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三浦志郎 様へ

 投稿者:沢口リリキメール  投稿日:2018年 6月23日(土)16時53分25秒
  三浦さん、
二作の評と感想をありがとうございました。沖縄では梅雨明けしたとのことです。夏到来です。また今日は当県では「慰霊の日」でもあります。

○ お前の中の俺
この作を書いて投稿する必要性は無かったのですが、ある一つの理由で投稿しました。申し訳ありません。スタイルも「私らしく」は意図的にしませんでした。
なので、評の終わり ①で書いて下さったことについて、少し触れさせて頂きたいと思います。私は沢口リリキなる筆名を使っています。実名を三浦さんはご存知ですね。
モノを書くことと実生活は私の場合、完全に線引されています。両者の間に深い交流はありません。とくに詩は。だから私には"生活密着詩"がほぼありません。それが現代のニーズに即してるか否かは私には重要ではありません。
以前、投稿した散文シリーズでは、その関係性をデフォルメして書いてみましたが、実際は温和な関係にあります。また秘匿性は社会的事情によるのも確かです。
あくまでも詩を書くのは沢口リリキであって、実名のほうではありません。だからといって多重人格者でもないわけなんですが。
「私の中の私」や「自己の中の他者」そういった事象についての私見的回答を自作小説の中にて提示しました。いつの日かその分野で発表できる機会があれば良いかと。三文にも及ばない暗黒小説ですが。
それにしても、このお礼文を書いた人物は実名の私ではなかったとしても、沢口リリキなのでしょうか?それとも他の私?
何者の視点なのでしょう‥‥‥
______________________________________________________

○ タイフーン
「カッコイイ」また「二大詩雑誌(私にはわからないのですが)の冒頭あたりに載っていたりしても違和感がないでしょう」と仰って下さって恐縮です。“つかず離れずのモダン”詩、目指してみます。
タイトルと冒頭が同じ言葉だと落ち着かないとの印象は、私自身気づきませんでした。重なったのは初めてかもしれません。この頂いた感想については熟考致します。もっと良いアプローチの仕方があったはずです。読む方が持つ印象、その詩的効果、音読による検証、視覚美なども含め、またいろいろな詩人の作品も参考にしてみます。アドバイスありがとうございます。
なかなか自分の理想に辿りつけません。そもそも辿り着けるとも考えていません。それでもこうして三浦さんからお言葉を頂くと、ボンヤリとながらも見える瞬間があるのです。理想の領域に少し入り込めるのです。kazu.さんが最近取り上げた引用と似てるんですが、詩は主観的な体験(または夢)、つまり自分流に表現するとしたら「意識をよぎる意識」を言語化したもので、無意識世界の抽出物でもあると私には思えます。無意識という海にスポットライトをあてた部分を意識と呼び、その体験印象を文字に起こしたものを詩とでも言うんでしょうか。それは対象物によって海面に生じる波の現象。‥‥‥何を言ってるんでしょうかね。荒唐無稽ですね。
投稿し、言葉を頂くたびにそういう詩世界を体験することが出来て、また書くことが出来る。理想を追求できるのでした。
今回も貴重なお言葉感謝しています。ありがとうございました。

 

白い空は冴えない表情で広がり 寂しげに淡い光を漏らす 

 投稿者:かすみ じゅんメール  投稿日:2018年 6月23日(土)12時26分2秒
編集済
  青くは見えない


遠くから近づく 雨の足音が

聴こえてきそうなほど 静かな


休日の白い空



古びた落ち葉に 下草

くねる道に 暗い影を被せる

長く 枝を伸びださせた 木々 また 木々


半袖では寒いくらいの 冷気をくぐる



水辺に集う 小さな 紫陽花の花達

清らかな山水の流れが 転がる  鈴の音のように響く



届かない陽射し

頼りない風景

森のなかに広げられた 隠しの底


鳥達は気にも留めず

陽気に囀っている


 

涙の理由(わけ)

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2018年 6月23日(土)09時18分7秒
  ひと粒    ひと粒

含まれている
ちいさな心

言葉はなくても
この中に
ちいさなあなたがいる

引き離したい
離されたくない
どうしてか
仲良くできないね

あなたも
私も
同じくらいに
大事にしてほしい

早くそうなれるように
このひと粒
ひと粒ずつを
そっと
胸にしまっていよう
 

三浦さんへ

 投稿者:こたきひろしメール  投稿日:2018年 6月23日(土)07時25分27秒
  批評感想ありがとうございました。
詩を書くのはとても難しいです。人生を生きていくのはさらに難しいです。
詩の材料に事欠いて私生活を切り取ってしまうのはどうなんでしょう。
もっと書くべき事は沢山ありそうなのにそれを探す努力をおこったっているしだいです。
インターネットに詩を投稿する私の目的はいったいなんなんでしょう。単純に誰かによんでもらいたい。そして「いいね」を頂きたいだけならさびしいものになってしまいますね。

