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Kazu.様へ

 投稿者:中也  投稿日:2017年10月10日(火)20時06分13秒
編集済
  Kazu.様へ
今回、二作品に批評していただき、本当にありがとうございます。前回、しっかりと詩に向き合っていかなければならないと決意して、今回、リベンジとお礼を兼ねて、二作品投稿しました。細部にわたり、きっちり読んで批評していただき、本当に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。まだまだ力不足を痛感し、もっと勉強しなくてはいけないと痛感させられました。恥ずかしい限りです。
自分の中で書きたかったことがうまく表現されてなくて、とても残念です。少し長くなりますが、今後のために述べさせてください。どうすれが良かったのか、次回にでも、アドバイスをいただければ幸いです。
「  記憶の中で人は生きている」
この作品は、一月前に母が寝たきりになり、永くないということで、海外暮らしをしている弟が数十年ぶりに日本に帰って来て、兄弟水入らずで子供時代や母との思い出話をしたことを思い出して書いた作品です。
一連から四連の話は恥ずかしいのですが、ありのままに書かせていただきました。幼年時代、とても家が貧しく、洗濯機もテレビもお風呂もありませんでした。書いてある通りです。四連目は今、弟と話している、現在のことを言っています。確かに物の豊かさを追い求めた時代を生きて来ましたが、貧しくても、家族がバラバラでも今となってはそんなことはどうでもよくて、記憶の中で人は生きているのではないかという思いに駆られて、そのことを書いてみました。時間は過ぎていき、自分も死んでしまうけど、また子供達の記憶の中で生きていくのではないかと思ったからです。
時代設定や表現の仕方に無理があって、うまく伝えることができず、とても残念です。ごめんなさい。
次に「 僕はカントになれない」
この作品は、ノーベル文学賞にカズオ  イシグロ氏が受賞したニュースを知って、以前彼の書いた「私を離さないで」を読んだことを思い出して、現代の世界情勢や人間の傲慢さなどを思い、カントの人間の尊厳ということを考える中で出来上がった詩です。
カントは人間は理性を持っており、理性的な生き方を説きました。またその上で、人間の人格に絶対的価値を置き、人格の尊厳を説きました。人には人として守らなければならないものがあり、仮定ではなく定言として、自分の中の善意志に従って行動しなければならないとしました。また国家を人格と同じであると説いて、互いの国家の尊厳を説きました。「永遠平和のために」では、国家の尊厳を脅かさないために、常備軍を持たないことを訴え、そのために組織を作ることを提唱しました。これを受けて国際連盟が発足し、今の国際連合につながっています。現代の世界情勢は国家の尊厳を互いに尊重しているのか疑問があります。たとえ価値観の違う国家であっても、人格を尊重するのと同じように、互いの国家を尊重しなければならないのではないかと考えました。永遠に平和になるために。人間の尊厳に価値を置くなら、生き物の尊厳を考えなければと考えて、人間の都合で生かされていると考えられる乳牛と養鶏場の鶏を例に出して、人間の傲慢さを書いてみました。私を離さないでは、臓器提供のために造られたクローン人間をテーマにした作品で、そのことを詩の中に書きて、自分のためなら、乳牛も鶏の尊厳も考えないなら、自分の命のためなら、臓器提供もするだろうという、自分自身の弱さを詩にしたかったわけです。現代の世界情勢を見ると、保護主義ポピリズムが台頭し、自分の利益を優先し始め、戦争への緊張が高まっています。現に世界中で紛争があとを立たず、人間は生き物の尊厳を踏みにじる存在になっています。本当にこれでいいのかということを、カントの哲学から考えてみたとき、私自身、カントのような人格の尊厳を持っていないことを自覚しました。それで、私はカントになれないとそのまま素直にタイトルにした次第です。
   Kazu.様  長々と言い訳のように自分の詩のテーマをを述べさせてもらいました。理解していただけたでしょうか?
まだまだ本当に力量不足で、うまく伝えることができません。
これからも頑張りたいと思っていますので、ご指導よろしくお願い致します。
中也はkazu.様よりほんの少しあとから生まれていますが、ほとんど同じ時代を生きています。
寒暖の差が激しい季節の変わり目です。どうかお身体をお大事にご自愛ください。
今回、長々と書いてしまい、申し訳ありませんでした。どう表現すれば良かったのか、今後、またご教授ください。
本当にありがとうございました。
2017年10月10日
                                     中也
 

