掛けるように書いていますので、以後「啓さん」とお呼びさせて頂く事、ご了承ください。

一読しまして、感情を言葉になさることには敏感なお方と思われました。
その感情が先走り過ぎて、言葉がモタツイタ感は否めませんが、詩からは啓さんの想いは伝わってまいりました。細部についての意見は、今後ご投稿があれば、共に考えて行きましょう。

しかし題の「資格なし」は思い切りのいい題ですね。
ワタクシ、自分の事として考えてしまいましたよ。
曰く「(評なんてする)資格なし」←精一杯やっているつもりなんでゴカンベンを…
曰く「(生きる)資格なし」←スミマセン、でも60年生きちゃったんで、もうしばらくオミノガシを…

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〇こたきひろしさん「欲望だけが」8月10日(木)ご投稿分

パチ、パチ、パチ。ブラボーこたきさん。
詩ですよ、詩。これは詩です。しかも今まで私が読ませて頂いた「こたきワールド」では、最高の詩でした。

こんにちは、こたきさん。
もうこたきさんだから(って、なにが「だから」か自分でもよく分かりませんが)言っちゃいますけど、どうしてこんなにいい詩が書けるのに、時にど~しようもないものも書くんだろうと、ホント、不思議な人ですね。こたきさんは他人のものを読まないし意識もしないとおっしゃっていますから、参考にはならないでしょうが、この詩は、私が秘かに(って、別に隠している訳じゃないですが)敬愛するここの皆伝者さんの「風雅さん」に勝るとも劣らない、出色の出来でした。

ああ、こんな詩書いてみたいなぁと、心底、思いましたよ。
私には書けません、絶対に書けない、だからそういう意味からの「書いてみたい詩」なんですよ。

「汗の洪水」と「ノアの箱舟」と「交尾する二匹の蜂」は、中でも最高!
そのあと「かあちゃん」話になったんで、もしかしたらいつものこたきさんで締めるのかなと思われたんですが、さにあらず。父親とお袋さんの登場のための布石としての「かあちゃん」で、最後はちゃんと交尾する蜂に話を戻して、詩を締めています。読む者の心をしっかりと掴んで最後まで離さない。
これですよ、こたきさん、詩って。

いや~あ、よかったです。
極上佳作です。

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〇夏生さん 「夜は朝より」 8月10日(木)ご投稿分

夏生さん、お久し振り×4でしょうか。(山下 一歩さんが×2で、キャベツさんが×3だったんで)

一つの事象を切り取り、そこに己の想いを言葉に集中させて語る手法、私の最も好きな詩です。
それは言葉と精神が互角に立ち会える場でもある訳です。

初連の命題は良いです。
ギリギリの言葉の組み立てが、この詩の緊張感を明示しています。

2連目。
イメージは先鋭です。前連の命題の理由を現象で表現します。
ただ、これだけでは観念的過ぎて、輪郭を持って立ち上がる音とは何か、浮かび上がる光りとはそも何ものかと言う疑問が残ります。

3連目では、2連目の疑問は語られません。
しいて言えば、「夢と死」「現と生」が夜と朝とを比喩しているのでしょうか。

終連のオトシも、3連目とは別次元の話です。

私はこの手の詩は大好きなんです。
だからより自分事として読んでしまうのです。
この詩は正直言って、未完ですね。
ここには何一つ、夏生さんが出てこない。
事象は確かに鋭いし、言葉も知っている。しかしその言葉に精神が付いて行ってないと思います。

夏生さんはもうご自分の世界を持っているお方と判断します。
これだけの詩は、そんな簡単には書けません。今までかなり書き込んできたお方だということが分かります。
私もそんなに偉そうな事を言えるほどの者ではありませんが、しかし、この詩は物足りません。先ほど「精神」などと抽象的なことを申しましたが、この詩には言葉はあるのですが、その言葉に詩が寄りかかっているように思われます。それは反対で、詩は、言葉で持って詩を形成しなくてはいけないんじゃないか、そう考えているからです。

