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Kazu様

 投稿者:タルコンティメール  投稿日:2018年10月 9日(火)00時03分4秒
  Kazu様
 こんにちは。
 御多忙のところ早速御感想をくださり深謝致します。
 自分としては生と死をイメージしたつもりですが、箸にも棒にも掛からないものを置いてしまい申し訳ございません。
 くださった御感想を胸に勉強したいと思います。
 Kazuさんには初めて読んでいただくのに御挨拶もせずすみませんでした。
 (Kazuさんの新詩集の際に簡単な御挨拶をさせていただいたつもりでおりました(汗)。)
 また読んでいただく機会がありましたら何卒宜しくお願い致します。


 

Kazu.様

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年10月 8日(月)23時41分21秒
  こんばんは。
拙い詩に評をありがとうございました。丁寧に読んでくださり感謝しております。色々とご指摘を頂き改めて詩を読み返してみました。仰る事、納得しています。あまり推敲していなかった事もあり、反省すべき所が沢山ありました。また投稿するときはどうぞ宜しくお願い致します。朝夕は肌寒くなってきましたのでご自愛ください。
 

kazu.様

 投稿者:@すみっこ  投稿日:2018年10月 8日(月)19時35分43秒
  今回も投稿作を読んで頂きありがとうございます。
以前も同じような事をご指摘頂いた事があるように思います。インパクトの言葉ですね、言われてみるとちょっとやさしかったでしょうか。四連の詩に起承転結と言われて、それまで深く考えずにいました。自分が出会った光景を伝えて同時に自分の心も乗せて書いていましたが、転の時の言葉は起の言葉よりインパクトを与える事がより良くなるのですね。それで、考えてみたのですが、果たして良くなったかどうか自分では判断できませんでした。繋がっているかが難しいです。
でもパッと一瞬に出会った光景は確かに胸に刻まれました。これからも、どこで会うか分かりませんが、一瞬をこれからも留めていこうと思います。ご批評ありがとうございます、また書けましたらよろしくお願いします。
 

Kazu.様へ

 投稿者:中也  投稿日:2018年10月 8日(月)17時02分23秒
編集済
  今回、しっかり読んでいただきありがとうございました。今、僕は自分と向き合って、詩を残そうとしているのかも知れません。本来、その作業は自分の心の中で納めることかも知れません。このサイトで僕は、僕の心を残そうと二編の散文詩を書きました。目の前に死と向き合うと人は過去の記憶を拠り所にして心の整理を始めるような気がしてます。がんは本当に恐ろしく、その人の人格を大きく狂わすものだということがわかってきました。あんなに優しかったあの人が、些細なことで怒るようになって、日々、あの人を怒らせないように、心穏やかに生活してもらいたいと思いながら、支えています。
Kazu.様のお気持ちをしっかり受けとめて、これから、自分のペースで書き続けていきたいと思います。いろんな意味を込めて、一言、ごめんなさい。ありがとうございました。これからもご指導宜しくお願い致します。
 

Kazu. 様

 投稿者:草香メール  投稿日:2018年10月 8日(月)16時27分49秒
  10/2付けの<オオサンショウウオ>の早速の批評を
ありがとうございます。文末の?は、投稿してから気が付きました。
すみません!寝ぼけていました。思いつくままに綴り、練りが足り
なかったと思います。ご指摘の点を書き改めてみます。
もう一度、現れてくれると良いのですが。次回も懲りずに
お願い致します。
?
 

Kazu.様

 投稿者:シャネンメール  投稿日:2018年10月 8日(月)15時49分58秒
  評、ありがとうございます。
今回は、
「もしかすると詩じゃないかもしれない
が、とても気に入ってるもの」

「詩にしては軽すぎるかもしれないもの」
を投稿いたしました。
「文通」の中の「仕返し」の単語は僕も報復の意味で使いました。
少し強かったかもしれません。

僕の中ではまだ詩に対しての向き合いかた
に迷いがあります。
こちらへ投稿させていただく事で迷いが
なくなるか、更に迷うことになるかわかりませんが、
評を参考に精進いたします。
今後とも宜しくお願いいたします。
 

主人公

 投稿者:Risa メール  投稿日:2018年10月 8日(月)14時48分31秒
  あの子は可愛いけれど
私よりも可愛いけれど、
この恋の主人公は
あの子より私の方が絶対面白い。