Kazu.先生へ

 投稿者:森田拓也メール  投稿日:2017年10月10日(火)18時47分49秒
  Kazu.先生

こんばんは。
お忙しくしておられるところ、貴重なアドバイスを本当にどうもありがとうございます。
前回は、くれ先生に貴重なアドバイスをしていただいて、とても感謝の思いを持たせていただきながら、2回目の投稿となりました。

出だしの表現に注目していただけて、とてもありがたく嬉しく思います。
出だしの3行で最終行まで詩の緊張感を持たせられればいいな、と思ったのですが、
やはりとても難しいですね。
ぜひ、読んで下さる方に、いつの?誰が?青空と名付けたんだろう?っていう神話的な
奇妙な不気味さ(笑)を感じていただきたくて表現してみました。
Kazu.先生は僕のその意図をとても鋭く感じ取って下さり、表現して良かったな、って思わせていただいています。
たぶん、その「青空」と名付けた人は、神様が見えていて、神様と深く交感できた人なのではないかな、なんて僕は想像しています。
でもでも、僕は無宗教なんですけどね。(笑)

Kazu.先生も村上春樹さんがお好きとのことで。
僕も『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で24歳の時に初めて読書にはまり、
村上春樹さんのおかげで読書中毒になりました。(笑)
村上春樹さんが「僕は物語の力を信じています。」って貴重な発言をされていまして、
僕も自らの詩に物語性を大切に出来れば良いなって思っています。

前回のくれ先生と、今回のKazu.先生の貴重なアドバイスで、また僕の詩の経験値が上がりました。
また、次回もどうぞよろしくお願いします。
季節は寒くなります、Kazu.先生、そして皆様どうかお体の体調にお気を付けて元気でお過ごし下さいね。
本当にどうもありがとうございます。

 

Kazu.様へ

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年10月10日(火)17時15分28秒
  Kazu.様、

こんばん…こんにちは。
(日が暮れるのが随分と早くなってきましたから、挨拶の言葉に迷います)
「鳥」への評や、貴重な助言、気付きとなる感想を、ありがとうございました。
以前投稿しました、「鋼の鳥」から生まれた作でした。

Kazu.様のコメントにもありましたが、人も鳥も、生まれつき、捨てる事の出来ない『不自由』を抱えていて、飛行機に乗って国境を越えることができても、鳥の抱える不自由を知っていても、おそらくわたしは空の色を知る鳥を羨み続ける事と思います。
人であるわたしにも、身近なところに大切なものがある事はわかるのですが、やはり憧れを抱かずにはいられません。(この思いは作中には書きませんでしたが、終連後に一行、付け足せば良かったです。)

羽・翼問題ですが、はじめは翼で書いておりましたが、翼で進めていく内、わたしの脳内に合唱で有名な『翼をください』が浮かんできまして、悩みに悩んで「羽」をとりました。翼の方が「FLY」という雰囲気が出る事、逆立ちしてもヒトには持てないものという印象が深まる事など、わたしの中でもそういう認識があったのですが…。
細部に指摘をくださった事、次作へ活かしていきます。どうぞ、今後も宜しくご指導お願い致します。
 

10月3日(火)~10月5日(木)ご投稿分の評と感想です。

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2017年10月10日(火)16時13分6秒
編集済
  雨音さん、お先に失礼します。

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〇あさぎさん 「ラストシーン」10月3日(火)ご投稿分

あさぎさんこんにちは。

おっ、いつもと違う切り口できましたね。
ここでも断片的に書いているところは、やはりあさぎさんですね。

私は以前「演劇を見る会」に入っていて、定期的に見ていたのですが、正直、演劇の面白さというものには到達できませんでした。ただ小沢正一の一人芝居は印象に残っています。宇野重吉の最晩年はちょっと痛々しかったです。シェークスピアは高校生以来読んだことないし、最近、ついでにカミュの『カリギュラ』と『誤解』の二篇を読んだのが最後です。ただ、これは演劇として上演されてはいますが、現在ではやはり初期のカミュの「不条理」の作品という括りになっていて、その視点からの解釈が多いようです。