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〇澤 一織さん 「地図に載っていない集落を訪ねて」8月10日(木)ご投稿分

澤さんこんにちは。
訂正の件は承知しました。

私は投稿された作品はMicrosoftのOneNoteにコピペして、それを拝読しながら横に評を記します。今回は既にコピペしてあって、そして今回の修正版を併記させると、作者がどこに拘ったかが見えてきて、その詩作過程が伺い知れて、作者に対する新たな発見がありました。今回の修正版で、澤さんがいかに言葉のリズムを大切にしているかが分かりましたよ。

詩は、もう私の評なんていらないですね。
きっちりした構成に細心の注意を払って書かれた文体は、見事ですね。
そうですね。これが詩として成り立つ限界でしょうね。これ以上削っては、話が成り立ちませんからね。
最後の幻視的描写も良かったです。ここまでリアル現実(フィクション・ノンフィクション問わず)を書いてきての終連ですから、ここ外すと台無しになってしまうところですが、果敢に転換した情景は、この詩を一段高い次元へと誘いました。お見事でした。

極上佳作を。

(余談ですが、澤さん、小説家の『古井由吉(ふるい・よしきち)』って知っていますか。あんまり本市販されていないのですが、新潮文庫に『辻』という短編集があります。この人、現実と過去が全く違和感なく交錯する文体で、しかもなにより文章が美しいのです。この感性は、私はとても勉強になりましたね。一読をお勧めします)

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この評を書き始めた頃はあんなに暑かったのに、今日はちょっと涼しいくらいで、赤トンボが飛んでいました。
なんかおかしな気候ですね。
でも今回はいろんな作品があって、とても楽しかったです。
みなさん、次回も期待して待ってるでねぇ(by遠州弁)
 

8月8日(火)~8月10日(木)ご投稿分の評と感想です。その1

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2017年 8月16日(水)17時50分18秒
  雨音さん、お先に失礼します。

今回は15編有りましたので、2回に分けてUPします。
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〇緋奈さん 「サマンサ」8月8日(火)ご投稿分

緋奈さん、こんにちは。
多分、緋奈さんお久し振りだと思うのですが、以前パソコン飛んじゃって、前のデータがだいぶ消えてしまったんで、今回は真っ新な気持ちで読みますね。

詩はショートストーリーのようで、登場人物はサマンサと僕とマダムの三人だけですが、そこに語られたことから、様々な人生模様が想像されて、なかなか読ませてくれると感心しました。こういうものは相当手馴れてこないと書けないものなんだろうと思いました。

さて、ここに書かれている確かな手法や詩の取り回し方は認めるのですが、ここから立ち上がってくる詩情が、今一つ、希薄なんですね。演劇で言えば舞台装置があって、舞台に人物が登場して、その場のイメージは掴めるのですが、さて、これから何が始まるかという期待感があって、そしてそこで終わってしまっている感じなんですね。

この作品を延長すれば一篇の小説になるでしょう。だからそれはそれで、また別の分野の評価ができるように思われますが、この作品を詩足らしめるためには、「僕」なる人物の心情がもっと前面に出てきて、ストーリーはあくまでもこの作品を進めるための、従的存在にする必要があったのではないでしょか。

終盤に「かすかに聞こえる卒業式の校歌」という、とてもノスタルジックなイメージがあって、この一語をもってしても、緋奈さん、心に忍び入る詩を書ける人だと思いますよ。

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〇あさぎさん 「手元の標本 はるかなる本物」8月8日(火)ご投稿分

