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評、3/12~3/14、ご投稿分、残り。

 投稿者:島 秀生メール  投稿日:2019年 3月24日(日)18時18分32秒
編集済
  評価のことなんですが、前回ちょっと甘くしすぎてしまったので、今回はちょびっとだけキビシメにしています。
前回はこれで秀作になったと思えるレベルでも、当落ラインとして、今回は落ちてるかもしれませんが、今回の方が本来のラインに近いものになるので、ご容赦下さい。


ケイさん「道化師鉄仮面の下」

サラリーマンとして、いやそれ以前に社会人として生きていくこと自体に仮面は必要で、仮面の所有も含めて「生きていく」ってことなんだと思う。
「フツウに生きる」っていうけど、それがなかなか大変なことなんだよと何歳になっても私も思うところですね。
この詩では、仮面が奏功したこと、仮面が裏目に出たこと、仮面で笑わせたこと、仮面をはずしたら相手が泣いたこと、仮面のいろいろな局面を書いてくれていておもしろいですね。この詩の特徴となっているところは、作者が道化師の仮面と鉄仮面、2つの仮面を所有しているところです。
時制を察するに、1、2、4連が現在で、道化師の仮面が壊れたことで、その仮面を活用したことを思い起こしている3連のみが過去形のようです。この時制の展開からすると、壊れた道化師の仮面をまた作り直すのか、残る鉄仮面だけで生きていくのかわかりませんが、最終の4連にも、2連の結果を受けての仮面のことが記されべきじゃないのかな? と思います。これがまず1点。
2点目は、頭の中の思念だけで書かれたものは、こちらも空を掴む感じでしか読めない、ということなんです。思念の部分を生かすためにも、どこかに具体が必要です。この詩の展開からすると第2連に、木端微塵になった場面があります。ここの部分を、抽象で書かないで、具体で書いてってことになります。例えば、「女子社員から厚顔無恥だと指摘され」と、「女子社員」ひとつ入れるだけでも、話は具体性を帯びます。ここにそういう工夫が必要です。
3つ目は、タイトルの書き方がひどく曖昧なのですが、仮面の2つ使いはこの詩の特徴となるものなので、くっきりと『道化師の仮面と鉄仮面』て、書いたほうがいいです。
最後に、これは個人的に、ケイさんより長く生きてる者としてのアドバイスなんですが、仮面て、アレンジできるんですよ。どんな仮面も、自分のひととなりを反映させる形で少しはアレンジすることが可能ですから、やってみて下さい。

完璧ではありませんが、まずまず書けてたんで、秀作を。


中也さん「ぼんやりとした絶望感と不確かな希望」

今回違うのは、「ウォーキング」がある連のとこだけですね。

以上。

中也さんの中では、「初めて特別なことを言う!」って感覚があって、また書くのかもしれませんが、
客観的なことを言えば、中也さんは1~2ヵ月の間隔で周期的に同様の内容の詩を書いているのですよ。今回は3ヵ月以上空いてるから偉いなあーと思ってたところでした。なので、累計数をいえば、中也さんはかれこれ、これと同じ内容の詩をもう20数作以上、ここに書いているんです。それをアタマに入れておいて下さい。
この内容の詩に対して私がどう思ってるかは以前、メールでお伝えしたとおりです。
そんな具合なので、以降、この内容の詩は、ここではなく、自分のノートに書いて頂けませんか?