最終回で君とキスするのは私よ。
 

生きていく

 投稿者:ロバ  投稿日:2018年10月 8日(月)14時24分55秒
  その萎えた人は ベッドで眠っていた
手を撫ぜて 大きな声で呼ぶと


手から伝わって目を覚まし
過去から来たように
私の名前を言ってくれた
姓も名も言って すぐ眠りの世界へ入っていった


手を撫ぜ続けると
笑みだけ浮かべ 意識の奥底へまた帰っていく


朧な世界の向こうから
突然 「まだ 死にたくない」
突然 「まだ こんな時代に死ねないのだ」


96歳の女性は 96年間の風景のなかを
少女になって
少しばかりの生命の欠片を吸いながら
被われた無意識は 途切れながら適確にはなす
私の腕を引っ張り
「いっしょに 行こう」とぐずった


笑みは崩さず 願いを込めて
「行こう」
その力の強かったこと・・


そこしは 鮮烈でもなく 壮絶でもなく 厳かでもなく
いまを思う静寂な夜を引いて


願わくば 明け方に開く青い花の蕾 咲け

 

10月2日(火)~10月4日(木)ご投稿分の評と感想です。

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2018年10月 8日(月)14時05分41秒
  ※1雨音様、お先に失礼します。

※2いつもなら最後に「雑感」を記させてもらっていますが、今回はちょっと変則で、最初に書かせて頂きます。「評」全般に関わることなので、今回のご投稿分は一挙にUPさせて頂きます。
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最近、歳のせいか、なんか気が短くなったと、家人から言われます。本人としましては不本意なのですが、確かにイラッとすること、多くなったかも知れません。
私はここMY DEARで評者を拝命して、ピンチヒッターから数えると、そろそろ四年になります。評を書くにあたり、努めて冷静に評をするよう心掛けてはきましたが、最近は自分の主義を押しつけるようなものいいをしているのかも知れません。(当人にはそれが分からないところが辛いです)
投稿者の皆様、もし「なにトンチンカン言っているんだ!」とお感じなられたら、年寄りのタワゴトとしてお聞き流しください。よろしくお願い申し上げます。

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○シャネンさん 「もくずだいすき」10月2日(火)ご投稿分

シャネンさんこんにちは。
初めてのお方です。今回は感想を述べさせて頂きます。

初っ端の作品としては、言葉遊びの作品を頂戴しました。
そうですねぇ、「もずく(水雲・海蘊)」と「もくず(藻屑)」、なんか語呂合わせみたいですね。ただ地方によっては、「もずく=もくず」と呼ぶところもあるようですので、あながち言い間違いとは言い切れないみたいですね。

作品は会話のみで構成していて、この試みは面白いと思いました。
これも詩と言う形式の為せるひとつでもあると言えますね。


○シャネンさん 「文通」10月2日(火)ご投稿分

続いてもう一作。
ライトな感じの作品です。
これがシャネンさんの詩の傾向なのでしょうか。

それから「文通」という言葉に、ちょっとノスタルジーを感じました。
最近はほとんどがモバイル機器によるものが主流ですから、「文通」という、封を切る瞬間のときめき、そして見慣れた文字を追う映像感が、当節は希薄になりましたね。

「仕返し」という言葉が出てきましたが、これ、確かに「別にあらためてする」「しなおす」という意味からすればこれでもいいのでしょうが、しかし「仕返し」には「復讐」とか「報復」という意味もあって、私なんかのように意地悪い人間には「仕返し」と言うと、後者をイメージしてしまいます。
最初から作品に深入りしませんが、ここは「お返しに」ぐらいの言葉の方が良かったんじゃないかと思いました。

二作拝読させて頂いて、作品に余分な言葉がないことに注目しました。

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○中也さん「心象その1~或る秋の日の別れ~」10月2日(火)ご投稿分

中也さん、こんにちは。
これ、たぶん続編があるんでしょうね。(と思っていたら「その2」がUPされました)

ここに書かれていることは創作なのか事実をベースにしている事なのか、読者には分かりませんが、ただ、今ここで中也さんが書いておきたかったという意思は感じられました。
詩と言う観点からではなくて、でもしっかりと読ませて頂きました。

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○草香さん「オオサンショウウオ」10月2日(火)ご投稿分

草香さん、こんにちは。
最初に4連目の2行目。
「真剣に?る」の「?」ですが、これ変換不能文字バケなのか、或いは意図的「?」なのかどっちだろうと考えてしまいました。文中に、単語替わりに「?」を使うことは滅多にしませんから、なんかの文字バケだろうと推察しますが、どうでしょうか?