あさぎさんこんにちは。

まず、この詩の(ワタクシなりの)解釈から。

1連目から理解しようとすると、様々なシチュエーションが想定されてしまうので、お尻から行きます。

3連目。
 看板の明かりが煌々と輝く
 嘘っぱちの夜が長くなった →この2行は内容に関係なく秀逸な表現です。

「そんな時//君が残りの瞳を失った」とあります。実際の「種」は問わず、およそ身近にいる生き物には眼があって、大体は一対ですから二つある訳です。ですから作者も「残りの瞳」と言っている訳で、その残りの瞳を「君が誰かに譲った」と「風(の便り)に聞いた」訳です。でも「残りの瞳」を「誰かに譲る」などということは、例え比喩としての表現であってもどう言うことだろう、アタマん中、沸騰してきます。リアル現実を想像すれば、例えば(こんなことあるかどうか分かんないけど)脳死状態で献眼された人から更に残された眼が摘出されたとか(「君は待っていたのかい?/再び僕のような人間に出会うことを)、いやいや題は「標本」だから、なんか遣り取りできるような「瞳」の標本が「君」の手から他人に渡ったのか、それとも「瞳」そのものが何かの比喩なら、「眼」に拘ること自体が既に読みそこなっているのか…。

ここで1連目に戻ります。
ここには「残された瞳」があって、「僕」はそれを見ている。その瞳は「何も発信しない」し「受信もしない」という、無機質な状態にあるのですが、(それを見ている)僕は「怖い」けど「閉じ込められたみたい」で「うれしい」と、ちょっと異常性格者的書き方ですが、詩的にはとても面白い心情です。

2連目。
 ”ああ、まだいたんだ ぼくは”
うん?この「ぼく」はそも誰だ?

終連。
 昔、君からもらった瞳は今も僕を見つめているよ

ああ降参です。お手上げです。
まぁ、アンチョコに考えれば、「瞳」はかつての恋人か、その人から貰った手紙みたいなものと考えれば、なんとなく辻褄は合うんですけどね。

あさぎさんの世界は不思議な世界感があって、例えば草間彌生さんの絵はどうして点ばかりなんだと文句言っても、それが「草間彌生」なんだからしょうがない的納得があって、余人の域、超えてるかなぁ。
でもお作、いろいろ想像逞しくできて、楽しかったです。

評価は、三浦さん的ネーミング付で「このクソ暑いのに手間取らせやがってコノヤロー的、佳作半歩前」です。

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〇きのうの月さん 「本当の言葉」8月8日(火)ご投稿分

月さん、こんにちは。
前回投稿された「言葉」について、早速、詩にして頂きました。

月さんが書こうとされている詩題は、とても深くって、私もいつも考えていて、でもこれだ!というものに到達できません。ですからこのことは、一緒に考えていきましょう。

まずお作ですが、やっとその問題の入り口の扉を開けたように思われました。
私たちは人間ですから、まず頭で物事を考えますよね。
他の動物でしたら本能で行動するでしょうが、私たち人間は仮想状態を想定して、その先を推理できる能力があります。

では「本当の言葉」というものを仮定したとき、真っ先に何を考えたか(思い描いたか)。それがこの詩になったのですね。「本当の言葉」とは「飾らない」「魂から出たことば」という位置付けを、月さんはしました。でもそれは「苦しい」もののようです。「胸の真ん中あたりに/探しにいく」ものでもあるようです。
私には、それがどうして「苦しい」のか、そしてそれがなぜ「胸の真ん中あたり」に在ると思われたのか、そこに詩があるように思われます。そこを(自分なりに)解き明かす過程が詩になるのではないかと思われます。

人間は物事を観念でとらえることができる、唯一の生き物です。
でも観念そのものを書いても、それは詩としてはまだまだ不十分だと思うのです。
その観念に至った過程を紐解くところに、詩があるように思われます。

評価は佳作二歩前ということで。

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〇ひなのさん 「私と詩」8月8日(火)ご投稿分

ひなのさん、こんにちは。
今、内から外に向かおうとしているひなのさん、自分に対してガチンコの詩となりましたね。

「対偶」という言葉が出てきます。「Aが真ならばBは真である」→対偶「Bが真でなければAは真ではない」。ひなのさんの経済学的数学ではその通りなんでしょうが、詩的に考えますと、まず原判断が間違ってないことを考察する必要がありそうですね。詩では「ヘンペルのカラス」を考察しなくてはいけません。(アッ、これ私の詩を書く時の秘事です、バラしちゃった…)

