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島 秀夫さま

 投稿者:ひなの  投稿日:2017年10月 9日(月)22時46分11秒
  「frontier」に名作をありがとうございます。

最近になってようやく「詩人とはなんぞや」の
面影がつかめてきたように思います。

成功っていったいなんなんでしょうね。
私が盲目的に信じてた成功は、誰かが描いた青写真だった
ということが分かりました。

frontier=開拓者。道なき道を歩んでゆく人。
これを書き終えて見直ししているとき
高村光太郎の「道程」が思い浮かんできました。
「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」
ああ、こういうことだったのか。
ようやく実感を伴って理解できたのです。

最近はなんだか気分が安定していて、
泣くことより笑うことが増えた気がします。
ずっとこれが続けばいいのになぁ、なんて思いながら......

この度もありがとうございます。
 

島秀生様

 投稿者:夏生  投稿日:2017年10月 9日(月)20時20分56秒
  拙作「雨の日の学校は」に秀作と評をくださいまして、ありがとうございます!

台風や荒れたお天気の日、雨降りの日の薄暗さになんとなく恐さを感じていた頃を思い出しながら書きました。

不思議と教室全体が穏やかな雰囲気になって、やさしく感じられて好きでした。
オルガンの描写のご指摘、ありがとうございます。
古いオルガンでしたから、足で踏んで空気を送るものでした。
これからも自分だけの感覚で走りすぎないように、細部まで描写、を心がけます。
 

海の唄

 投稿者:夏生  投稿日:2017年10月 9日(月)19時59分5秒
  くたびれた海藻と
欠けた貝殻
をよけながら
一歩一歩
沈む
波になめられた砂
に穴があく

命をたらふく
食んで
まだ足りない
命を育んで
まだ足りない


海に向かって
走った
幼い頃に
聞こえた
海の唄

今は
耳を澄ましても
波の音しか
聞こえない
貝殻を耳に
近づけてみても
風の吐息が
過ぎてゆくだけ

素足になって
波の舌さきにふれた
つめたさに絡まれ
かわいた砂に
にげた

陽の光できらめいた
海の上を
釣り船がうれしそうに
縫っていく

命をたらふく
食んでも
まだ足りない
命を生んでも
まだ足りない

ゆらゆらゆれる
海に合わせて
遠い記憶の
海の唄を
のせてみる

押し寄せる波が
大きな手に見えた日を
思いだした




 

これからも

 投稿者:ココア  投稿日:2017年10月 9日(月)16時00分41秒
  いつもどんなときも
僕は前向きに
笑いながら
諦めることなく
歩いていく

ときには迷って悩んで
どうしたらいいか
分からなくなる
そのたびに
空を見つめて
思いだす

僕がこうして
この世界にいて
誰かと触れ合って
想いを巡らせて
生きていることを

いつも通りに
繰り返される
毎日は愛しくて
幸せなことを
胸に留めていく

できることも
できなくなるけど
この道が終わりそうに
なったとしても
消えるまでは
僕のために
できることがある

枯れそうになって
涙が零れたら
ありがとうで
潤して
優しく抱きしめれば
前が白く眩しく
明るくなって
いつづけてくれる
 

この想いを

 投稿者:ココア  投稿日:2017年10月 9日(月)15時59分49秒
  僕が優しくこの想いを
抱えることができたら
たぶんそれでいい

誰かに求めても
返ってくるものは
限りなくない

この世界には
同じ人はいなくて
それぞれ違うから

諦めているわけでも
悟ったわけでもない
あなたから僕の目線へと
変えていきたい

何気ない時間と
穏やかな日差しに
ありがとうを添えて
好きなことをやって
生きていきたい

その中で、与えてくれる
触れる手が
温かかったら
目を合わせて
笑い合いたい

僕もあなたも
そっと受け入れたら
見える景色が
愛しくてかけがえのないものだと
思えたから
 

島 秀生 様

 投稿者:あさぎメール  投稿日:2017年10月 9日(月)08時48分38秒
  評をありがとうございます。仰る通り、私自身も「紐解く」の意味は本来違うよなあと思いながら何となく使いたいから使った表現です。総じて、今回の投稿は何となくで作成したものでした。今後もよろしくお願いします。  