 毒舌でも
 真剣に窘める → 窘める=たしな・める
 あのサンショウウオ (題がオオサンショウウオなので、ここにも本来でしたら「オオ」が必要ですね)
 話してみたいと覗き込む

前の連のオオサンショウウオの呟き(くだらない/然もないことを/図太さを見習え)を受けて「窘める」としてみました。違っていたら、教えて下さい。

秋の夜長、パソコンを前に満腹感についウトウトした作者の脳裏には、オオサンショウウオがのっそり現れます。このユーモラスな登場には説得力があります。しかし確かに体形的にはそうなんでしょうが、オオサンショウウオが三万年もの間、ずっとその体形を維持してきた意味にも、少し触れてもらいたかったという気もします。自然界の生物には、それなりの理由があるわけで、それを私たち人間が勝手な理屈で解釈していいのだろうかということなんですね。
だからこの詩の展開は、「図太さを見習え」と言うオオサンショウウオとの遣り取りにこそ、詩を持って行ってもらいたかったかな。

評価は佳作一歩半前と言うことで。

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○あさぎさん 「忘れない~知っているのは知っていることだけ~」10月2日(火)ご投稿分

あさぎさんこんにちは。
この人(あさぎさんのことですよ)、だんだん面白くなってきた、と言うのが私の今の率直な感想です。
詩としてはケッコウモタモタ感を感じるのですが、今までのあさぎさんを拝読させて頂いた者とすると、なんか素直に受け入れられてしまう、不思議な人ですね。
ツッコミを入れたいところはあります。一杯あります。しかしそれらを敢えて封印させられてしまう、そんな詩でもありました。

思うに、あさぎさん、思考が突然ワープします。それまで段階を経てきた言葉の積み重ねが、一瞬にして吹っ飛びます。2連目、

 対岸に光が見える
 人が暮らしている
 すごいことだよ

1、2行目を受けた3行目が「すごいことだ」なんですね。確かに対岸の光から人の暮らしを想像する、これはなんら普通の感情なんですが、その「受け」に「すごいことだ」とする感性に、驚きと新鮮さと独自性を感じます。この思考のワープこそがあさぎさんなんでしょうね。

5連目、「及びもしない」。普通は「及びもつかない」ですが、まぁいいでしょう、あさぎさんだから(オッと、この言葉、久々)。そのあとが「及ぶことのほうが~」は唸っちゃいましたね、ワタクシ。「及びもしないこと」の反対語は「及ぶこと」、確かに詩的表現としては間違っていないです。こういう表現、意図してかしないでか、堂々と書いちゃうところがあさぎさんらしくていいです。しかしそれが受け入れられるのは、この連の言っていることに真理があるからなんです。

 人が知っているのは人の世界
 世界のほんのわずかな一部分

ここには二重の意味が込められています。
人は所詮、人のことしか知り得ない。そして分かったと思っている人の世界だって、(人が知り得た)世界のほんの一部の知識にしか過ぎないではないか。それなのに人間は、人間以外のことまでも知ろうとしている。これは不遜を通り越して、どこまで欲望がひろがるのだろうか、と自戒をこめて語っています。

その想いが6連目に表されます。

 恐れるよりは畏れたい
 畏れを忘れたらきっと勘違いが生まれる

ここには突然のように「恐れ」なる感情が出てきたわけではありません、これは夜の海を前にした、原始生命への回帰から発せられた脊髄反射みたいなものからでしょう。しかし現在の知能を持つ人間としては、「恐れ」よりは「畏れ」のほうを重視するべきだと言うのです。それは「畏れを忘れると勘違いが生じるから」だと作者は言います。
そしてそのことは「世界にも先人たちにも/とても失礼」だと言うのです。
これは現代の私たちに対する警鐘でもあることでしょう。

と、さんざん持ち上げといてなんですが、、題がどうも…。
もう少し、何とかいう題がなかったものか…。

お作、限りなく佳作に近い「佳作半歩前」で。

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@すみっこさん 「いつでも青春」10月3日(水)ご投稿分

@すみっこさんこんにちは。
人はある時、突然、体中で感じることがあります。
例えば見上げた夜空に無数の星を見つけたり、水平線まで眺望できた海を前にしたり、或いは@すみっこさんのように「部屋が一瞬にして/絵の具で塗られたような/オレンジ色」に染められたりした時、私たちのこころに走るものがあります。その瞬間の情景と感情を切り取り、一篇の詩としました。

「青春の一頁」とは、そのこころを貫かれた風景や色と共に、後年、何かの折に蘇ってくるものなのでしょう。そしてそれは「言葉だけでは/足りない」もの、言い換えれば言葉では語り尽くせないものでもあるわけです。しかし、そうは言うものの、私たちは言葉で言い表すことを運命付けられた者です。その感じた一瞬を、なんとしても言葉で表現しなくてはいられない、そんな風にこの詩を拝読しました。

