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三浦志郎様

 投稿者:ゴンドラ  投稿日:2017年10月 5日(木)11時24分50秒
  三浦志郎様

いつもお目を通して頂き、誠に有難うございます。言葉足らずの詩を書いてしまいすみません。
最初と最後のセリフはシェイクスピアの書いたもので、それぞれ『ハムレット』と『リア王』の中から引用しました。ただ、私の方でかなり意訳したので、なおわかりにくくしてしまったようです。
そういうわけで、詩の中で呼びかけている「あなた」とはシェイクスピアのことです。そして、おっしゃられるように、神そのものではなくても「神のご神託を受けてその真理を人々に伝える媒介者」であり、また「THE SAGE(賢人)」のような存在であると、私には思えます。

ゴンドラ
 

感想と評② 9/22~9/25 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2017年10月 5日(木)09時05分23秒
編集済
  ゴンドラさん「シェイクスピア」 9/25

まずはお詫びを。この詩のタイトルがなぜ「シェイクスピア」なのか、がわかりませんでした。
知識至らず不勉強。申し訳ございません。ゴンドラさんの解説を待ちたいところであります。

まずは最初と最後を固めるセリフが暗示的・印象的です。たしかに人間にはこういう面があります。強者に対する身構え(この詩でのスズメバチ)→弱いものへのイジメ(この詩でのアリ)。
こういうひとつの摂理を自己の身の振りに降ろして考える。そこにこの詩の意義があります。
やや自嘲的な味付けもなされているようです。ところで、僕が最も食指を動かし興味を持ったのは詩中の「あなた」です。これは誰か? 神そのものではないでしょう。神のご神託を受けてその真理を人々に伝える媒介者? 「THE SAGE(賢人)」のような存在を自分勝手に想像してみました。あるいは、この人がシェイクスピアさん? すみませんが冒頭のような事情もあり評価のほうは割愛・辞退とさせて頂きます。

アフターアワーズ。

拙作を丁寧に読んで頂き、誠にありがとうございました。列挙して頂いたセリフの殆どが自分の思い入れのある言葉でした。

シェイクスピアで思い出したことがあったので書いてみます。ある作家が奇妙なことを書いています。いわく「シェイクスピアとセルバンテス(ドン・キホーテの作者)と徳川家康は同年同月に亡くなっている」というものです。具体的には…。
シェイクスピア 1616年 4/23。セルバンテス 1616年 4/23。徳川家康 1616年 4/17。
単に偶然なのですが、その作家はドラマチックにこう結論づけています「重大な暗合を見出す」「世界史というものは一つ気流の中で動いているのかもしれない」


タルコンティさん「湖」 9/25

変な言い方ですが「詩らしい詩」です。詩が一面で持っている端正という理想に近いということです。たとえば初連です。これらを平文で書くとすれば…。

「月光が湖水にあたる」「その風景は波立っている」みたいに書くところでしょうが、この初連の展開は正に「詩」です。
次に「苦しげに嘆き続ける波」「恋にやつれた湖水」です。これらは詩の表現としても斬新ですが、僕は、どうもそれだけじゃないと思う。詩中唯一出てくる「眠っている君」の心情ににひそかに繋がっているように思えてならないのです。そして、この「君」はこの湖に身投げかなにかして、今はこの湖底に眠っている。事実か虚構かは問いません。これはそういう詩なのではないかと思うわけです。穿ち過ぎかもしれませんが…。終連も印象的です。前半2行の書き方では、この主人公も水に足を浸しているのかもしれません。「湖水に溶けた涙」。水分が水分に出会う。ここも詩的場面です。評価? もちろん佳作です。


ひなのさん「禊ぎ」 9/25

「禊ぎ」…心身の穢れを海や川の水によって清浄にする宗教的行い、とあります。詩もそういう心情を湛えながら、場面が動いていきます。結果、しろへのあこがれ。「しろ」を「純白」としたのはいい趣を添えていますね。初動場面は存外具体的に動き出します。川の中を歩く、傍らには色彩豊かなキャンプテントと子供の声。そんな動的な風景にあって、この人の心中はあくまで静的で思考はいよいよ深まります。あたりの喧騒も聴こえなくなる。ここで詩の主体は風景から思考に交代します。記憶を辿っての自分のありようのことです。どうも、この人は自分が穢れてしまったと思っているようです。不本意な部分があったと思っているようです。終わり2連で「禊ぎ」という観念に近づきました。このような動きはひなのさんの願いも滲んでいるかのようです。誠実な願いを感じての佳作を。