これからも宜しくお願いします。
 

感想と評② 6/15~6/18 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2018年 6月23日(土)06時09分49秒
編集済
  こたきひろしさん「無題」 6/17

なかなか重く深刻なテーマなんです。妻の原因や症状が今ひとつわからない部分もあるんですが、最後近くを掬い取って想像するとアルコール依存症のような気もするのですが。
本人も大変ですが、ご主人の苦労・心痛は大変なもので、心情や行動描写は彼の方に多く施されています。そこがひとつの読みどころです。エンドは無関係のほうに引っ張っていったのがいい。小説でも映画でも、こういう終わり方は逆に印象に残ると思います。
便宜上「そして問診が始まった」を境に2分割してみます。こたきさんの作品に時にありがちなんですが、前半、つまりイントロこんなに要るだろうか?という疑問を呈しておきたいと思います。前半をもっとコンパクトにしてでも多いに語られるべきは後半ではないか、と思えるのです。ただ、この作品の評価の難しさはこの後の展開の仕方・書き方は難しいだろうなあ、という事と、前半、これでも総体としてけっこう読めてしまう点なんです。


こたきひろしさん「生い立ち」 6/17

多少の誇張はあるでしょうが、けっこう実話に近い気がします。お姉さんの“アッケラカン加減”はちょっと凄いものがありますが、おそらく彼女の中に「家族なのだから」という価値基準が明確にあった気がします。文中「私には三人姉がいたが、一番上の姉ちゃんだった」とありますが、僕の場合「三人」が「二人」になるだけで、後は全く同じです。
上の姉と風呂に入った記憶があります(さすがに姉は二十歳よりずっと下でしたが)。
昔は、このように牧歌的だったと言えるでしょう。今作品から何か普遍的なものが引き出せないか、と考えると…。

姉という存在は、幼い男の子が接する初めての生身の女性であり、これから大人になり心身共に相対するであろう生き物へのレッスン的偶像でもある。

そんな風に、この作品を読んで上記のようなエッセンスを抽出してみました。
さらに僕の推察では、たとえば戦前など恋愛がしにくい時代に、生身の女性を好く、という心情が姉に代替されていた、そんな風にも想像されるのです。たとえば「姉を慕う」といった心象風景ですね。文中「男に取られるのは納得のいかない~嫉妬に苛まれていた」あるいは「姉ちゃん信じられないよ。お前がお嫁さん貰えるなんて」―この部分は味読しておきたい。弟は姉を愛し、姉は弟を愛していたのでしょう。これは裏側からの肉親愛かもしれない。好意込めた佳作を。


EkyAriesさん「E5」 6/17

初めてのかた。よろしくお願い致します。今回は評価はまだつけず、感想のみ書きましょう。この詩を単純図式化するならば…。

A-B-A′

A-A′は、いわば感情移入であり、Bとの対比で見ると、やや非日常。対するBは全き日常。Bはなかなか吟味され、練られ、結果、みんなが思わず頷いているような考えであり文体です。「いつ死ぬか、のくだり」「どうでもいい事→大事」「明日の予定が散らばって」。
このあたり、うまいです。納得です。BがあるからA-A′も映えるというものです。
ところで「E5」って何でしょうね?また、書いてみてください。


ひなのさん「月曜日」 6/18

皆伝さんなので感想のみ書きます。(日曜出勤で)月曜必ず休んでた僕にとっては、ちょっと不思議な詩でした。あ、ごめんなさい。この詩のほうがフツーですよね。これは“ひなのさん的日常具体詩”。「いっそのこと/私をばらばらにして」このあたりは“ひなの節”。8連は実感だったでしょう。そうですかあ~月曜日ねえ。「鬼の首を取ったような日曜日、一転、地獄へ逆落としの月曜日」といったところでしょうか。
「息を止めてみた」以降終わりまで、死んだフリでしょうか?適度にユーモアがあっていい感じ。前回の美しくも張りつめた筆致とは対極にあり。「いやだ、いやだ」とは言ってるものの、どこかリラックスした書きぶり。これもひなのさん。