切り子さん「タンポポ戦争」

ところが案外とニホンタンポポと外来タンポポ群は棲み分けているようなんですよ。外来タンポポ群はもともとが荒れ地や都市部の造成地のような乾燥系が好きで、田畑が多い肥沃な所はあまり好まないようです。しかしながらニホンタンポポを主体となる環境の田園地帯そのものが、いま日本から減少していっているので、それの減少に伴い生息域を減らしていっているということがあるようです。
また、外来タンポポ群の中には、かなりの確率で、ニホンタンポポとの雑種がいることが確認されていて、概ねは外来タンポポ群寄りの性格を持つのですが、ニホンタンポポ寄りの性格を持つものもあるようです。そもそもセイヨウタンポポって、一種類のものではないんだそうで、それゆえ最近では、「外来タンポポ群」と呼ばれるようになりました。そんな具合で、タンポポの識別って、DNA的にはかなりややこしいことになってるそうですよ。

だもんで、切り子さんが言うように「タンポポが咲いてる」という言い方だけで、もういいのかもしれませんね。それはいいんですが、終連に置かれているものには具体がないですよ。この話の展開は、
タンポポの歴史や学説を述べたあとに、そうした机上の話はこれくらいにして離れて、「いま目の前にある自分の具体!」、というのがこの話のオチの持って行き方になります。
「どこそこにあるタンポポ」ないしは「どこそこで見たタンポポ」という具体で終わらないといけないとこです。ところがこの終連には具体の場所記載がない。つまり場面チェンジがオチになるんですよ。ところがこの終連は、まだ先ほどの話と同じく机上を泳いでいて、まったく場面チェンジになっていないから、不可ですね。

 そういえば
 小学生に上ったばかりの頃に
 帰り道 友達と綿毛を吹きながら帰った
 楽しかったあの道に咲いていたタンポポは
 どっちだったのだろう

たとえば、こんな感じの具体で身近に感じるところに持ってきて終わらないと、歴史や学説ばかり述べても、話は宙に浮いてますよね。必要なのは、こういう終連なんです。

まあ、最初、札幌で植えられたこと。単為生殖のことなど、よく調べては書かれてるんで、途中までは評価して、秀作としましょう。


草香さん「再生」

警策が出てきますから、座禅を組んでるのでしょうね。拍子木は仏事のスタートに使われることがままあるので、ここも「座禅スタート」の意で鳴らされたものでしょう。それにしても「夜の山寺/ろうそくの灯る下」というロケーションは、本格的なものですね。
「警策が唸る」は、まさに和尚に警策で肩を叩かれた瞬間のことで、「霞んでいた目が/一瞬 透明になる」には、痛みに耐えた様子が描かれています。
さらに5連には、座禅における心の置き方の思考が述べられているようです。ここが醍醐味ですね。
草香さんは、いつもハンパないなあー 物見遊山の観光客とはレベルの違うものを置いていってくれます。一般の人間は知らない境地を紹介し、味あわせてくれるのが、いつもありがたいです。
いい詩でした。秀作プラスを。


耀子さん「『愛』ある時を ~結愛ちゃん、心愛ちゃんを思う~」

いいですね。非難するしかない出来事であっても、非難する切り口や方向性というものがいります。
それが、単なる罵声で終わらず、問いかけを残すものになるでしょう。
この詩の最高にいいところは、虐待で亡くなった2案件、二人の子に共通して「愛」の字があったことに着目しています。

  それぞれに「結愛」「心愛」と名付けられた
 「愛」という優しい字を与えられ
 「愛」ある日々を送るはずだった少女たち
 「愛」という字を与えた両親に殺された
 その衝撃が私の心から消えてくれない

この連に、究極の思いがあります。
耀子さんの言うとおり、この名をみると、生まれた時には親の愛が籠められていることがわかります。羨ましいほど、いい名です。それがどこで狂ってしまうのでしょう。また6連にあるように、

 親から
 ネグレクトされたり
 理不尽な怒りをぶつけられても
 逃げることも助けを求めることも
 出来ない
 生まれる場所を選ぶことはできないのに

子は生まれる場所を選べない。親の仕打ちを受けるしかない。また、逃げることも助けを求めることも出来ない年齢の子における悲劇でした。
そして作者はすべての子が「愛」に満ちた時を過ごせますようにと祈ります。
それら全部、「愛」という字の意味を考えた思考で貫かれています。すばらしいですね。
タイトルの副題にも、「~結愛ちゃん、心愛ちゃんを思う」と添えられていて、正々堂々の主張です。

