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舞台でまわる

 投稿者:エガミ  投稿日:2021年 6月13日(日)09時05分52秒
  一月後に向かうはずだった場所に今向かう
イヤホンを耳には入れずに
博多行きの新幹線で
移ろう窓の景色を覗く

昨夜かかってきた一本の電話は
玄関の外の景色を一変させていた
そこはまるで舞台のように
ねじを欠いた私だけが
台本を忘れた役者のように

死の事実に実感はなかった
急性アルコール中毒
急性アルコール中毒で人は死ぬが
あなたが死ぬとはどういう意味だろう
私に笑ったあなたの過去は
今日を辿るためにうまれてきたのか

移ろう窓から目を離す
ポケットのイヤホンで耳を塞ぐ
遠い過去から鳴り響く
レクイエムが私の舞台を回す
 

島秀生様

 投稿者:エガミ  投稿日:2021年 6月13日(日)08時58分10秒
  評をつけていただき、ありがとうございます。
大変丁寧に読んでくださり、とても嬉しいです。
修正の点も、なるほどと思いました。確かに勿体ぶらずにさらっと流したほうがより味わい深いですね。ありがとうございます。
「。」にはもっと注意しなければいけませんね。まだまだ注意が足りませんでした。
これからもよろしくおねがいします。
 

島 秀生 様

 投稿者:蓮見 丈  投稿日:2021年 6月13日(日)08時43分55秒
  ご指摘・ご教唆ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
 

島さまへお礼

 投稿者:入間しゅかメール  投稿日:2021年 6月13日(日)05時20分7秒
  評をつけてくださりありがとうございます。
秀作の評価光栄です。「見切れている」は確かに辞書に出てこない言葉で、方言というより僕の中で無意識に造語していた言い回しでした。調べてから書くべきだったので次に活かしたいと思います。
余談を受けて
オートウォークというより動く歩道の方が表現としては伝わりやすいかもしれないと思いました。
 

美味しいパンを食べたんだ

 投稿者:galapa(滝本政博)  投稿日:2021年 6月13日(日)03時41分40秒
編集済
  美味しいパン屋さんがあるというので
妻と息子のお嫁さんとドライブがてら出かけたんだ
ナビをたよりになんとかたどり着いた
十時半に着いたのだが開店は十一時であり少し待った
クロワッサン フレンチトースト メロンパン 四角い食パン

帰りに農家の人が持ち寄って野菜を安く売っている店に入った
この時期が旬なのか大きな粒のビワなどを買った
小さな小さな鉢植えのサボテンも買った
百八十円なり
アリゾナ小判というらしい
これは部屋の本棚に置くことにしよう
あとカーマに立ち寄りスプレーのリを買った
本当は貼ったり剥がせたりできる55というタイプが欲しかったのだが……
強力タイプのものしかなくて妥協した
こちらは趣味の映画鑑賞のスクラップ作りに利用するのだ

帰宅してパンを食べた
いろいろな種類のパンがすべて美味しかった

息子の嫁は美容師であり
妻は髪をセットしてもらいゴキゲンである

日々が過ぎてゆきます
心配事だってないわけじゃないけど
やっぱり幸せなんだろうなと思う今日この頃です
 

島様 詩の評へのお礼

 投稿者:エイジメール  投稿日:2021年 6月13日(日)03時19分36秒
  島様、詩の評をありがとうございます。
指摘された(春夏秋冬の事柄)部分をつけたし
さらなる推敲を始めています。
やはりそれで詩は完成される気がします。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

評、5/28~5/31、ご投稿分、残り。

 投稿者:島 秀生メール  投稿日:2021年 6月13日(日)02時34分43秒
編集済
  お待たせしましたー
たくさんのご投稿、ありがとうございました。
(つ、疲れた・・・)