評のおわりに ①

リリキさんの「お前の中の俺」で、フト思ったことですが―。
僕はペンネームというものを持たないのでわからないのですが、ここに集う人々には殆どそれがある。この名前の二重性は自己の二面性を考えるヒントの下地になるように思えたことでした。僕は自己愛:自己嫌悪=60%:40%位が一般だろうと思っているのですが、この「お前と俺」は60%⇔40%のせめぎ合い、という自己調整力のことだろうと理解されたのでした。とりわけ、詩を書く人間は良くも悪くも自意識を多量に含んでいることでしょう。こういう精神作業の背景を充分持っている気がします。

評のおわりに ②

二日連続で映画観ました。僕にとっては前代未聞。「羊と鋼の森」と「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」です。どちらもフツー、そこそこ、非常に、すこぶる、おもしろかったです(笑)。特筆したいのは前者で原 民喜、後者で夏目漱石の一文を引用していたのが印象的でした。 あとは、にわかサッカーファンになってワールドカップ観ることだナ。 では、また。
 

感想と評① 6/15~6/18 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2018年 6月23日(土)06時03分31秒
編集済
  沢口リリキさん「お前の中の俺」 6/15

ひと昔前になりますが、リリキさんは自分の中のもう一人の自分を誇張キャラクター化して散文詩風に連載していたことがありました。今作を読みながら、なぜかそれを回顧しておりました。まず「俺⇔お前」の関係・立場をしっかり把握する必要がありそうです。他の読み手さんもそうだったでしょう。便宜上「俺=A お前=B」とします。Bは圧倒的にAによって指弾されます。コテンパンです(汗、笑)。こころやさしい僕(!?)としては、いきおい、Bをかばいたくなる。こんな風にです。

「Aよ、そういう君はどうなんだい? 一体、何者なんだ?」

ところがAは名前だけ明かして、正体をくらましています。このあたりの事情を、多少、詮索気味に想像するのがこの詩はおもしろい。当然、リリキさんはそのことも視野に入れていたでしょう。人間に潜む二面性をこのような形で提出してくれました。文体的には、いつもと違い、ややロングフレーズで説明調ですが、この詩の素材・趣向を考えれば自然の成り行きと言っていいでしょう。総体としてリリキさんの力量において“ギリ佳作”でしょうか。ただ、この詩は普遍的なものを提出しているように思います。そのエッセンスにおいては、思うところがあるので「評のおわりに」でも触れたいと思います。


沢口リリキさん「タイフーン」 6/15

こういう感覚の詩がリリキさんの本領。メインストリームという感じがします。
やや細かく見ます。タイトルが「タイフーン」で、本文冒頭にも「タイフーン」と来ると、僕の場合、ちょっと落ち着かない気分になったりするのですが、これは、まあ、好みの問題なんで、気になさらずに…。たとえば従来の書き方だと、その対象の属性や風景を、時系列などを使いながら、克明・繊細・詩的に(比喩などを使いながら)書くのですが、ちょっとそれだけだとオールドファッフョンドな気もしてしまうんです。うまく言えないんですが、本道を踏まえつつ、少し“外してみる”。僕の勝手な造語で言うと“つかず離れずのモダン”とでも言いましょうか。本作にはそれがあるような気がするのです。
この詩でいうと「薄暗い部屋で~」から「ロダンの彫刻も」まで。「カッコイイ」そう、カッコイイという言葉が一番ピッタリする。僕が最も好きなところです。願わくばこのように書きたい…。この詩は、たとえば二大詩雑誌の冒頭あたりに載っていたりしても違和感がないでしょう。本道佳作と致しましょう。


桂さん「一期一会~差し込んだ車のヘッドライト」 6/17

けっこう久し振りのかたです。
車のヘッドライトと部屋の窓との構図にすごく都会的なものを感じました。映画の一瞬のシーンのような。ここに出てくる「君」ですが、最後近くにある「死者達」から逆算して考えると、互いに幽明界を異にする者同士の出会い―「一期一会」だったと解釈されるのです。ただ、4~6連で、やや馴染みのありそうな様子がありますが、どうなんでしょう?
まあ、あまり詮索しても、とりとめないし、さほど意味があるとも思えないので、触れるだけにとどめましょう。「死者達」とそれに続くセリフはけっこう重要ではないかと思えるのです。冒頭あり得る光景を、ここで一挙に幻想性にスイッチしている点です。
句や行を組み替えてみても、また違ったフィーリングが醸されるかもしれません。少し間があったので、今回は感想のみで失礼致します。