また、初連は早春の森のウォーキングで始まり、最後はまたその早春の道に戻ってゆく、この思考の背景に添えられる風景も美しいです。
耀子さんはあんまり社会批判的な詩は書かない人だけど、どうしてもこれだけは言いたかったという思いが籠っていました。それは亡くなった二人に捧ぐ愛であるのでしょう。
いい詩でした。名作を。この詩は最初から最後まで完璧でした。耀子さんの代表作の列に並ぶべき一作ですね。


伊月あかねさん「立夏を過ぎて」

「穿たれる」は穿つの受動態なので、穴をあけられるってことです。前後に来る語は、穴をあけられる対象物になります。だから、初行、使い方おかしくないですか??? 仮に「穿った見方をする」の「穿つ」の意味で使ってるんだとしても、やっぱりここ受動態はおかしいでしょうね。ですので、

 穿つ日差しが目の奥を貫き

という感じになるんでしょうけど、詩全体から見ると、ここは、そこまで鮮烈でなくていいので、

 カーテンの隙間から漏れる強い日差しが 眠っている私の瞼を突き刺す

くらいの書き出しで良かったんではないか、と思うところです。

「ナスタチウムを挟んだサンドイッチ」って、あるんですね。ナスタチウムはサラダの彩り用かと思ってたけど、サンドイッチもアリなんだな。この語はちょっとオシャレでした。

関西ではここのところ毎年、ゴールデンウィーク中に30度を記録する日があるので、旧暦の立夏であるにもかかわらず、ホントにもう夏だな感がきます。かき氷の出し店が出るのもこのあたりからで、この詩が書こうとしてるんであろう「もう夏!」の感慨も、まさにわかるところがありますね。
立夏における季節感の齟齬の話としてはOKなんですけど、なにか話の芯になるものが欲しいですね。これといって目的なく散歩に出たとしても、そこで集中して見つめたものが、あるいは見たもの聞いたものの中で、こだわったものが、何か欲しいのです。それが話の芯になります。
風鈴、簾に、少しこだわりかけてるんですけど、これではまだこだわり方が不十分ですね。
いちおう、終連のラスト2行削除で、

 風に鳴る簾の揺れる音
 風に鳴る風鈴の音
 ブルーハワイのシロップに浸かったかき氷をつつく音

 全部がもう夏なんだと気づいた

で終わりにして、カタチにすることは可能です。
うーーん、ベースになるものはあるんですが、的になるものがない。半歩前ですね。


レノンさん「ラインズマン」

ラインズマンという目線で捉えた作品。フツウの人は普段まず経験することのない、この視点からの描き方に圧倒されます。
初連がまさにラインズマンの緊迫の一瞬。最初の「アウトーッ!」は、誰が言ってるんだろうと思いますが、すぐそばにいる6人なのか、応援するスタンドからなのか、「悲痛な祈りにも似た叫び」とは、まさにそう表現するしかないものですね。声は、すぐ前にいる6人にとって有利なものしか常に聞こえてこないから、それに一人で抗して旗を振らねばならないこともたびたびある、勇気のいる仕事なのだとわかります。「イン」といえば、すぐそばの見つめた6人の目は落胆し、ネットの向こう側の6人が歓喜する。瞬間、瞬間の勝ち負けをはっきり宣言するその仕事は、他者からは想像もつかないプレッシャーにさらされる仕事なのだなと、初めて知ることができます。その視点と心情を描いてくれているだけで、この詩の価値はもう十二分です。ラインズマンの心構えを描いた3連の、「選手たちと一ミリも違わぬ想いで」の詩行もすばらしいですね。名作を。

これ、どうみてもバレーボールの話だろうと思って読むわけですが、すみません、ラインズマンて、バレーボールは4人いますよね? 私がラインズマンの役割をわかってないってこともあるんですが、まあたいていの人は知らないわけですが、