廃線の秋

 投稿者:ゴンドラ  投稿日:2017年10月 8日(日)23時49分28秒
  光きらめき
人で賑わう都会から
各駅停車の旅をつらねて
終着点はもう間近

大勢の乗客も
駅に到着するごとに
ひとりまたひとりと降りて行き
残るはわたしただひとり

出発したとき
季節はいつだったか
思い出せないほど
遠いむかしのこと、ただ

風に舞い散る桜のはなびらが
灯りに一瞬浮かび出るのを
夜のプラットホームから
見ていた気がする

そして今
車窓から見えるのは
山里を
橙に染める柿の実

高木から
日光に湯あみしながら
黄金色にきらめき、流れ星のように
散ってゆく落ち葉

その一枚一枚が
日めくりのカレンダー
残された時間は
もうあとわずか

「お客さん、終点ですよ
この先は廃線になりました」
いよいよこのわたしも
列車を降りなければならない

人気のないプラットホームの
先頭に立ってながめると
線路はすぐ先で
生い茂る野草の中に消えていた

もはや行くべき場所もない
けれど
なぜかわたしの心は
孤独の中にも
至福の眺めに安らいでいた

枕木と砂利のすきまに
かろうじて根をはやし
覆いかぶさる雑草をはねのけるように
背を伸ばし

今まさに
花を咲かせた一群のコスモスが
わたしを
出迎えてくれたから
 

島 秀生 様

 投稿者:タルコンティ  投稿日:2017年10月 8日(日)23時48分29秒
編集済
  島 秀生 先生
 こんばんは。
 御多忙のところ拙作に御感想及び御指導を有難うございます。
 心より御礼申し上げます。
 未熟な作を置いてしまい申し訳ございませんでした。
 自分で色々といじくっているうちにかえっておかしくなってしまったようです。
 本作は基本的には雑踏の中にポツンと立っている老人のイメージです。
 「帰らない忘れ物」ですので、いわゆる現実の忘れ物ではありません。
 「便り」も老人の脳内に届くわけで所謂郵便物ではありません。
 いずれにしましても表現が未熟ということだと思います。
 先生の御指摘してくださった点を熟考して精進致したいと思います。
 引き続きどうぞ宜しくお願い致します。
 
 

島 秀生様へ

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年10月 8日(日)22時22分44秒
  島様、

こんばんは。今回も拙作への評と感想をくださり、ありがとうございました。

以下、ややこしい補足説明となりますが…。

「花」に出てくる『わたし』は祖母を、また、『あなた』は亡き祖父をイメージしており、
作中の教えにあたる文面は、わたしが日々、祖母へ思う事であり、願いです。
(このあたりの表現は、説明が要らないように、もう少しスッキリさせていきたいです)

わたしには祖母に諭すという事はおそらく出来ないのですが、
もしも今祖父が生きていて、祖母の側にいたならば、作中に書いたような事は言わなくとも、昔のように、お互いに優しく支え合っていたのではないかと、今でも思います。そのような光景を思い出しながら、思いをのせました。

タイトルや作の長さは、思うところあり、半ば衝動的に書いた作でもあったので、タイトル負け以前に、読む方へ失礼の無い作品になっていないかが一番の気がかりでした。
もしもひと欠片でも、読んでくださった方に何かをお届けする事が出来ていたなら、わたしはただただ、嬉しいです。

寒暖の差は全国へ広がっているようですので、島様、皆様も、どうぞお身体ご自愛ください。
これからもどうぞ、宜しくお願い致します。
 

評、9/26~9/28、ご投稿分、残り。

 投稿者:島 秀生メール  投稿日:2017年10月 8日(日)21時31分47秒
編集済
  残り、遅くなりまして、すみませんでした。
あのー、もう251号に来てますので、お祝いはいいですよ。私が返礼しているだけですので。
ありがとうございました。


葉月 祐さん「花」

「花」という、とても大きなタイトルで来たので、どうなることかと思いましたが、タイトルに負けてないですね。
葉月さんにしては短めなんだけど、いい詩でした。名作を。
教えてくれたのは、ちょっと年配の女性じゃないかな? 女性の一生の生き方というか、気概というかを、優しく諭してくれているようです。
いや、私も聞き惚れました。比喩も程よく効いていて、文体もキレイです。


ひなのさん「frontier」

お、ステキですね。道路の白線の喩えがくっきりしていて、映像的にはこれを軸にして、思考が展開していきます。
「約束された成功だと/思っていたものは/狭い世界の中で育った/足かせにすぎなかった」、これは本当に物事の核心ですよね。
架空の足枷なんて取っ払って、「どうであっても大丈夫」の意気込みで、進んでいって下さい。
「山よりデカイ猪は出ん」、昔の人はいいこと言ってます。私、この言葉、好きなんです。タイトル「frontier」も、この意気込みにピッタリのタイトルでした。いいでしょう、名作を。
やや比喩が甘いんですが、今回はロジカル中心なので、まあ仕方ないとこだと思います。その分、中味が凝縮してますから。このままでOKです。


こたきひろしさん「天国へたどり着けず」

私の期間、火曜~木曜までの3日間に3作投稿してますよ。一週7日間のあいだで、間違えて3作になっちゃった人はいますけど、ベテランの人で火曜~木曜の明らかな3日間で3作出してきた人は前代未聞ですね。ちょっと「無頓着」ということだけでは、かたづけられないものを感じますので、何も書かないでおきますよ。
まあ、フツウは「次回、気をつけて下さいね~」で済ませるんですが、こたきさんて、それをすると次回も平気でまたやる人だから、問答無用にします。
ルール守って下さい。以上。