詩は4連構成ですから、基本形の起承転結を取ります。この手の詩では「転」が一番難しいのです。この「転」次第で「結」は自ずと決まります。作品は何とか「結」までもってきましたが、「転」の部分が若干流れてしまった観がありますね。ここでは一瞬のオレンジ色に負けないくらいのインパクトのある言葉を持って来たかったですね。刻々と変わりゆく夕焼けの時間に染まりながら、こころも一緒に推移していったことでしょう。その変化をここでは表現して欲しかったと思います。
@すみっこさんには、もうそこまでの詩を書いて欲しいし、それが充分できる詩人さんだと思いますから。

評価は佳作半歩前で。

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○もくさん 「泥のうた」10月4日(木)ご投稿分

もくさん、こんにちは&初めまして。
初めてのお方なので感想を書かせて頂きます。

2行6連の詩ですが、もくさんは連毎の関連性は重視されない書き方をしますね。2行1連の集合体って感じです。そして題の「泥」に関していえば、初連と4連は「泥」が出てきますが、そのほかの連は直接「泥」に関係ないような内容に思われます。
ですから、まず整理してみましょう、そもそも、題の「泥」とは何の象徴だったのかを。そこを見定めて、そして自分の主張したかったことは何だったのかを、今一度、明確にしましょう。そうすれば自ずと詩は、一本の矢のように「泥」に向かって射られることでしょう。

一点、とても気に入ったフレーズがありました。
それは4連目の1行目、「泥の雨は止まずに 昔へと降り注ぐ」です。私は、「時間の矢は未来から過去に向かって流れる」という考え方が好きなので、オッ、ここにも同じことを考えている人が居たと嬉しかった次第でした。

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○ゆきさん 「秋風」 10月4日(木)ご投稿分

ゆきさん、こんにちは。
題「秋風」、思いっきりストレートにきましたね。
でもそれでいいと思いますよ。変に凝らないで直球勝負!もありですから。

詩は題同様、ストレートです。そうですね、その通りですねと相槌を打ちたくなるほどです。

この詩、ちょっと細かくみてみましょう。
1連、2連、3連は秋の風景や情緒を謳っています。そしてそれらを受けて4連目があります。ですからこの連は、前の3つの連をしっかりと受け止めてやらないと、せっかくここまで書いてきた「秋」が持ち堪えられなくなります。
ここからさらに細かく見てみましょう

 手のひらに小さな秋が
 集まって来るようで

さて、「手のひら」「小さな秋」「集まって来る」はいいでしょう。問題は「ようで」なんです。前3連で秋を謳ったのですから、「ようで」ではダメです。作者自身が既に「秋」を集めてしまったのですから、ここは

 手のひらに小さな秋を集めて

と言い切らなくてはいけないのです。

 思わず手を伸ばした

もダメです。第一にその前の行で「手のひら」とあって、また「手を伸ばした」では「手」のイメージがダブってしまうのです。そして第二に、3連に綴った「秋」を、ただ手を伸ばすだけでは自分の方に引き寄せられないからです。ですから私なら、詩の流れとしては、

 手のひらに集めた小さな秋を
 そっと握りしめる
 この静けさが好きだ →独立していたのを4連目にくっ付ける

で、4連目を纏めることでしょう。

後半は内容的にはとてもいいです。
特に最後の「短くなった影と帰途に着く(つくor就くの方が一般的な感じ)」は秀逸です。
しいて言えば、「暮れかかった夕陽を背に」は不要かな。
それから「少し背伸びをした後」の1行1連も強調し過ぎに思います。

 冬が来る前のほんのひととき →ここでは転調の意図で1行1連とします

 腰を下ろして
 清々しい秋風を
 肺いっぱいに感じて
 少し背伸びをしたら

 短くなった影と一緒に帰途につく →締めの1行1連!

ってな調子で、私なら締めることでしょう。
ちょっと作品をいじくってごめんなさい。
評価は佳作一歩前で。

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○タルコンティさん 「埋葬」 10月4日(木)ご投稿分

タルコンティさん、こんにちは&初めまして(でよかったでしょうか?)