時々、他の人の評でも書いたことありますが、私にとって詩を書く事は基本「スクラップ&ビルド」なんですね。ある時期が来ると今までの詩を解体して、新地にして、そしてまた新たに建てていく。ですからスクラップ期間は辛いものがあります。でもその期間が過ぎると、そこに新たに建つ詩は、以前とあまり違わないようですが、でも違うんですよ。そこに書く言葉に自信が持てるようになるのです。思い付きの言葉ではなくて、ここにこの言葉を置きたいと、心底、言い切ることができるようになります。今の延長上に、ひなのさんもきっと新たな「ひなの節」がビルドされると思いますよ。

最後の2行は自虐的ではありますが、宣言しているところが爽快ですね。
大丈夫、詩を書く輩なんて同じ穴のムジナ、大なり小なりみんな精神的ヤクザ者ですから。

評価は保留ということで。

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〇桜さん 「ずるい子」 8月8日ご投稿分

桜さん、初めまして、&、こんにちは。
桜さんは初めてのお方なので、感想を中心に書かせて頂きます。
また、ワタクシは相手に呼び掛けるように書いていますので、以後「桜さん」とお呼びさせて頂く事、ご了承ください。

さて、桜さん。
良いですね。とても刺激的詩精神をお持ちのようです。
ところどころ意味不明だったり、比喩や修辞に「?」を想うところがありますが、まずはご挨拶の詩としては最高でした。
詩の内容的には、今後ご投稿があれば、都度、私の読みをぶつけて行きたいと思います。

詩のスタイルですが、今作は散文的になっています。無理に改行するより、詩を流れとして認識できるから、私は今作では散文調に賛成ですが、これ、私のパソコンとの相性のせいか、変に文節が離れていて、読みづらいことハンパなかったんです。投稿欄で文頭を左端にカーソル置けば、少なくともこんなスタイルにはならないのではないかと思いますので、ご確認ください。改行、行開け、段下げも詩の一部ですから。

表記で一点、「ぼく」なのか「僕」なのかを統一しましょう。これって重要なんですよ。詩では一つの詩の中で、意図的に「ぼく」と「僕」を使い分けることもありますからね。

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〇中也さん 「花火」 8月8日(火)ご投稿分

中也さん、こんにちは&お久し振りです。

人の生死に関わる想いは、文学上では「恋」と双璧を成すテーマです。
それは人間だから、当たり前過ぎるほど当然のテーマなのであって、古今東西、一体どれだけそれについて書かれ謳われたことでしょう。そしてここにまたもう一篇、「中也節」による詩が追加されました。

基本、私はストーリー性に寄り添った詩は懐疑派なんですが、この詩は、ストーリーはあくまで伏線で、主題の「花火」と「生」とが交錯していて、とても深い感銘を覚えました。

詩のリズム、息継ぎ、流れ、接続詞、どれをとっても中也さん、細心の意識を払っていて、一言、お上手になられました(エラそうですが、心底そう思います)。

終盤「生」なる文字が多く出てきますが、それが気になりません。多分この言葉が、中也さんの中から自然発生的に出てきた言葉だからでしょう。心の言葉には無条件の説得力があります。
しかし中也さん、このテーマは中也さんの一生のテーマとして持ち続けられるだろうことには、なんら異論はありませんが、ここからもう一歩踏み出した中也さんの世界を見てみたいと言うのも、偽らざる気持ちであることをお伝えします。

お作、佳作です。

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〇耀子さん 「かくれんぼ」8月9日(水)ご投稿分

耀子さん、こんにちは&お帰りなさい。
はい、なぜ「お帰りなさい」なのかと言うと、今作は耀子さんが初めてワタクシ宛にご投稿された「この温もりの中に」の耀子さんに戻られたからなんです。