ですから私は、演劇と詩の相関性については考えたことがないので、よく分かりません。
特に演劇では、その内容もさることながら、その役を演じる役者さんの資質に大きく作用される要素があるので、純粋に言葉の世界だけでは捉えられないものに比重があるのではないか、とも思っています。

ですからごめんなさい、評をする前に、私の中にはない世界だったので、何も書けません。
ただ思ったことは、このように「詩」から入った方が、新しい表現方法を模索することは素晴らしいことだし、今後もいろいろ試されることには賛成です。

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〇中也さん 「記憶の中で人は生きている」10月3日(火)ご投稿分

中也さんこんにちは。

う~ん、この詩、悪くはないんだけど、なんかしっくりこないのです。
「あの頃」に求めるノスタルジーに現在の自分があって、人が生きて行くための「豊かさ」や「記憶」に裏付けされたアイデンティティーとか、とても深いものがあるのですが、なぜだろうと思いました。

で、考えたのですが、この詩の時代背景に違和感があることに思い至りました。

確かに私の子供の頃(現在ワタクシ61才)は、テレビもお風呂も自宅にない家ってありましたね。私の家はお風呂は有りましたが、テレビは昭和39年にはありました(ってことは、その前いつからあったかは不明)。なにせ昭和39年の東京オリンピックを家で見た記憶が微かにある程度ですから。それから都会では家風呂ってなかなか持てなかったんでしょうね。かぐや姫の「神田川」(ワタクシ高校生の頃)も四畳半一間に銭湯ですからね。そして詩の冒頭の洗濯機がなくて川で洗濯ってのも、山間部では有り得たことでしょう。
しかし4連目の「あの頃から/ほんの少しだけ/時間が過ぎただけなのに~」ですと、昭和40年代ってところでしょうか。少なくとも今からは50年前の記憶ということになりますよね。すると作者は今何歳ナンダという疑問があって、いや作者が詩の中で何歳でも構わないのですが、仮に50年前を回顧する設定ですと、今のワタクシと同じという年代設定になるんですよ。
だとすると、私たちは若い頃、洗濯機を全自動にして、大型(と言ってもせいぜい28型)カラーテレビを買って、借金で家建てて居間に一台だけクーラー取り付けて、車も買ってと、物質の「豊かさ」を追い求めてきた過去を、「決してお金では買えない」と言い切ることに躊躇いがあるんですよ。もちろん、ここでは「心の豊かさ」を言っているわけですが、しかし洗濯機もテレビも無意味だったと思えない自分がいるのも確かなんです。物質の豊かさに日々の生活の豊かさを見て来た者として、「豊かさって/決してお金では買えない」と書けない自分がいるんです。
まぁそんなことには頓着ない人もいたでしょうが、私の知る限りでは、周囲は大同小異、似たような人たちでしたね。だからこの詩、ワタクシ世代では「う~ん」となってしまうんですよ。

この詩にあって一番良かったのは、最後の1行「おかしいよね」です。
自分の想いを「おかしい」とすることは自己否定になりますが、そういう言葉の裏では、そんな自分を愛おしいと思う無言のもう一人の自分がいて、その二重性にこの詩は救われていると思われます。
この一語が出てくるところに、中也さんの詩の深まりを感じました。

評価はワタクシ的61才のため「佳作一歩前」です。
(別の評者さんなら佳作だったかもしれませんが…)

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〇葉月 祐さん 「鳥」10月5日(木)ご投稿分

葉月さんこんにちは。

葉月さんの詩の特徴は、詩をこじんまりとは捉えない、スケール感の大きさにあると思います。それはただ空間の話だけではなくて、詩そのものを包括する見方が大きいのであって、それが葉月さんの魅力のひとつです。
今作も鳥と人間、それは 大空と大地というスケールに転嫁されていて、その間を行き来する想い(眼)がとても聡明です。