●ピロットさん「黄昏の町」

いいねえー
こんなふうに描いてあげたら、常滑の町も喜ぶんじゃないかと思う。
どの連も気合いが入ってますけど、夕陽を受けた、

 黄金に照る 煉瓦作りの煙突
 土壁から覗き見える 登り窯

の連と

 道に埋め込まれた陶器の廃材も
 左右の壁面の土管も 焼酎瓶も
 赤光を浴びて
 窯業で栄えた往時を偲ぶかの如く
 鈍く照り輝く

の連が、
とびきりこの町の象徴的な風情を見せてくれたように思う。
風景が目に浮かびました。

また一歩踏み込んで、土管が主要産業であった歴史にも触れているし、
なお残る窯業と、観光都市への移行の象徴としての陶器の猫で、バランスを取ろうとする今の常滑の町の姿も示してくれています。

叙景部分だけでも充分美しかったけど、歴史や今の産業に触れるのは、そこに住む「人」にも意識を転じてるからだと思われ、好感でした。
後半は、そういう深みも出してきてくれました。
最後に「飴色」を出してきたのも、グッドですね。印象深く残ります。

まあ歴史に入り込むと、それはそれでキリがないとこもあるんですけど、深入りしすぎるのも避けて、全体を「美」のパッケージ内に、うまく収めた気がします。
私、常滑は行ったことないんですけど、この詩一作で、すっかり行った気分になれました。旅情としてはバッチリですね。
ビジュアル見なくても、この詩で全部浮かびました。名作あげましょう。


●エガミさん「うで」

腕を死体と見る、という前提はおもしろいですね。
そう考えることで、心が軽くなるというなら、それもいいかもしれないと思う。客観になって、上から眺めてみる角度感も良かったです。

 そう考えると随分労りたくなり、触れたくなり
 しかし、触れてはならない気もする
 彼はもう祀られる側にあり
 私ではない

この7~10行目の、思考の逡巡や切り離しが、序盤で感情的に始まったものを、思考へと深化させて行っていて、この中盤の展開がとてもいいと思います。

また中盤までの内面的な動きから一転して、終盤では、神棚と合掌という「動」的展開でシメにかかるのも、いいバランスのシメ方だと思う。
とても良いと思いますよ。
エガミさんは、私は初めてですので、初回は感想のみとなりますが、この作品はマルですね。

一点だけいうと、最後の2行は、

 そこにはもう
 合掌するための腕はない

で、いいと思います。
やや抽象性を持った作品で、そこがまたいいので、
最後はしつこくウエットにせず、冷ややかに終わった方が、この詩のムードに合います。

あと「。」は使うのか、使わないのか、自分なりに使用法を決めたほうがいいです。
この詩に関していえば、全部ナシでいけると思う。


●入間しゅかさん「かがみこむ」

「立ち止まらずに進んでください」のアナウンスが、人生の歩みを止めるな!みたいに聞こえたということですね。ナルホド。
で、膝を曲げ、かがみ込む形のように、行の形状を三角にしてるって、訳ですね。
そこも話の脈絡に沿ってるわけだ。

その前の襖絵を使った2つの連も、ステキなものを比喩に使うなあと思いました。

学校の友達もそうだし、職場の友達もそうだけど、そこを離れてからでも会おうとしてくれるのは、本当の友達っぽい気がします。いい友達がいるじゃありませんか。
小・中・高、全部の友達が残ってる人って、めったにいません。どれかの時の友達が残ってれば充分です。
「友達」って、数じゃないですよ。コアな友達が何人かいれば、それで人生OKです。働いてれば、職場の友達もまたできるしね。

一点あります。
1連~2連にある「見切れてる」が、
ジョーダン抜きで、私は意味わからなかったんです。
まあ前後関係で、卒業アルバムの集合写真に入ってなくて、横でマルで追加されてるアレだなと、言いたいことは想像つきましたけど。
これ、若者言葉なのか、方言が入っているのか、でしょうね。
発言で使うのは自由なんですけど、文章で書く場合は、そこやっぱり国語に沿ってほしいんです。
もし「見限られてる」の意味で「見切る」を使ってるんだとしたら、「見切られている」と受動態にしないといけないとこですね。 え?「ちぎれてる」の意味なのかしら?(ますます辞書にない・・・)
方言なんかもついうっかり使っちゃうことがあるんですが、セリフのとこなんかで故意に入れる場合を除いて、基本は国語に沿って、辞書にある言葉で、文章の時は書いて下さい。