葉月 祐さん「重ねる」 9/25

前作は葡萄から発想して人や世界を認識しました。では次にそれらと自分がどのように関わって実感してゆくのか?この詩において、葉月さんは言葉を以ってします。言葉をその媒体とするべく宣言するのです。「重みはそれぞれに異なる」「繊細なケーキ」「紙一重」など、使いこなすのはなかなか難しい。早い話が、たとえば「おめでたい」などは場面によって、意味が誠実・皮肉両面あって、文字通り「紙一重」です。だからこそ、この詩には「注意深く」という姿勢が充分読み取れるのです。ただし、この詩はそれだけでは終わらない。そういう注意を踏まえつつ、積極的に言葉を使い尽くす、その意思が前向きに窺えるのです。プラス、そこに心情を乗せることも思向しています。一行連に置かれたフレーズはどれも秀逸です。とりわけ後半の二つはいいですね。この詩を代表する隠喩です。やがて葉月さんは美しい言葉と美しい表紙で満たされた本になるのでしょう。佳作です。


評のおわりに。

昨日は中秋の名月。観ました。きれいでした。美しい光とかたち。雲とのブレンド具合もよかったです。真正の満月は6日のようですね。ところで、中也さんのところの名月の風習はおもしろいですね。お月見とハロウィンを足したような…。僕もこどものふりして貰おうかな(ムリだって…)。 では、また。



 

感想と評① 9/22~9/25 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2017年10月 5日(木)06時24分9秒
編集済
  なんか、たびたび出てきてすみません。これはいつもの評でございます。終わったらすぐ消えます。



こたきひろしさん「唄は」 9/22

こたきさんと僕は全くの同い年であることが判明致しました。従って、ここに書かれている時代性はほとんど、おおむね一致します。今ほど便利ではなかったけれど、それなりに人々は暮らしていました。けっこう昭和は懐かしいものであります。「何が幸せのものさしかわかんねえけど」―「幸せ」に対する解答は正に「何がものさしかわかんねえ」だと思いますね。
「娯楽がない~直ぐに寝た」→「そのせいか~ほとんど大家族」―この因果関係は事実だろうし、なにやら暗示的でおもしろいです。「いきものがかり~レベッカ」が好き。―なかなかお若くていいじゃないですか。前者は今は活動休止?後者はたまに再結成してるのかな?
次に演歌について、です。僕は基本、演歌は聴かないんですが、ある時、ふと思ったのは「自分がものすごく歳とった時、演歌が死ぬほど好きになってるんじゃないか」ということで、軽い恐怖(?)を覚えたことがあります(笑)。この詩の通りなんです。従って、この詩はもう少し後年の僕の未来図であるかもしれません。佳作一歩前を。

アフターアワーズ。

先日、小林旭の「熱き心に」(大滝詠一作曲、阿久悠作詞)を聴いて、改めて感動したことがありました。すでにその兆候が始まっているのかもしれません。


@すみっこさん「森と泉」 9/22

はい、佳作とします。技術的な進歩を感じました。そのメインは隠喩です。具体的には「森の泉=現在の自分の心・属性」でしょう。「青い空なら知っているでしょうか」―こう書かれると誰もが次を読みたくなりますよ。しかも空を擬人的に表し、一行置きの強調性も理解されたようですね。荒廃とまではいかないが、他人によって自分という森が変質させられようとしている。
「なんか、違うな?」という、あの感覚。けっこうみんなありそうなことだと思いますね。
そこで、すみっこさん、新たなる自分の森・泉を探すべく考え、行動します。それが詩の後半。
直接は書かれていませんが、今の自分に新たな価値を見出していこう、そんな自分探しの意志を感じました。欲を言えば、終連です。「一人だとしても」と「一人じゃないから」このパラドックスに読み手は迷うんです。ただし、ここはすみっこさんの深い考えがあって、ご自分の中では順接している事は推察できるのです。その順接ぶりをもう一歩踏み込んで、読み手に伝えたほうが、より着地は美しくなるはずです。しかし、総体として、いいフィーリングの糸口を感じました。よかったです。