 緊迫の世界を囲む四本の線
 その二本を私が支配するのだ

これがこの詩で意味わからないところです。「緊迫の世界」というと試合をしているコート全体のことを指すかに想像するんですが、これは、ネットからこちら側だけの話をしてるんでしょうか? 4本は、どの4本?
また、ラインズマンは4人いると思ってるんですが、一人のラインズマンが管理する2本とは、どの2本?
どうもこの2行の詩行が、よくわからんのです。欄外に注釈の形でもいいですから、この部分は補足してほしいです。

この詩は題材、視点、心情が非常に興味深い作品ですから、現状は通常の名作ですが、まだもっと大きくなれる余地があるというか。
たとえば汗が飛び散る試合の熱気のようなものまで、ここに入念に書き込まれていると、レノンさんの代表作と言えるランクにまで、この詩はまだジャンプアップできると思いますよ。

 

島 秀生様

 投稿者:ロバ  投稿日:2019年 3月24日(日)17時52分56秒
  いろいろ、ありがとうございます。

この詩を消して、書き直そうか・・と思っていたのです。
でも、まあいいかと思ってました。
その時も、「国道」は思い当たりませんでした。
なるほど・・と思いました。
ネット詩は、年数や時間差(過去)や場所を書いていませんので、難しいなと思いました。

勉強になります。感謝いたします。
 

恋する物語

 投稿者:なおきちメール  投稿日:2019年 3月24日(日)14時33分36秒
  好きな小説を読んでいるとき
恋する気分を味わっている

胸があたたかくなる
やめたくないと思う
ずっと続いてほしいと願う
終わってしまったときの喪失感
そしてまた新しい物語を探す

出会いを求めて本屋へ行く
たくさんの様々な本がある
なのに出会いは少ない
会えるのは奇跡かもしれない

予感は当たったり
外れたりする
本当は身体のどこかでわかっている
当たるときと外れるときの違いを

全くはずれることはある
途中で投げ出したくなることも
それでも続きが気になって
胸焼けを我慢して読み続ける
惰性で続けるときもある

恋した本は
ずっと手元においておきたい
なぜ恋したか忘れてしまっても
想いだけは残っている

昔恋した物語に
再会することがある
過去の気持ちがよみがえる
新たな想いをみつけることもある

そうやって本は私と共にいた
だから今も読みたいと思う
未来にも出会いたいと願う

癒しであり
エネルギーであり
傷つけられたり
涙したり
笑ったり
感動したり

私は恋した物語を
隣に置いて、今日も眠る
 

島秀生 様

 投稿者:あさぎメール  投稿日:2019年 3月24日(日)11時55分26秒
  評をありがとうございます。最後の締め方を悩みました。ユーモラスという評をいただきほっとしました。ありがとうございます!今後もよろしくお願いいたします。  

島 秀生様

 投稿者:樺里ゆうメール  投稿日:2019年 3月24日(日)10時41分54秒
  ご多忙の中、詩のご感想と批評を頂きありがとうございます。
時系列の整理など、自分だけでは分からないことが発見できて、目から鱗です。
客観的なご意見を頂けてとても嬉しいです。
タイトルをつけるセンスも磨きたいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
 

島さん

 投稿者:かすみ じゅんメール  投稿日:2019年 3月24日(日)06時35分2秒
編集済
  評にご指摘有難うございます。
おっしゃる通り、伝わりずらい所が多くすみません。
今後に生かして行きたいと思います。
また宜しくお願いします。
 

