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感想と評 2/7~2/10 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2020年 2月14日(金)14時00分49秒
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  小林大鬼さん「インドの旗」 2/7

今までは日本にいる異国人でしたが、これは日本人がインドに行っているようですね。
インドの憲法記念日にインドの旗の下、皆が祝福しているさまは一目瞭然なのですが、申し訳ないのですが、僕はこの詩に触発されて、全く別のことを考えていました。申し訳ないのですが、この詩は僕にとってはインドでなくとも、英国でもアルゼンチンでもジンバブエでもよかったのです。要は旗の下に素直に集まれる心情のことです。しかもこれが一般大衆ならなおいい。この詩に見る光景を日本人は純粋な心で祝うことができるだろうか?日の丸の旗の下で…。たぶんしないでしょう。やったとしても、何か特別の考えを持った人々がやっているのだろう、と思って立ち去るでしょう。右も左も関係なく僕はこの国が好きです。この国に生まれてよかったと思っています。でもそういう単純素朴な心情はどこかに追いやられ、イデオロギーにまみれ過ぎている。仮にこれを「愛国心」と呼ぶならば、日本人はいまだトラウマやアレルギーから抜け出せないでいる。よく報道番組のインタビューなどで、外国人が自国愛を誇らしげに語っているのは清々しいほどです。このインドもそうなのでしょう。非常に幸せな人々だと思います。羨ましいと思います。繰り返しますが、僕はこのインドの詩を読んで日本のことを考えていました。直接的な評にならなくて申し訳ないです。何故こうなったのか? おそらくこの詩の終行の影響でしょう。

「遠い日本の空の下」

外国に行くとよくあることですが、異国の地で、強く日本人であることを意識したのかもしれない。故国の空を想ったのかもしれない。そして―。
もしかすると大鬼さんは日本とインドの友好。正義・打算両面でインドの独立に日本が多少関わったことを知っているのかもしれません。この詩によって深く考えるところがありました。そのことに思いを致して佳作を―。




吉岡 海さん「砂の音楽室」 2/7

まずは僕が好きなタイプの詩なんです。まずタイトルがいいじゃありませんか。それだけですでに抒情の始まり。誰しも読みたくなるでしょう。(吉岡さんのペンネーム通り)海を意識することができます。次に砂と風。非常に比喩力が利いた音と映像を感じました。
細かく見た場合に「風の冷たい暖かな夕暮れ」ですが、読み手の中には「一体、どっちなの?」という人もいるかもしれない。「暖かな夕暮れだが風だけが冷たい」等、ニュアンスをつけてみるといいかもしれないです。
まず音です。5~8行は僕は音楽だと思っています。この詩は懐に音楽を内蔵している。
リフレインは音楽の重要要素です。この異彩を放つパートが自然と脳内に刷り込まれる感じがします。この詩の成功部分のひとつでしょう。もしかすると前後、もう一行ずつ空けてもいいかもしれない。続く9連、短い表現ですが「日は崩れ」。これもいい。砂というのは本来音がしにくいものですがアコーデオンと出会うことによって音のイメージが生まれています。アコーデオン。このやや珍しく趣ある楽器。日本語では「手風琴」もなにやらこの詩にふさわしいです。結果として音が映像をも連れてきている気がします。それは風景画のような写生的なものではなく、あくまでイメージで抽象的なものなのですが、一点だけ「小さな鍵」「錆び付いたねじ式の鍵」これ、ナンだろ?これがイメージの完結をやや妨げているように思えて、唯一惜しいと思われる点です。う~ん、イマジネーションがあっていい詩ですよ。実にタイプの詩なんですが、佳作半歩前で。ホント、惜しい…。




@すみっこさん「言葉力」 2/7

実に身につまされる詩ですなあ。少なくとも書くことを志す者にとっての共通願望であり課題であるでしょう。散文的な要素ではなく局地的に感性と言葉を結集させる詩人の領域にかなっていると言える。そこも評価したい点です。これは「言葉力」=「どれだけ心を乗せることができるか」。そして心が乗り切った言葉は必ず読み手の心にも届く。そういうものを目指してゆく。@すみっこさんの言いたいことはそのあたりにあると思う。そして、それはどうやら抒情詩の神髄にも思えてくるのでした。詩人の願いを充分代弁していると思います。

「この空欄には
 この言葉でしかない
 との迫力ある言葉~」

そうなんです、そうなんです。ここで私事を書いてしまいます。自慢じゃありませんが、長年詩を書いてきて―
「ここはこの言葉じゃなきゃ絶対ダメ。この行はこのフレーズじゃなきゃ絶対ダメ。不動!」
というのがただの一度もない。ただの一度もです。いつも、チャラチャラと交換可能だった。
そのことを、この詩と共に考えておきたい。@すみっこさんにとっては、万が一何処かで行き詰まった時、この作品を思い出せればいいと思います。これは「お守り詩」かもしれません。詩人と寄り添えるという意味において佳作です。
最後に「人様」―いや、そこまでへりくだる必要、ないですよ。「人々」で。