前作の「ごっつあん詩」は別として、最近ちょっと詩が愚痴っぽくなっていて、想いが詩にまで昇華されてないような感じでしたが、今作は、初回に予感した耀子さんでしたね。

まず、思わず「そうなんだ!」と感嘆したのは、かくれんぼって「鬼さんがいて」「探し回ってくれるから」成立するものであるということを、今更ながらに気付かされた事にあります。そうですよね、かくれんぼは一人ではできませんからね。探してくれる相手がいてこその「かくれんぼ」なんですね。

片方失くしたイヤリング。およそ対でなければ役に立たない物(たち)。それも探している時には見つからず、諦めかけた頃に見つかるのは世の常でしょうか。

しかしその片方失くして、やがて見つかったイヤリングはこの詩の前振りで、7連目の「私も」からがこの詩の主題へと入ります。周到に用意された前振りに、隠れた私と、鬼となって探してくれるはずのあなたとの関係が、一層、強く印象付けられます。イヤリングとのかくれんぼは終わりますが、わたしとあなたのかくれんぼは続いたまま。

最後の「あれから一年」はちょっと演歌っぽい感じがしないでもありませんが、でも、それを差し引いても、これは佳作です。

 

雲の鍵

 投稿者:メール  投稿日:2017年 8月16日(水)14時45分19秒
  変わった雲に
出会う
生まれてくる言葉がある
そよ風に揺られ
雲になって飛び出す
ぽこっ
ぽこっ
言葉の音がはじける

草原にねそべって
眺める空
僕の体に
降り注ぎ圧がかかる
僕はそれでも
ときめいて見つめ続ける

そういえば
あの時
君に伝えたかった言葉
雲に乗せたまま
鍵を付けたまま
記憶から遠ざけていた

君は
幸せそうに笑っていた
その傍には
僕以外の男
それでも嬉しかった
僕は嬉しかったよ

あの雲に鍵を渡そう
生まれる言葉に
添えてもらおう
立ち去る前に

URL : http://www.poem-mydear.com/

 

親×子 時々 子×子

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年 8月16日(水)08時45分9秒
  算数の足し算引き算は簡単なのに
人と人との言葉のプラス、マイナスは
どうしてこんなに難しいのか

一人ぼっちで待ってた寂しさを
紛らわすように
つまらなかった時間を取り戻すように
面白がってちょっかいを出してくる

困らせて楽しそうに笑ってる
相手にする暇はないけども、
少し合わせて、返してやると
倍返しでどんどんやってくる

ムキにさせて怒らせて楽してんでる
そして、小馬鹿にしてくる
大人はプライドを守らんとして
つい、汚い言葉が出てしまう

すかさず
「大人が言ってるんだから、子供も言っていいよね」
なんて言い返してくる

もう、お手上げ状態
私も会社帰りの買い物に足の疲れがピーク
余裕がないと、こうなる時もある

これで親としてやっていけるのだろうか?
先の事を色々考えてしまう

親×子  時々  子×子
自分はまだまだ親として
足りないと感じてしまう

もっとおおらかで聞いてあげられる
何でも知ってて教えてあげられる

そんな、母親が理想だけど
育ちもレベルも皆違うわけで
逆立ちすらできない

いつの頃からか
自分を隠すことなく伝える
それが確かなる母親としていられる為の
私なりの極意になっている

彼女なりに私を
沢山の人間の一人として捉え
様々な人間関係を築いてほしいと思う

だから、子×子になる事も
時にはあっても良いのかもしれない
親であっても完璧ではないから
そういう逃げ道があったりしても

どこまで話して良いのか
出過ぎず、引き過ぎず
自分も含めて見守る余裕を持っていたい
 

島 秀生様

 投稿者:あさぎメール  投稿日:2017年 8月16日(水)07時32分56秒
  評をありがとうございます。評の中でおっしゃっていたこと”朝起きた時、その日その時にいられるといいのにね。”私も同感です。一方で毎日そうなった嫌だなとも思いました。わがままですかね。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