耀子さん「酒よ」 6/17

以前の島氏の評語に「明らかな主張とタイト&コンパクトな文体」という趣旨のものがありましたが、今回の詩を読むにつけても「ああ、あるほどな」と思う部分が少なくありませんでした。この詩の発話主体は男を想定したほうがふさわしく、事実そのように設計されてるようなところがあり、耀子さんのセンスを感じたりします。日本酒には詳しくないのですが、会津の三澤久右衛門作の銘酒だそうですね。名酒に名器。つまみも蕨のおひたしとはシブイですね。至福のひとときでしょう。さて、この詩の応援歌は吉 幾三。
さあ、こう来ると方向性は定まったも同然です。特別純米酒~蕨~わさび醤油~徳利~お猪口~備前焼~吉幾三「酒よ」…とくれば…「メール」というのはちょっと、という気もするんですが。何か「和物(わもの)」がいいと思うんですが。ただ、これは僕のあくまで感覚の問題で、「これでいい」と言う人がいるのは当然とも考えます。現代の描写としては、これが自然なことだからです。従って、ただ、ちょっと触れてみただけ…。文体で言うと、前半詩行の重量感がむしろ心地良いです。その分、後半はやや薄手になったのは少し気になりました。佳作半歩前で。


つづく。

 

偉大なる自傷行為

 投稿者:  投稿日:2018年 6月23日(土)00時09分34秒
  リストカットの代わりにペンで己の魂を切る

痛みと共に流れ出るインク

血はやがて固まりカサブタになり痛みすら忘れる

だが己の魂から流れ出たインクなら詩となって そこに留まり 感情の軌跡となる

その足跡を辿れば昔の自分と向き合い
語り合うことができるし

優れた詩は何百年もそこに留まり
道に迷った後輩達に草むらにうっすらと
だが浮かぶ轍を見せることすらある

同じ自傷行為ならもちろん後者を選ぶ

痛みの伴わない詩など 嘘八百を並べる詐欺でしかなく

詐欺師の吐く言葉は耳障りは良くてもどこか空しく 不安を漂わせる

僕の魂に響いたのは道なき道を歩いたアウトローの言葉

醜くも逞しく時代を生き抜いた男達の言葉

ブゴフスキーが 彼の生涯を通して
勝手に生きろと語りかけて

ようやく本当の意味での人生の1ページ目を描くことができた

世界を放浪し 様々な価値観に触れて
多くの仲間と出会い そして敵と出会って

最後に本当の自分と出会う

一人部屋に閉じこもって 何百枚も詩を書いても それはゴミくず程の価値しかない

レトリックや文章力なんて大した問題ではないのだ

なぜなら詩は感情そのものだから

順風満帆の人生を送っている者に 詩なんて書けない

だから神に感謝する

激しい感情と反骨心

そして 困難を与えてくれたことに

中指を立てながら やはり感謝する

詩になる 人生をありがとう










 

想い

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年 6月22日(金)22時50分19秒
  今までとは違う想いに気がついて

あなたの静寂さに包まれて
自分を見失ってしまいそうに
なるけれど

まるで太陽の周りをまわる
小さな惑星のように
ゆっくりと静かに
どうしょうもなく引き寄せられ
惹かれていく事が許せない

見たかった景色はもうそこにはなく
ただ静かに想いを重ねていくだけで
これで良かったのかさえも
分からないのに

いつか我にかえるまで
このままでいたい
 

赤い惑星

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2018年 6月22日(金)22時16分41秒
編集済
  僕には見るもの全てが赤く映る

太陽は
沈んだのに
空は何でこんなに赤いの

夕焼けに呟いた
僕が空を赤くしているの?

この地球(ほし)が
どこまでも赤く染められていく

僕の瞳から
溢れていくのは
赤い涙か
 

徒花

 投稿者:ひなの  投稿日:2018年 6月21日(木)23時59分19秒
編集済
  口ぐせになってしまった
「疲れた」という言葉
それを吐いては
日が暮れてゆく

毎日がだいたい
このくり返しで
明日また疲れるために
夜を眠る気がした

靴底みたいに
すり減っていく
私を支える何か

今にも折れそうなのに
折れてしまえないから
ほら また今日が始まる

人生とかいう道は
今は足元しか見えないけれど
はてしなく続いているはずで

食傷気味の毎日から
それを繰り返す日常から
ふと逃げ出したくなる

逃げ場所なんて
どこにもないのに

切れかけの蛍光灯が
ちかちかと
あたりに不穏な空気を
はらませて

 あぁ 疲れた

蛍光灯もじきに消えて
世界が暗転するから

このまま いっそ
ひそやかに
幕を下ろしてしまってよ

 かみさま、
 

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