九丸(ひさまる)さん「スパイス」 2/8

先に一点。タイトルだけ、違うのを考えたほうがいい気がしました。それと1か所だけ異様に長いフレーズのところがあって、「編集機能」を使っているんで、その際、調整しておきたいです。具体的には「それこそが」で改行がいいでしょう。
ここからが本題です。このことこそが「生活の達人」と言えるでしょう。雪で化粧されてはいるが、いつもの同じ道。コンビニでのちょっと嬉しい出来事。日常という大波に乗りながらも僅かな変化に気づき楽しむことができる。生活の極意と言わずして何でありましょう。
挙げた事例も微笑ましいのです。ことほどさように、あいも変わらぬ日常ではありますが、視点を降ろせば、変えれば、同じ日は一日とてない。この詩はそんなことを教えてくれています。ところで、話を変えますが、「七時五十分」「朝八時」「八時十分」。この刻々の時間表示が案外この詩を引き立てる名脇役のような気がしますね。そこで、思いつきで書いてしまって恐縮ですが、少々掟破りなんですが、「7:50」「8:00」「8:10」などと表記しても、おもしろいかもしれない。「刻々感」が出そう。この表記だけ独立連にしたほうが臨場感出て効果的か? これはあくまで余談ということで。佳作一歩前を。




れもりあっとさん「剥がれかけた広告」 2/10

人があまり思いつかないユニークな場面が光ります。それだけに観察眼の細かさ、鋭さがあります。まずは、この広告の“キャラクター”にふさわしい舞台が用意されます。すなわち「曇天の冬」。おそらく風も強いのでしょう。まず浮かぶのは広告本来が持つ属性で、対象物・事例を強力にPRする。それこそ文中の「承認欲求」的なものでしょう。次に、この詩によって付与される「剥がれかけた」という状態・属性です。後者がこの詩の本領で、「剥がれかけ」を書き分けています。いわく「踊り狂って」「ひっそりと」「レトロな/甘い/ゴジャス」。しかし共通するのは「剥がれかけ」です。これをどう見るか?です。
「剥がれかけ」のイメージを考えてみます。「不完全、危機的、切迫感、醜い、哀しみ、やがて来るかもしれない無」。そんな状況の中で広告は上記三態を見せるのです。考えようによっては、そういう崖っぷちで耐えている姿は健気であり、どこか人間の謂いでもあるようです。そして、何より、れもりあっとさんの感性の所産でしょう。甘め佳作を。




エストリンさん「想像力と勇気」 2/10

佳作です。僕がウダウダ書くより、二つの言葉を掲げて援用とします。

A…「頭脳明晰な人ほど臆病者である」(出典不明)。
B…「人間が想像できることは人間が必ず実現できる」(ジュール・ヴェルヌ SF作家)

Aは確か古代中国の天才戦略家を指した言葉だったと記憶していますが、推測として…

想像力豊か→「こんな風になってしまうのではないか?(恐怖・臆病)→「そうならない為にはどうすればいいか?」考える→頭脳を鍛えることになる。

こんな具合だと思うんです。Aを持ち出したのは、この作品に殆ど同じ事が書かれているからです。すなわち6連です。Bも同様で作中の8連が全くこれにあてはまるのです。
その他にも興味深いのは想像力と事実との因果関係にも触れている点です。この詩を読んで、もしかすると人間の一生とは想像力と事実の応酬あるいは、いたちごっこであるかもしれません。最後に提示される勇気ですが、これは極論すれば臆病と同質ではないでしょうか?なるほど対極にはありますが、心の振動という点において同種と考えられます。
この詩を読んで僕なりの結論は「想像力と事実は融和・相克しながら存在し前後しながら推進する。それを後押しするのが勇気と臆病である」

ここでちょっと視点を変えます。あえて、造語的に言うならば、これは「論理・思想詩」と呼んでもいいのですが、こういうものは賛成もあれば批判も受けやすい。ですが、思想とは反対意見があってこそ初めて思想と呼べるほどのものではないか、とも思うのです。これもちょっと他者の受け売りではあるのですが。たしかに本作は詩としてのスタイル・領域からすると、やや不利な地点にいるでしょう。しかしそんなことはどうでもいい。この詩には全篇にわたって深く掘り下げるに足る潜在能力があります。僕はその力に期待したい。ゆえに冒頭の標語です。




評のおわりに。

評者と言えばエラそうに聞こえますが、僕自身は多くの読み手の委託を受け、代表で書いている、そんな風に思っています。
いつぞやも書いたように、投稿者のかたから気づかされること、思いを深めること、教わること、が多々あるものです。勉強になるのです。
今回はとりわけそういうものが多く調べる機会も増えました。ありがとうございました。では、また。
 
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