お作、1970年代に「現代詩」と言われた系統に属するような詩とお見受けしました。
(具体的には堀川正美氏のような詩)
所謂現代詩には、その意味を逐一問うことには意味がありませんから、全体的印象として味わうことになります。それは作者が、絶えず読者を散文的意味に誘いながら、一方で言葉とイメージを恣意的に断絶させる手法を取るからで、例えば書き出しの、

 貴方が貴方ではないとして

という前提が何を意味しているのか、そしてそれを受けた、

 私は私以外にはなれない

ということの間にはどんな因果関係があるのか、と考える私にとって、この詩を読み込もうとすること自体が不毛なんですね。

ですから私には、「埋葬」とはタルコンティさんにとってはこんなイメージなんだという理解しかできません。基本、昭和のバリバリ抒情詩を引き摺る私には、「現代詩」というものが見えないのです。
こんな感想でごめんなさい。

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○キャベツさん 「フイウチ」10月4日(木)ご投稿分

キャベツさん、こんにちは&お久し振りです。

キャベツさんは独特の感性をお持ちのお方だから、やはり一味違うなと感心しています。
1連目の「梨のつぶて」も「水浸しの桃」も意図して書いているから、読者は色んな場面を想像してしまいます。
2連目は観念的な言葉ですが、ある面、現在の文明批評のようにも感じます。
3連目は自戒の念を込めているのかなと思いました。

この詩は書いた当事者にしか分からない、或いは意図的に分からなくしているので、読者は勝手に読むしかないし、そうする権利が保障された詩でもあるわけです。だからこの詩を読んで、ああだこうだということは無意味でしょう。キャベツさんには書くことで目的が達せられ、読者は、読みたけりゃ読めばいいし、そうでなければスルーすればいいだけの話ですね。

私はキャベツさんの詩って今まで読んできたから、これは読む側にまわるけど、キャベツさんを初めて読まれる読者は「なんのこっちゃ?」でしょうね。

私は不特定多数に向けて詩を発信するのであれば、自己満足乃至自己完結してしまう詩ってのはあまり賛成できません。詩は直観とインスピレーションで書き始めるものですが、そこには何かしら第三者に知って貰いたい、伝えたい想いがあるはずなんです。そのことにこころの半分は割かないと、詩を書く本来の意味がないのでないかと思うのです。読者に媚びる必要は全くありません。過保護な詩も要りません。しかし、詩のどこかに、「ここがキモ」というものが見えない(或いは恣意的に隠す)ものは、作者のためだけの詩になってしまっていると思うのです。

今の私にはそんなことしか言えません。

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○氷魚さん 「黒蜜きな粉餅」 10月4日(木)ご投稿分

氷魚さん、こんにちは&初めまして。
初めてのお方なんで感想を書かせて頂きます。

ところでペンネーム、最近ご投稿されるお方はいろいろ考えますね。私なんかには思いつかないものが多いです。「氷魚」さんですか。ちなみに私は魚類はパーシャルで保管しています。冷凍してしまうと、やはり味、落ちますからね。

お作はとても書き慣れた「現代詩調」ですね。
読者を散文的意味に誘いながら、イメージの脈絡を恣意的に転換していて、比喩も暗喩もぬらりとかわす手法、私の好きな音楽で例えると、シェーンベルク以降の曲調を想像します。現代曲って全体的には楽しめるのですが、パーツでは楽しめない(理解できない)。お作にもそんな感想を持ちました。
やはりデジタル時代の詩とでもいえましょうか、私のようなアナログ詩を書いてきた者には、ちょっと荷が重い詩でした。

それから題ですが、「黒蜜きな粉餅」って、山梨の「信玄餅」を思い出しました。
毎年夏、子供を北巨摩郡で開催されるサマーキャンプに連れて行って、その帰り道では必ず買ったお土産でした(余談)。
 

半世紀の人々

 投稿者:山田睦夫  ハンドルネーム むつちゃんメール  投稿日:2018年10月 8日(月)08時12分5秒
編集済
  病気を苦に40 数年前 自殺した恩師は、メルボルンオリンピックの体操女子選手だった

体罰で グラウンドに一日立たされた、厳しい先生  終業のチヤイムが、今も鳴っている

国語の女性恩師は 饅頭屋の看板娘 90 代、花の独身

次に会う時には 新妻となり 武者小路に改姓すると語る

共に見習いに入った友は 不明 店は閉店  今は亡き方々

判明する事実が 強烈に迫る

隠居して、少ない年金暮らし 背中に悩みを担ぎ 弱音が止まらない

淡々と語り 聴く 友

現役で 部長の肩書が、先導する 友


落ちこぼれの、柔道部キャプテンだった

試合会場のステージで、強敵相手に捨て身技の巴投げ 見事に自滅した

その時、客席から ガンバレーの大声 まだ聴こえて来る

同窓会の廊下で、声をかけてくれたのが、その時の友だった  風貌が半世紀を語る

私は、誰れに声をかけて来たのか  懸けられてきたのか

人は 幾つになったら  理想の人物像に、成れるのか

私は  足搔きながら  生きる証を探し  彷徨っている

その生きざまを  半世紀は  問い掛ける 今




 

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