評、3/12~3/14、ご投稿分、その1。

 投稿者:島 秀生メール  投稿日:2019年 3月23日(土)23時18分19秒
編集済
  残り7作は、明日の夜になります。


あさぎさん「飛ぶ」

おもしろいね。
飛び方と飛ぶ理由、飛ぶことの不安、知ることの危険、飛んだ知ったあとの覚悟、
そして着地の心配のユーモラス。
それらを対話形式で描いています。
歩き方とは異なる「飛ぶ」という意味について、読者に考えさせてくれます。
全体が非常に暗喩的です。
それは例えば、ただ参加していることと、渦中に飛び込み第一線を担うことの違いのようでもあります。
やりがいがある反面、より苛酷な職場に変わるようでもあり、日本から世界へ飛び立つようでもあります。
旅立ちの春に、ふさわしい詩かもしれませんね。ただ詩中、歩き方は知っているとありますから、すでに歩いている人が飛躍に向かうものであるようです。
そして、あったかいのは、この対話相手が、全てを許容して、待っていてくれてることです。
挑戦のことだけでなく、愛を一筋落として、「着地には気を付けるんだよ/足にね/響くんだ」とユーモラスに包んで、最後を決めてくれてるのがいいです。
うん、グッドやね。正体を明かさず示唆しつづける「飛ぶ」の比喩イメージにも破綻がなかったし、最後まで緊張感も途切れなかった。
よいでしょう、名作を。大作ものでは、初めての代表作と言える一作ではないでしょうか。


樺里ゆうさん「喉元過ぎれば」

なかなかいい詩ですね。とりわけ、

 身を縮こませて
 流した涙は
 私の
 生命のかけらだった

は、すごくいい詩行で感動でした。魂をこめた出来事があったことがわかります。

行わけ、連わけの感覚もいいと思います。
この詩の唯一の難は、現在と過去が出たり入ったりをくり返すことですね。特に終連でまた過去に戻っちゃうのはちょっと違うと思います。
先ほど引用しました4連に勝る連はないので、過去の語る部分については、この連をキメにすべきと思う。なので、

 あの頃の私の
 体をすべて満たしていた
 笑えるほどの激情は

 今は ただ 懐かしい過去

 あの頃は笑えなかった
 苦しむだけで精一杯で

 窓を閉め切り
 椅子の上で泣いていた

 身を縮こませて
 流した涙は
 私の
 生命のかけらだった

 こんなに穏やかな日々に
 身をおけるなんて
 あの日には
 想像もしていなかったな

 部屋に吹き込む風が
 こんなにもやさしいこと
 気付かなかった

 そっと教えてあげたい
 あの頃の私にも

という感じに、過去部分は前半に集約する案はどうでしょうか?
それとタイトルが、いけません。こんなに一生懸命に書いてるのに、「喉元過ぎれば」なんて、おちゃらけたタイトルつけちゃいけないと思います。
以上、ご自分で一考してみて下さい。
初めての方なので、感想のみになりますが、とてもいい詩でした。ぜひまた書いて下さい。


伊月あかねさん「鼈甲飴」

鼈甲飴って、昔から飴細工にもなっているくらいで、本来いろんな形があるのですよね。で、この詩を読むにあたり、いま売れてる鼈甲飴って、どんな形が主流なのだろうと思い、「ロマンス製菓塩べっこう飴」というものに行き当たりました。「口の中でころころ」と「丸い」の要件を満たすには、これをイメージに読めばいいんだろうなあというところからのスタートでした。(いや、「角が溶けて→丸」ということになると、もはや元の形まではわかりかねます。)
形に、いまいち共通イメージを引き切れない題材なので、前提となる形の提起またはその示唆が最初に欲しかった、というのがまず1点ですね。ちょっと出すだけならスルーしても良かったんですが、なにしろこの詩はその「形」のことを、窓や太陽に追っかけていく詩ですからね。

それから2連3行目にご自身でも「も」を使っているように、この太陽は、窓の連想からの連続と考えると、2行目「ふと思う」は、→「また思う」にしたほうが、おもしろいですね。

あと希望ですが、この丸い窓にしても、電車なのかどこかに来ているのか、なんとなく形からして自宅の窓ではないように思います。それなら、それに伴う旅情のようなものもあるんじゃないかと思ってみたり、私としてはあんまりコンパクトにせずに、ストーリー性を持ってもう少し長めに書いてほしいと思うのが希望です。ぎりぎり秀作を。