葉月 祐さん「葡萄のように」 9/23

この詩にキャッチコピーを付けるとすれば「葡萄から人へ国へ世界へ」という感じでしょうか。
しかし、まあ、葡萄からこういうイメージが出てくる詩を僕は初めて読みましたよ!(笑)
あきれたというか、羨望というか、絶賛というか、云々…。「ひと粒 ひと粒」「ひと房 ひと房」このあたり、対の句を意識しながら、噛んで含めるように丁寧な展開が成されている。だんだんと核心部分に入り、やがて自分の身を振り返る。ここで言わんとする事はご自身の心や行動というひと粒・ひと房のことでしょう。ここに葉月さんの詩の存在証明があるように思います。
結論として「NOT お金・宝石・武力」→「BUT 誰もが持つ かたちの無いものだろう」と書かれています。サン・テグジュペリ「星の王子さま」の中で、王子さまはシンプルで真実なことを言っています。「たいせつなことはね、目に見えないんだよ……」 たぶん、このことでしょう。佳作を。


耀子さん「虫の言い分」 9/23

今年の夏はヒアリをはじめとして、毒虫・害虫が世間を騒がせましたね。そんなことを思い出させる一作です。感想総体としては「本当にお気の毒です」としか言いようがないのです。3連を読むと…なにか植木に関わる作業を常態としているとか、たとえば庭いじりが趣味とか、とにかく一般より虫に刺される機会が多い環境が想像されます。それにしても「自分の方がガードするのです」はともかくとして、相性で済ましてしまう医者も「いかがなものか?」と思うんですがね。終連はおっしゃる通りでしょう。ただ、この詩の殆どが“わたし側”の展開で、タイトルに沿ったところは終連のみです。さあ、ここは評価の別れるところです。あえて、こういう書き方をする人もいますから…。便宜上、ここでは基本に沿うという感覚で、タイトルを別方面に振ることも考慮に入れていいと思います。”刺されてお気の毒佳作一歩前”と致しましょう。


Davy Crockettさん「人生失格」 9/23

(おそらく)僕にとっては初めてのかたです。よろしくお願い致します。感想のみ書きます。
まず表記上のことです。もう少し読みやすくするために、連の塊を作るのがいいように思いました。各連の末尾だけ書いてみます。あくまで参考です。
「唱えず従った」「精算機」「蟻を踏み殺す」「塵芥」「信じようだなんて思わない」「心に誓う」
解釈を作者さんの意図通りに取るのは極めて難しいです。僕なりに把握した大意を書いてみます。
世界を大掴みに掴む時、よく援用されるのが二大概念の両立(あるいは対立)で、たとえば、表裏・正負・善悪など。この詩は―良い悪いは別として―そういうネガティブ面で書かれているのが横顔のようです。たとえば、この詩のほぼメインを成す価値観。その多様化が言われて久しいですが、選択肢が多すぎて人々は迷走しがち。ネット社会の発展・成熟によって便利にはなりましたが、その弊害も顕在化してくる。たとえば、ネット炎上、ヘイトスピーチ。要は中流意識はもはや幻想になり、所得格差などから来る対立構図や不寛容な気分がじわじわとやって来ている。そんな社会のひずみの中で生きてゆく私たち。とりわけ、その中の一人である作者さんです。当然のように落胆・憂い・叫び、があるわけです。とりわけ「誰かに求めず~」以降、終わりまで、その心の叫びを聴いたように思いました。


ココアさん「僕ができること」 9/24

この詩は以前のモチーフやフィーリングからすると、少し変針を図ったように受取りました。
今までは主に「YOU AND ME」だったのが、今回は「ME」専一になっている点です。おそらくこういうことだと思います。

「悲しみを隠す・見て見ぬふりをしてきた(ちょっとキツイ言葉で言うと“自己欺瞞”)」
                   ↓
「ありのままに受け止め、ありのままに感じていいんだ(言ってみれば”自然体”でしょうか)
                   ↓
「迷わず自分をしっかり見つめること。そしてそれを素直に出してゆくこと」

このような流れの中で自分というものをしっかりと把握してゆく意志のことだと受け取っています。この自己認識に佳作を。


ココアさん「出してみる」 9/24

タイミング的にも、文脈的にも、こちらは前作との姉妹篇、あるいは延長線上の位置付けができるでしょう。違うのは、こちらは「YOU AND ME」の構図であることです。喜怒哀楽に関しての姿勢はほぼ前作を継承しているように思えますが、そこでココアさんを手助けしてくれる、手を差し伸べてくれる「YOU=あなた」の登場です。「あなた」の助言によって、前作に芽生えた意志がより強化されることとなる。今はやりの言葉で言うと「背中を押してくれた」になるわけです。