夏生さん「雨の日の学校は」

そうでしたっけ? 「雨の日」だけではピンと来ないけど、たとえば台風の時とか、台風みたいに雨風が強くて一人で帰るのが不安になるような時は、なるほどそうだったかもしれませんね。オルガンがあるし、小学生イメージで書かれている詩だと思いますが、ちょっとフツウの降りじゃない雨や風の時は、みんなおとなしかったですよね。いじめっ子もイジメをしなくて、いつも一人でいる子も寄ってきて、外は天候が荒れてるけど、教室の中は平和で静かな時間だったかもしれない。
その時間が好きだったんですね。その時を「優しい時間」とまで呼ぶのは、そこに作者の意思を感じます。クラスにとっての理想的な姿は、皮肉にもそんな天候の時にあったのでしょう。着眼がステキだと思いました。この優しい時間をきっかけに、いじめっ子もはぐれっ子も、みんな仲良くなれればいいのになあと思いました。なんか、これを元に、一冊絵本ができそうですね。秀作を。

「音色下手っぴな音色」は、ちょっと言葉がわかりにくいので「下手っぴな音色」ではダメですか? たぶん、足踏み式のオルガンなんだと思います。音色なんて、電気なら単音は誰でも同じ音ですが、足踏み式は空気の送り込みとうまく合わないと音がうまく出なかった。そのことを言ってるんだろうと思います。今の人は知らないから、このオルガンのところはもうちょっと丁寧に書いたほうがいいですね。


こたきひろしさん「私はここにいる」

どうしても何かくっつけたいんですね? 何度も言ってますけど、後ろに余計なものをくっつけると、せっかく真面目に書いた前の部分をマイナスにしちゃうということを、そろそろ理解して下さい。「気がつくと」以降、後ろの4連のSFはいらんでしょう、どう見ても。
自分が楽しいものを書いてるということなんでしょうけど、後ろ4連を書いて楽しいのは、たぶん書いてるこたきさんだけだと思います。私は呆れてます。
それにここは詩のサイトですから、「詩」及び「詩に見える」範囲をわきまえて、出してきて下さい。いろんな意味で、後ろ4連はアウトです。

雨の降る日で傘を持っていない時、意図しない車に誘われて、乗るか乗らないか迷う場面というのは、人生に何度かあるような気がします。まあ私なら、この場合、女性のほうをなるべく遮って、運転手の男の方に「すまんね」とか「ありがとう」とか、わざと男の方と大きな声で話すようにしますけどね。機嫌が悪い男の方の懐に入るよう配慮しますよ、私なら。
途中までは、心の細部に入って描けていて、とても良かったです。秀作半歩前を。(後ろ4連を書かなかったら、もっと評価を上げていたところです)


タルコンティさん「老人」

1行ずつを読むと、詩情はあるんですが、詩全体の流れで読む時、いくつか躓くんですよね。
3行目の「~忘れ物を探し」の詩行のあとって、「探し」ですから当然歩いてる映像を想像するんですが、
4行目の「物思いに頸を傾げる」は、どう考えても、座ってるか、立ち止まってるか、なんですよね。これが一つめの違和感です。
5行目、「杖は後ろに寄り添って」ですが、「人生」目線で言えば「後ろ」かもしれませんが、物理的には、たいてい老人は前かがみで、杖も足より前側に突いているので、「後ろ」というのはこれも違和感あります。
ただ、6~7行はいい詩行なので生かしたい。「杖は老人に寄り添って/こつんこつんと/詰まり過ぎた思い出を叩く」で、どうですか? 特に4行目を歩いている設定の言葉に変更すれば、ここも歩いてる姿なので、1~7行目までの映像が繋がって、いいと思います。
で、どうにもわからないのが8行目です。「便りがはるばる届いた」は、どういうスタンスなんだろう? 老人に便りが届いた? 作者に老いた両親からの便りが届いた? いずれにしても、いま雑踏の中を歩いている(あるいは立ち止まっている)老人(主人公)にとっては、まったく別シーンのお話に見えます。話が繋がらないものを、何故ここに置くんでしょう??? うーん、8行目は私にとっては全く謎なんです。

あのー、タルコンティさんのキャリアは存じませんが、短い詩って、長い詩よりシビアに見られるものですよ。短い詩のほうが書く力量がいるのです。それに長い詩が書ける人は短い詩も書けるけど、短い詩一本やりで来た人は長い詩が書けなくなります。それら二つの理由から、私はキャリアの浅い人には、まず詩を長めに書くことを心がけるように、おススメしています。

 

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