耀子さん「年年歳歳 人同じからず」

しだれ紅梅!! いいですねえー 私、仕事で前を通ることがあった女人高野の慈尊院のしだれ梅が見事で大好きでした。階段数段分高くなっている境内から塀の外へ向けて枝垂れ、地面まで達していた見事なもので、ピンクの色目も上品だったのです。あそこの枝垂れ紅梅は忘れられないですね。あれはマジ、桜よりキレイだったです。
また白梅は、近所のお寺に、地域一番に早く咲く白梅があって、これが咲くと、木枯らしもおさまり始める春告げの白梅です。梅って、年明け一番に咲くのが梅なので、初物の嬉しさも加わりますよね。キレイの前に、私は、嬉しい、ありがたい、がまずあるんですよね。
それにしても、耀子さんところの庭って、いろいろなものがありますね。管理もたいへんだろうと思いますけど、すばらしいです。
そして我が家の自慢の梅を見ながら、ご主人が亡くなられたとあれば、その梅への感慨もひとしおのことでしょう。これだけの庭であれば、ご夫婦揃って、この庭を、この家を、深く愛されていたにちがいないです。
花は変りなく咲くが、人の世ははかなく移ろいやすい。終連には「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」を、漢詩であり、この一節だけで故事・ことわざともなっている境地を深く噛みしめている作者がいます。まさにこの心境なのでしょうねえ。

3連の「愛ずる」は、たぶん古語の「愛づ」の活用だと思うので、「愛でる」の方がいいと思います。
初連3行目は

 紅梅 白梅 しだれ紅梅二本 の

という感じに一文字ずつ空けてみましょう。
同じように4連初行は2行に分けるとともに、一文字あきで。

 二輪 三輪
 二部咲き 四部咲き 六部咲き

このほうがいいと思います。せっかく細かな推移を書いているので、間合いを取る意味でもこの方がいいです。

2連、1行目「年が明けると」と4行目「希望を膨らませる」は実は連係してるんですが、なにか読んでて途切れてしまうので、くっきりさせるために、2行目は「梅の枝にはもうかすかな春が兆してくる」にしてはどうでしょうね。

つまり5連、6連(終連)はたっぷりと奥深いものが登場するパーフェクトな連ですから、その前の1~4連を、梅の花に集中して、いかに作者と同じ美の感慨に、読者を引き込むか、酔わせるか、上記の点とあわせて、まだグレードアップできるようなら、考えてみて下さい。梅を描くために、梅以外のものを取り入れるのも可です。やや弱いのが1~4連なんですよ。ラスト2連は、本当にすばらしいです。秀作プラスを。


小林大鬼さん「3/11あれから」

少しロジックがすっきりしないです。

前半にある批判対象を、作者としてどこに向けてるか、なんです。
「国」というばかりではない、我々だ、という思いがあるから、6連で「我々はあの日を忘れて」の言葉がきっとあるのでしょう。それと終連終行の、「まっすぐに人々と生きる」は、整合性が取れていますか? 前半で批判していた「我々」は、どこへ行ったんでしょう???

「我々」を批判したのであれば、戦いは孤独な方へ行きます。だって、そうでないのは自分含め少数派ということになりますからね。だから、その立場で言えることは、たとえ一人になっても正義を通すぞ、の思いか、みんなに対して、それは違うぞ、みんなこういうことを忘れちゃいけないんだぞ!と、訴える思いで書くか、通常はどちらかだと思うんですが。
「まっすぐに人々と生きる」という結論て、なんなんでしょう……。つまり前半で敵だった「我々」が、後半では味方になってるんですが……。それとも前半の「我々」と後ろの「人々」は、指すものが別々ですか?

被災者にもっと寄り添えとの思いを書きたいんだろうなあとの想像はつくので、いい事を書いてらっしゃるのはわかってるんですが、全体ストーリーの立て方がなんかヘンですよ。たぶん、終連が悪いんだと思う。
終連はカットで、5連以降を、この順番に変えませんか?