つづく。




 

スマートに歩こう

 投稿者:耀子メール  投稿日:2017年10月 5日(木)05時16分23秒
  正しい歩き方を教わった
インストラクターが言う
股関節から歩けと

まず踵を地に付けて
次に小指に体重が乗り
最後に親指に乗る
ということらしい

そんな事を考えながら歩くと
なかなか疲れるものだ
それに意識すると
体がぎくしゃくしてしまう

なぜ今更そんなことを
考えながら歩くのか

私は歩き方に
問題があるらしい
隣家の住人に笑われた

あるとき 後ろから
自転車に乗って走ってきた
その住人が 私の隣に止まり
こう言った
「やっぱり Yさんだ
 遠くから見ても分かるのよね
 歩き方に 特徴があるから」

自分では分からないものだ
ある時 歩きながら
ショーウィンドウを見た
うん やっぱりね 確かに

もっとスマートに歩きたい
モデルの様にとは言わないが
笑われるような歩き方は
返上したい

今日も歩いた
股関節から
先ず 踵を地に着け
次に 小指に体重を乗せ
最後に 親指だ

その後 隣家の住人とは会っていない
したがって その成果は
まだ確認していない
 

後から涙溢れて(評不要です)

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2017年10月 5日(木)02時21分0秒
  たまには哀しい唄を
うたっても良いですか?

短い唄ですので
どうぞ聞き流して下さい

此処に来て僅かな間だけど
君のオモチャの音と
外に出たがってた音は
絶え間無く聞こえてたのに

急に聞こえなくなって
慌てて色々調べて
ちょっと恐い所に行くつもりが
先に深い眠りに入ってしまった

一人でどんな夢を見てたのかな?
まだ眠っているみたいだよ

君の居なくなる空間が静か過ぎて
とても耐えられないから

まだ
眠っている
君を見ていよう
 

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年10月 5日(木)00時02分14秒
  夜空にまたたく
星をみつめるような思いで
自由な鳥達を
羨み 見上げては

背中を撫でて
溜め息を吐く

わたしには羽が無い


鳥とは違う
骨格や肉の重たさに
このからだでは
飛べないのだと
何度も思い知らされる

ヒトは 鳥になれないと
自分に言い聞かせては
地面の感触を
確かめるように
あきらめる為に 歩いた

その度
空を自由に飛び交う
遠くの鳥達の輪郭を そっとなぞる


あの羽が わたしにも生えるように と


空を飛ぶ姿は
あまりに小さく
図鑑を何冊広げても
どの鳥か判らないので
寂しい時や 恋しい時に
おまえ達の名前を 呼べない


  大地に生きるわたしと
  大空に生きる鳥達は
  一体いつ どこで
  どれだけの言葉を交わせるだろう?


おまえ達に
わたしという存在は 見えているのだろうか


わたしは
羽を持たず
地面を踏みしめ歩く
ただのヒトだ

からだは飛べないが
心だけは 紺碧の彼方を目指し
羽ばたいてゆけるだろう


  どこまでも


憧れから生まれた
まぼろしの羽を
大きく おおきく 思いのままに ひろげて





 

井嶋 りゅう 様へ

 投稿者:中也  投稿日:2017年10月 4日(水)22時02分32秒
  井嶋  りゅう  様
とても自分の書きたかったことを十分に理解していただき、また過分なお言葉をいただき、本当にありがとうございました。このサイトの中で、少しづつですが、確かに成長させてもらっていることを本当に嬉しく思います。もうこのサイトでは長老になるのではないかと思います。どんどん新しい方が勢いのある作品を投稿されています。私自身、大いに刺激を受けながら、皆さんから恥ずかしいと言われないように、長くお世話になっている一人として、しっかり詩と向き合い、さすが長老と言われるような作品を書き続けていきたいと思います。
お身体がすぐれない中、批評していただき、本当にありがとうございました。どうか今後ともご指導よろしくお願いいたします。
2017年10月4日         中也

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余談ですが、今夜は中秋の名月です。皆さまのお宅からお月さまきれいに輝いているでしょうか?
私の住んでる地区では、名月という風習がありまして、こどもたちが、各家々をまわって、大きな声で、名月ちょうだいと言って、各々の家が玄関に用意したお菓子を一つずつ持って帰ってまわるというものです。多分、弘法大師のお接待から来ているのではないかと思いますが、よくわかりません。こどもたちの喜ぶ声が聞きたくて、今日は早く仕事を切り上げて家に帰って、お菓子を用意してこどもたちの来るのを待っていました。大きなビニール袋を下げたこどもたちが次々にやって来て、あっという間に用意したお菓子は無くなりました。今夜は月の光とこどもたちから元気をいっぱいもらいました。どうか皆さんにもおすそ分けしたくて余談ですが、スペースをお借りしました。皆様にもご利益がありますように。
 