詩はただ鳥の存在を言及するだけでなく、鳥とわたしとヒトを置き、

 わたしは
 羽を持たず
 地面を踏みしめ歩く
 ただのヒトだ

という連は特に素晴らしいの一語に尽きます。
4行目の「ただのヒトだ」という自己認識の1行には、私はカウンターパンチを喰らった思いでした。
この行を言い切るには、確たる信念がなくては書けない言葉です。
この心境に達した葉月さん、こころから拍手したいですね。

さて、これだけいいもの読ませて頂くと、後はもうケチと粗探ししかないですね(笑)。
だからではまず粗探しから。
これは好みの問題なのですが、「羽」と「翼」の関係です。
きのうも地域の回覧板で「赤い羽根」が廻ってきました。
この「羽」にはどちらかと言うと「羽根」「羽毛」のイメージがあって、空力抵抗や上昇気流に乗って飛ぶ「はね」は「翼」をイメージしたいですね。これは個人的嗜好の問題が大きいので、勿論「羽」でも構わないし、朗読したら「TU-BA-SA」より「HA-NE」の方がしっくりきます。ただ字面からすると、どうしても羽毛の類が脳裏に浮かんでしまって、一呼吸おいて「ああ、空飛ぶハネか」と思った事でした。

次にケチを。
鳥→羽→飛ぶ→空→自由という連想は問題ないです。
しかしでは鳥→自由と、中飛ばしで考えると、本当に言い切れるのか、ということなんですね。
詩は鳥→自由という前提で考察されていて、そしてそれはもう完璧といっていいほど思考された詩となっているのですが、ホントにそう言い切れるものだろうかという疑問を差し挟む余地はないのか、ということなんです。
何度も申し上げますが、この詩はもう完璧に近いと思うし、随所に読ませどころ(私は内心では「泣かせどころ」と言っていますが)はあるし、改行、漢字ひらがなカタカナ、どこを取っても心配りの行き届いた詩になっています。文句はありません。(だからケチをつけているだけなんです)

私は物事は表裏一体だと、常々、思うのです。
鳥は確かに空を飛べて自由に思われます。
でも、では鳥に不自由はないのか。或いは自由・不自由はヒトの立場からの問題であって、鳥自身の問題なのだろうか、と。そこまで考えた末に、でもやはり鳥は自由でいいなぁと感じたか、ということなんですよ。初めに鳥→自由ありきの場合と、鳥→自由→ほんとに自由か?→やはり自由だ!では、詩もおのずと違ってくるんじゃないかと、私は思うのであります。

評価は「極上佳作」です。これしかありません。

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※@すみっこさん「後から涙溢れて(評不要です)」10月5日(木)ご投稿分

評不要ということでしたので、ではちょっと感想を(笑)

この詩がどのようなシチュエーションで書かれたか、そこは不問といたしましょう。
内容的にも不問です。
ただ@すみっこさんの中で書かずにはいられない衝動があって、本来でしたら公衆の面前に発表することに躊躇いがあったかも知れません。しかし、今ここにある訳です。

それこそが本物の詩だと、私は思うのです。
では、そうではない詩は本物ではないのか?といわれると、ちょっと困りますが、でも詩って「書かれたがっている詩」と「読まれたがっている詩」があって、そのどちらも本物だと思っています。

この詩は明らかに「読まれたがっている詩」ですね。
@すみっこさんが書きたくなくても、この詩は読まれたがっていたのです。ですから結果、今ここにあるのだと思います。

その想い、私は確かに読ませて頂きましたよ。

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〇耀子さん 「スマートに歩こう」10月5日(木)ご投稿分

耀子さんこんにちは。

ある所作をスローモーションの映像で見ると、いつもしている動作でも、結構複雑な動きをしていることが分かります。映像はそのまま脳に語り掛けてくれますが、それをこの詩のように言葉で表現しようとすると、これは言語へのイメージ変換が伴うために難しいことです。
そのあたりを耀子さんは意識して書いていて、なるほど、いつも下を向いている足の裏も、本来あるべき形というものはこうあるべきだと教えられ、我が身の一部ながら健気に思われたりします。
その前振りから事は己の歩き方に言及していき、自分の在り方を隣人に教えられる。この展開が実に素直で、嫌みがなく、耀子さんのお人柄が伺えます。