余談ですが、オートウォークでそのアナウンスを言うのって、たぶん横幅がなくて、1列しか取れない、2列になれないやつだと思う。「動く歩道」の元祖、大阪梅田のムービングウォーク(阪急が命名)は、2列半くらいの横幅があるから、大きな荷物を持ってる人や幼児を連れてて大人の歩幅に合わない人なんかは、フツウに立ち止まって乗ってます。急ぎの人は横を通っていくだけ。
大規模施設で「動く歩道」(これが総称)を設置する時は、入間さんが言うように、いろんな人がいるわけだから、その横幅は考えなきゃいけない側面だなとも思いました。

うん、まずまずいいと思います。秀作あげましょう。


●水無川 渉さん「連弾」


おおおーーー
軽く70~80頁の小説を読んだあとぐらいの読後感がありますね。
大きなストーリーだけでなく、細部に至るまで情感にあふれています。いや、細部に至るまで捉えているから、ストーリーはより壮大に迫ってきます。その重奏はむしろシンフォニー感です。

NHKの番組に「空港ピアノ」ってのがあって、「誰でもどうぞ」で置いてるピアノを、通りすがりの、いろんな人が弾いていく番組なんだけど、プロの人が弾くのはもちろん上手なんだけど、ピアノ習った経験がないって人が、我流でこれ一曲だけ弾けるっていうのが、カッコイイなと思って、いつも見る。
海外の空港ピアノでは、そういう人が絶対出てくるんだけど、日本に置いてる街頭ピアノでは、ピアノを習った経験がある人しか弾かない。ピアノ習ったことのない人が、街頭ピアノに手を出すことはない。
そこにやっぱり他国との文化の違いや、ピアノという楽器に触れる親しみの違いみたいなものを、日本に感じてしまう。

そんなものを普段感じてるものだから、この詩のピアノとの和解のお話は余計にステキだなと思って、読みました。
誘われて1回だけ連弾したけど、以降は恥ずかしくてしなくなったというのも、それは日本人らしい出来事なのです。日本人なら絶対そうなっちゃう感性のところも書いてくれています。そんなだから嫉妬も起きる。
でも最後はそれが、おぼつかない指先で低音パートだけ弾く姿になって、モノローグのような音も聞こえてくるようで、ドラマチックにもなりました。
あの空港ピアノに出てきたような外国人なら、思い出の曲なら、ヘタクソでも全体を弾いてみようとするのでしょうね。でも、変わらずその時の低音部しか弾こうとしないのが、日本人の性格を表した抒情で、ウエットで、邦画的な抒情でいいなと思うのです。

パーツでは、

 あなたが去ってからは
 一度もこのピアノに触れていない
 その蓋を開け
 鍵盤に触れることは
 墓を暴くに等しい冒涜と思われたから

 それはもちろん正論だが
 世の正論の例に漏れず
 少しもぼくの役には立たなかった

 音楽は刹那の芸術
 いっとき空気を震わせ
 やがて消える
 それは二度と取り戻せない
 幻影の中に束の間そびえ立った伽藍は
 ふたたび永遠の淵へと沈んでいく

 ひとりだけの連弾
 横糸のない
 縦糸だけの機(はた)を動かし
 永遠に織り上がらない
 布を織りゆくように
 ぽつり ぽつりと
 片割れの音楽を奏で続ける


といった連が、表現や思考が特にステキだなと思いました。
今回も大作でした。名作を。

強いていえばー、なんですが、亡くなった女性が、プロを目指していた人らしいといえば、らしい行動なんですが、個別の人間としてはちょっと無性格で、正直、作り物とわかってしまう残念さがちょっとあります。うーーーん、何かちょっとだけでいいんで、個性のもの、入れて欲しかったかも、です。

あと、

 あれだけ美しい音楽を紡いだピアノは
 ぼくにはよそよそしい



 あれだけ美しい音楽を紡いだピアノが
 ぼくには(まるで)よそよそしい

「が」にすると解決します。


●大空さん「おかあさんのはな」

名前がわからないのを幸いに、勝手に名前をつけましょうというのが、大胆でおもしろかったです。
その発想、いいですね。
大丈夫です。充分、詩になってます。

なんでもコロナ禍の外出自粛で、家に花を飾る人が増えたのだとか。家の中にいても、心をちょっと癒してくれる、貴重なアイテムになっているそうです。
中には、外出自粛がなくなっても、花を飾る習慣はもうやめないだろうと、すっかり癒しの味をしめた人もいるそうですよ。