三浦志郎様

 投稿者:ゴンドラ  投稿日:2017年10月 4日(水)20時17分36秒
  三浦志郎様

御著書『海からの言葉』をさっそく拝読させて頂きました。二つの物語は、いずれも戦争や運命に翻弄された男女の愛をめぐって展開しますが、だからと言って、決して登場人物が受動的に感じられることがありませんでした。それは、恋愛と結婚、戦争と平和、運命、時間、そして約束など、様々なテーマについての作品中の「言葉」が強いメッセージとなって読者に働きかけてくるからだと思います。幾つか書き出させて下さい:

「このひとをこそ…」、「人間の最終課題ー死生観」、「誰でもいい/誰かが拾って読んでくれるといい」、「自らの命を飲み干すように」、「任務についてはなお理性を残している」、「書くことによって自分の意志を確かめておきたかった」、「いささかのシミや汚れがない」、「文字になって言葉になって/帰ってきてくれました」、「僕がどのように戦い死んだかを伝えてほしい」、「時の流れに向かうわたしの誠実」、「“後事を託するに値する人格”」、「私自身のために来た」、「エドとあなたがリレーのように」、「平和に向かって彼が命を差し出した」、「未来という時間に働きかけをしておきたい」、そして「約束こそが/人々を動かし/世界を支えてきたことを/考えていよう」

まだまだ挙げたいのですが、どの言葉にも、悲劇と不条理を超えようとする人間の倫理的な意志が表現されていて、心に迫ります。また、詩とストーリーの部分、さらに二つの物語がお互いに響き合って、メッセージをより陰影の深いものにしていると感じました。

他にも「時間という白い雲」、「時が眠る海の芯へ」、「新たに拾い上げたもの、置き忘れたもの、ずっと持ち続けるもの」、「私という鏡であなたは新たなご自分が見える」、「初対面とは折り目正しさのことだ」など、魅力的な言葉に幾つも出会いました。これから何度も繰り返して拝読したいと存じます。

ゴンドラ
 

井嶋りゅう様へ

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2017年10月 4日(水)18時06分36秒
  井嶋様、
こんばんは。今日(昨日)も一日、お疲れ様です。
「欠けた虹降る」への佳作の評や、貴重な気づきや感想をありがとうございました。
この虹を見た日は、数分おきに晴れたり降ったり雷が鳴ったり風が吹いたりと、変わりやすい秋の空を一年分堪能したような天気でした。暗雲をバックに、職場の真上にアーチ状に架かった三色の虹は、見た事も無い程近く大きいものでした。井嶋様にも是非お見せしたかったです。

評を読み、「欠けた」という言葉の意味を、わかっているようでわかっていなかったとも気付きました。また、井嶋様が「架けた」と掛けたタイトルでは、と感じてくださった事も、わたし自身意識していない部分であったので、そのように違う面まで見つけていただき、大変嬉しく感じております。

虹はどこから来たのか、根っこはどこにあるのか、知りたくて探しに行こうとしたんですが、わたしが横に数メートル移動すると、虹はすぐに隠れてしまい、離れた場所に新しい虹を見ました。何と素早いのか…。

この度、十年ぶりの社内異動となりました。あの虹は今日へのエールだったのかも、と、振り返り思い出しています。
井嶋様も止まらない咳で大変お疲れかと思います。熱々の蜂蜜レモンなどで、体を温めてお過ごしください。次回もどうぞ、宜しくお願い致します。
 

井嶋 りゅう 様

 投稿者:山下 一歩  投稿日:2017年10月 4日(水)13時56分22秒
  お久しぶりです
何時も御丁寧に御批評頂きまして、有り難うございます
井嶋様の優しさが言葉のあちこちに見え隠れしている様で、感謝の一言に尽きます
最後の「それを受け止めた」の部分ですが、迷っておりました。
でも、確かに、井嶋様のおっしゃるとおり、余韻を残す方がベストですね
この度も、有り難うございました
季節の変り目ですので、御健康に御留意下さい
次回も宜しくお願いいたします
 

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