歩き方に限らず、人は自分の事は自分が一番知っているようでも、客観的には、自分は自分に最も遠い存在だということに気付かされます。そのあたりの成り行きが鮮やかで、これはとても良い詩だと思いました。

村野四郎というエライ詩人に「体操詩集」というのがあって、人の動き(体操)をモチーフに精神に迫ると言う詩がありますが、これもまた現代版「体操詩」ですね。

詩の最後はしっかり着地していて、この連があることで、この詩は締まったものとなりました。
意識して歩いた姿勢の成果がどうであったかは、読者に委ねられます。
この余韻がいいのです。

評価は「佳作」とさせて頂きます。

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〇森田拓也さん「さよならは青空の隣に」10月5日ご投稿分

初めてのお方です。ようこそご投稿くださいました。
森田さん、私は評を書く際には呼び掛けるように書いていますので、「森田さん」とおよびさせていただきます。それから森田さんは初めてのお方なので、今回は感想を中心に書かせて頂きます。

さて森田さん、出だしの2連、おっ、いいなと思いました。
詩を書くにあたって、詩ってなにかということが分かっている人と思いました。
これ、言葉で説明するのはとても大変で、何があれば詩であって、何がないから詩じゃないというのは一言ではとても言えません。唯一90年前に萩原朔太郎が『詩の原理』で語っていますが、それでもまだ完全じゃないと思うのです。じゃあどうして「詩が分っている」なんて言えるのかと言うと、それは直観なんです。不肖、私も詩を書いているから、直観的に嗅ぎ取ることができるのです。

ただ、3連目以降が「君と僕」の話で終始してしまい、ちょっと残念でした。
私は森田さんに、「誰かが言った」、「神様が気まぐれに描かれた空」をどうして「青空」と呼んだのか、そこに焦点をもってきて欲しかったと思いました。
この発想は、少なくとも私は今まで一度も読んだことなかったものだったので、最初、ヤラレタ、って思いました。この発想は良いですよ。

誰が、いつ、どのような理由で「神様」がしかも「気まぐれに描いた空」を「青空」と呼んだのか。この雄大な疑問に向けられた眼こそが詩人だと思うのです。

森田さんの答え、読みたいなぁ。

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〇中也さん 「僕はカントになれない」10月5日(木)ご投稿分

もう一篇、中也さんです。
最初に冗談を。「カントなんかにならない方がいい」(笑)

まずこの詩の評は「佳作」といたしましょう。
御詩、とても順序&理論立てて構成されていて、これぞ中也さんと思いました。
社会性があって、時事物を素早く巧みに取り入れていて、その能力も技量も高いものと思いました。

で、これからはこの詩に関するおしゃべりを。
一方的に話しますので、中也さん、とりあえず聞いて下さいね。

まず私は浅学にして「カズオ・イシグロ」なる人物全く知らなくて、「私を離さないで」というドラマがあったことも知りませんでした。で、新聞に出ていたチョロッとしたストーリーで、そんな発想がフランツ・カフカ的と言われたんだろうと想像しました。一度も読んだことない作家については何も申し上げることはできませんが、カフカはまあまあ読んだので、自分なりのカフカ像はあります。カフカは「不条理」作家と言われていますが、彼の不条理は執拗で病的です。(アルベール・カミュの不条理とも違うと思っています)
そのため途中で投げ出した作品はいっぱいあって、数行で止めてしまったものも多数あれば、『城』のように、細かいポイントの活字で500ページに及んでなお未完の作品があったりで、とても変なオジサンです。
そのカズオ・イシグロの作品に触発されたのであれば、なんで「カント」なのかな、と。

私は哲学的に物を考えることには興味がありますが、哲学そのものはとても理解できません。カントはその後の哲学者たちのように、意図的に日常語をひん曲げたりしない(『カントの人間学』中島義道 講談社現代新書p16)と言われていても、『純粋理性批判』が読めません。そんなわけで中也さんに「カントになれない」と言われましても、そうですか、としか反応できません。「カント」にはいつも詩のような脊髄反射が起こらないのです。