Kazu.さま

 投稿者:澤 一織メール  投稿日:2017年 8月16日(水)00時18分54秒
  こんばんは。
いつもお世話になっております。
申し訳ありません。8月10日に投稿した「地図に載っていない集落を訪ねて」を修正しました。
見直しが遅くなったため、タイムオーバーでなければ宜しく、お手数御けしますが、宜しくお願い致します。
すいませんでした。

澤 一緒
 

島 秀生さま

 投稿者:澤 一織メール  投稿日:2017年 8月15日(火)23時20分48秒
編集済
  島さん、こんばんは。「再会の夏」のご批評・ご助言ありがとうございました。前回、原稿のご指摘もありがとうござきます。
ごめんなさい、初連・終連の「煙り」など言葉が統一されてませんでした、詰めが甘かったです。 修正をしていただいた終連、引き締まりますね。それをベースに初連は、「けむり」と間合いを持たせたいとも思ったのですが、すると終連が「けむりとともに」と読みにくいかなと。大事にしたいので、もう少し考えてみます。
詩と離れますが、専門家に任せるということ、大変同意するところです。疾病、また介護もそうでしょうか、境界線の難しさや共依存等の点からも重要だと考えます。また「あなたが悪いんじゃない」その言葉一つでその後が変わるという話(どんどん話がずれます)も思い出しました。ありがとうございます。
詩に戻ります笑。名作、恐縮です。最近「これは詩なのか」など、探求?自問?しながら書いていたので、この詩も実感が追いつかないというか、でもホッとしました。今日までの詩も含め、推敲しながら今後も自分なりの最善で書きたいです。今後とも宜しくお願いします。

あ、CMはサントリー天然水ですかね
 

島 秀生様

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年 8月15日(火)18時35分21秒
  こんばんは。
お盆でお休み中のところご批評、秀作との評価に大変嬉しくなりました。ありがとうございました。
花の名前を全く入れてないですが、まさに大当たりです。高さや大輪などから、わかってしまうのですね、驚きました!
ムクゲの白い花です。本当に皆上を向いて咲いていたので、こちらは暑いのとちょっとお腹が痛いなーと少し弱々しい歩きだったのですが、それを見たら
詩のまんまですが、シャキッと姿勢が正されました。題名にポリシーを感じて下さったとの事、ありがとうございます。近い存在・・・そう捉えられていて、こちらが気付かされたというか考えさせられました。ひたむきに上を向いて咲く花、なぜかこの日から私は白い花がお気に入りです。白い鉄砲百合も最近見かけ嬉しくりましたした。
評者様、皆様のところにも素敵な花との出会いがありますように。まだまだ、花は詳しくないので、少しずつ知れればと思います。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
 

島 秀生 様

 投稿者:耀子メール  投稿日:2017年 8月15日(火)18時12分21秒
  こんばんは 島先生、「ふいに」と「明けてゆく世界に」そして昨日は「理不尽な苦しみ」へのコメント有難うございました。
「ふいに」の舞台は避暑地などという洒落たところではなく我が家の庭にあるウッドデッキです。田舎の事とて、夜は明りも乏しく、星も綺麗に見えます。星空を見上げることが多く、いつもその美しさに心が吸われるようです。
「鴉が塒から帰る」の表現がおかしいとのこと。私も「塒へ帰る」が普通だということは分かっているのですが、我が家の前には借景の森があり、鴉の活動の場なので、ですから、塒から帰るとしてみたのです。島先生の案をいただきます。秀作プラスの評、とても嬉しいです。
「耀子さんは、こういう大きな視点で語れるところがいいですね。時に大それた言い方に失敗してしまうこともあるでしょうけど、失敗してもめげずに、挑戦していったらいいと思います。耀子さんのいいとこですから。」とのコメントくださってありがとうございました。ちょっとめげていたのですが、立ち直れました。色々のご意見をよく考えてみます。失敗も多いけれど、立ち直りも早い性格なので。
 

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