花を飾るという、コロナ禍の時流にも乗っている作品です。

一点いうと、タイトルにある「おかあさん」の存在を、詩中でも出して欲しいですね。
あるいは、名前をつけた、その命名を「おかあさんのはな」にしてもいいと思います。
おかあさんのように、あったかい花だったからという理由で。一例ですが。

そのあたりのこと、もうちょっと続きを書いてもいいと思います。

大空さんは、私は初めてですので、初回は感想のみになります。


●山雀詩人さん「美少女」

ものほし竿や、葉っぱの先のしずくに太陽があり、
道路の水溜りにも、大小の太陽があり、

 太陽系を縫うように
 燕は舞った

このダイナミックはステキだなあと思って読みました。
終連の美少女が空を越えるのも良かったけど、
こっちの方がよりダイナミックですよ。
なので、「太陽」の方も狙いたいので、前半とか、燕を置く位置とか、ちょっと調整してみて下さい。

そういえば平城宮遺跡を整備した関係でできた草原が、いま壮大な燕の巣になってるって、テレビでやってたなあと、最近の燕ニュースを思い出しました。

短めですけど、ウイットのきいた、いい詩でした。秀作を。

 

島様 評のお礼と詩の訂正

 投稿者:ふつつかなきねづか  投稿日:2021年 6月13日(日)00時22分3秒
編集済
  おぉ、なるほど! 的確なご指摘、どうもありがとうございます! 読み手を意識することを肝に銘じて、引き続き頑張ります。感謝です。以下の一節を加えてみました。訂正をお願い致します。


病んでしまった
わたしの心は
回復するのでしょうか

誰かに呼ばれたような気がして
わたしは足を止めました

山の向こう
はるかかなたから
こだまのように返ってくる
あかるい声がありました

……

花びらが開くくらい
ゆっくりと
……以下そのままです。


この詩は死んでしまいたい衝動(左側の崖っぷち)と必死に闘いながら日々を生きる、うつ病の人の心を描いたものです。後半の、「返ってきた答え」の主は、うつ病を乗り越えた人(あるいは将来の自分)です。

http://sugaonomamade.com

 

分別

 投稿者:深尾貞一郎メール  投稿日:2021年 6月12日(土)23時53分26秒
  朝空の下
リサイクルするために
ペットボトルを洗い
古紙を分別して縛る
台所でまな板を用意し
食べやすいように野菜を切り
魚をさばく
生活していくために
食べていくために
意識して分ける

通勤時間
たくさんの人が駅から流れ出る
チャイムとともに
子供は椅子に座り
教師から社会の規範を学ぶ
人の集いのルールを
理にかなったものであると学ぶ

正当に分け
厳格に分け
分けてそれが正しいと言い張る
たとえば異国の人は
右手に鉈をもって抗議する

分けないというのも目標
男も女も分けない
皆が喜びを持ち
今日一日を暮らすことができれば
それにこしたことはない
授業中のひととき
テストの範囲ではないが
教師は
違いを軽蔑するなといい聞かす

子供はそれを聞き
日常について思うだろう
 

水たまりと虹

 投稿者:藤代望メール  投稿日:2021年 6月12日(土)22時25分1秒
  太陽の反対側に虹ができる
理想の反対側に現実ができる
大昔のギリシャ人はきっと
そういう風に諦めたかったんじゃないかな

諦観じみたポップな雨上がりに
水たまりがところどころ
まばゆく生きている

起き抜けの虹がかかり
水たまりに写る

ぱしゃりと
いつもより早く回る車輪が
水鞠をとばし
ひとつひとつに
違う花が写った

フラワーショップの
絵の具をそのまま
塗ったようなカラフルな花たちが
それぞれに写るのを見ていた

大丈夫
僕たちは虹を写せる
あの花を綺麗だと思える
 

/2019