従いまして、この詩は中也さんの真意を読み取れなかったのかも知れませんが、私なりの理解能力範囲で「佳作」とさせて頂きました。

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〇ひなのさん 「感傷の季節」10月5日(木)ご投稿分

ひなのさんこんにちは。

「ほころび」と「ほろぶ」。こういった語感のセンスはとびっきりお上手なひなのさんです。
これ漢字にしてしまうと「綻び」と「滅ぶ」ですから、なんの情緒も感じられませんが、ひらがな故の目先の妙でしょう。また朗読でも生きてきますね。これが「ほころびる」になるとまた違った意味があったりするので、この辺りの使い分け、お見事ですね。

詩中、「エゴイズム」と「センチメンタリズム」という生硬なカタカナが出てきます。ふつうこの言葉は、ひなのさんクラスですと限りなくアウトなんですが、初っ端の題で「感傷」と出しておいて、「カーディガン」「カラカラ」「ダークカラー」と詩に組み込まれたカタカナに、ほとんど抵抗なく読ませられてしまいます。ハイ、これ、確信犯ですね。ひなのさんは良い意味で「悪い人」ですね。

この詩にあって圧巻だったのは5連目。

 色あせた花弁の端を
 震える指でなぞる
 その輪郭は
 先にいくほど乾いていて

この仕種の表現がたまりません。
久し振りに「ひなの節」を堪能しました。

お見事でした。
「極上佳作」に花丸付きで。

(あとは余分な事かも知れませんが、ひなのさん、詩に「色気」が出たらもう何も言いません、否、言えません。←「色気」ってウッフンじゃなくて詩から立ち上ってくる「品」のようなものですよ。今でも充分「品」はありますが、もっと、ドキッ!とするくらいの「品」の事です。どんなのかオマエ書いてみろよ!ハイ、書けるものならワタクシとっくに書いています…)

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村上某さん、なかなかノーベル文学賞取れないですね。
ワタクシは一時期、村上文学にハマってしまって、文庫本や古本、作家論まで含めて書架に33冊あります。でも『東京奇譚集』以降は一冊も読んでいません。『海辺のカフカ』でちょっとなぁと思ってしまったのが原因です。その後の作品も初刷に100万部といわれても、そうですか、と思っただけでした。
ノーベル文学賞でホントに残念だったのが「安部公房」ですね。
谷崎と三島はどっちでもいいのですが、安部公房には取って貰いたかったですね。彼は初期には詩も書いていますが、本質、彼の文体には詩を感じます。『安部公房全集』(新潮社)全30巻はネットで10万円です。とても手が出ないので、文庫本25冊以外のもの2巻購入しました。いいですね。ホレボレします。
川端康成は『伊豆の踊子』だけです。
大江健三郎氏に至っては、一冊も読んだことありません。(←それじゃあ、ダメじゃん!)
 

贈り物

 投稿者:あさぎメール  投稿日:2017年10月10日(火)07時42分28秒
  色彩を知覚できるのは神様からの贈り物
贈り物だからたまに神様も忘れてしまう
贈り物貰えなかった人には色彩がない
その人にとって世の中は静寂を保っている
わけではなくて、物事の真ん中がぶれずにわかる
”きれい”や”明るい”とは別の尺度を育んでいる

優劣をつけるのは違うけど、神様どうして?
と思わずにはいられない
 

子守唄

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年10月10日(火)06時01分24秒
編集済
  もしも
あなたの揺り籠に
揺られて大きくなっていたら
見上げた空の色は違ってたかな

笑い方も
話す言葉も
全部違ってたかな

もしも
あなたの揺り籠に
揺られて眠っていたら
安心して夜は終わってたかな

甘え上手な
あの子みたいに
可愛いくなれてたかな

あなたの揺り籠には
もう戻れない
この世で初めての
掌の温もりも
記憶のない日々に
埋められている

そんな私にあなたがくれた
一つの鞄には
今も変わらぬ愛情が
詰められて膨らんでいる

もしも
見る夢を選べるなら
どうか一度だけで
構わないから

優しい手でゆっくり
私を揺らしながら
微笑みかけて
あなたの子守唄が聴きたい
 

秋雷の夜

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年10月 9日(月)23時57分32秒
  夜の静寂を切り裂いた
突然の絶叫が
鼓膜に突き刺さると
浅い眠りは粉々に砕け散った


慌てて逃げ込んだ
毛布の繭の中
眠れない焦りと心音が
大きく膨らみ続ける

わたしの傍では
ざあざあ、と
夜が 泣き喚いているのだが

その哀しみを拭う者は いなかった

強く塞いだ耳元からも
流れ込む轟音が
胸の奥に荒波を立てては
深夜の部屋を
途切れとぎれに照らすが

雷光の群れは 心までは照らさなかった


止まない雨音 落ち着かない部屋の中
散らばる心音 束ねられない感情の山

時おり
無言の稲妻達が
明滅を繰り返して
即席の繭へ逃げ込んだ
わたしを捜しているようで

見付からない事を願うばかりだった


  窓硝子を震わす秋の叫びに
  きつく目を閉じ
  耳を塞ぐ

  眠れない今も

  時間だけが
  朝へ向かって
  変わらぬ速度で歩いている


もう一度
強張った体から
力を抜いて
やんわり目を閉じた

諦めるように 受け入れるように

眠れない者にも
夜明けは
等しく訪れるのだから
今はその時を
待つしか無いだろう


溜息を吐いた傍から 騒がしい夜へと溶けていく


 

輪郭――たとえばあなたとわたしの場合

 投稿者:ひなの  投稿日:2017年10月 9日(月)22時55分12秒
編集済
  指を絡めて
手のひらを重ねる
あなたの肌の感触
わたしよりもすこし冷たい
あなたの温度

こんなに近くにいるのに
あなたはあなたで
わたしはわたし

どんなにきつく絡めても
あなたはわたしには
なれないし
わたしもあなたには
なれないの

繋いだ手の輪郭を
そっとなぞる
あなたとわたしを隔てるもの

何度なぞっても
この境界線は
消えてはくれない

だから
あなたはあなたで
わたしはわたし
違うから
きっと愛せるの

限りなく近づいても
決して
交わりはしない

あなたとわたしを
縁取る輪郭は
反比例の双曲線
その端っこあたりと似ている

あなたの輪郭
わたしの輪郭
決して交わらない
故の 愛おしさよ

......................................................
【蛇足】

以前、ちらと申し上げた「輪郭」についての詩になります。

今回の「輪郭」は近しい人との輪郭の有り様について。
今回は「カフェオレ」よりもテーマをニッチに絞りました。
輪郭なんて、接する物や世界によってその意味を変える。
普遍であり続けるのは無理なんだな、と思いました。

こんなところに所謂「無常」を見つけて、古典の世界に
思いを馳せる私でした。
 

島 秀夫さま

 投稿者:ひなの  投稿日:2017年10月 9日(月)22時46分11秒
  「frontier」に名作をありがとうございます。

最近になってようやく「詩人とはなんぞや」の
面影がつかめてきたように思います。

成功っていったいなんなんでしょうね。
私が盲目的に信じてた成功は、誰かが描いた青写真だった
ということが分かりました。

frontier=開拓者。道なき道を歩んでゆく人。
これを書き終えて見直ししているとき
高村光太郎の「道程」が思い浮かんできました。
「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」
ああ、こういうことだったのか。
ようやく実感を伴って理解できたのです。

最近はなんだか気分が安定していて、
泣くことより笑うことが増えた気がします。
ずっとこれが続けばいいのになぁ、なんて思いながら......

この度もありがとうございます。
 

島秀生様

 投稿者:夏生  投稿日:2017年10月 9日(月)20時20分56秒
  拙作「雨の日の学校は」に秀作と評をくださいまして、ありがとうございます!

台風や荒れたお天気の日、雨降りの日の薄暗さになんとなく恐さを感じていた頃を思い出しながら書きました。

不思議と教室全体が穏やかな雰囲気になって、やさしく感じられて好きでした。
オルガンの描写のご指摘、ありがとうございます。
古いオルガンでしたから、足で踏んで空気を送るものでした。
これからも自分だけの感覚で走りすぎないように、細部まで描写、を心がけます。
 

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