 我々はあの日を忘れて
 また金や資源や電力を
 湯水のように使い始めている

 雨が降る
 涙混じりの雨が降る
 思い出は帰って来ない

 ばらばらになった家族
 元に戻れない現実

 数多の命と魂を祈りつつ
 託された意味を思いながら
 あの哀しみを噛み締めながら

 被災者はこの国の被害者か
 あの日の記憶は止まったままだ

この案はどうですか? つまりね、「我々」は敵のままにするってことです。先ほどの通常例でいいましたように、前半で「我々」を敵にした以上、最後まで敵のままにして、それに訴えかけるようにして書き終えるってことですね。ご一考下さい。

うーーん、こちらはストーリー立ての骨自体が途中で曲がっちゃってる話なんで、ちょっとダメージは大きいなあ。元々、前半と後半で別々の詩だったのを、2つくっつけられたのかもしれませんね。あと半歩としましょう。


ロバさん「この街」

私の理解不足かもしれないけれど、この詩の一番の違和感は、「国道」なのですよ。
「路地」に出て涼む人の変化、「商店街」のシャッター通りとしてはスッと入ってくるのですけれど、シャッター通りが国道沿いってとこに違和感があって、まあどんな田舎に行ってもなんでか主要道路だけはりっぱなのが通ってるというのが近年のことなものですから。古くなった国道も、バイパスとか出来て、「国道」の名称そのものも新しくできたバイパス側に移行されてることがほとんどで、せいぜいが「旧国道」ということでしたら、そういう所もあるかなと思うところです。おそらくこういうところが一般的な感覚のはずなので、この枠に入らない例外的な特徴があるのでしたら、その点を補足するものをつけ加えておいて欲しいですし、なんでしたら、やっぱり「国道」は「旧国道」とするか、国道から一本入った道の話をされてるでしたら、そのように書いて欲しいところです。

もしかしたら福島の帰宅困難区域のことを書いているのかな、とも一瞬思いましたが。「桜並木も消え」や「初代の親父さんも・・・知っていた」の詩行を読むと、そのままの状態で廃墟のようになってしまった帰宅困難区域の様子を描いている、ということでもなさそうです。あくまでロバさんの故郷のお話なのでしょう。それだからこそ、今はその町に住んでいなくても、そこに住んでいた人だけが知り得るその町の人の歴史「店の初代の親父さんも 奥さんの顔も その家族も知っていた/それだけで この街の人間なのだ」と言い切れているのだと思います。

地域の中心都市から離れれば離れるほどに、過疎化は加速しています。高齢者ばかりの町も増えている。衰退する故郷を憂う、作者のハートには温かくてステキなものがあります。概要としてオッケーな作品だけに、もうちょっと推敲して、仕上げてあげたいとこですね。

初連から2連に至るところ、この→あの→この→あの→2連その、でいちおう考えて並べてくれてるんですけど、やっぱり指示語だらけ感はあるということと、2連以降、連ごとに順番にその先へ歩いていってることを思うと、初連は総括だけでよくて、「路地」のことは2連からでよいのではないかとも思います。

 この街の道を歩いている
 あの頃の あたりの人声が
 胸を焦がす

初連はこれだけで、いいんじゃないでしょうか? というのが私の案です。
2連、ガーベラを手に持っている(切り花)と思われると妙なので、「鉢植えのガーベラ」と入れた方がいいです。

5連の2行目、「噂話も聞いていた」は意味わかりますが、「人の笑顔」って、なんのことでしょう? これ意味わからないです。で、先程の国道の件もあるので、5連はもう、

 歩くまい、 これ以上。
 シャッターばかりになった この街の道を

これでは、ダメでしょうかねえ??? 一考下さい。
終連、「シャッターの遠い奥に」も意味不明。

 店の奥から出てきた あの顔 あの口調

のつもりで書いているのか

 遠い記憶からよみがえる あの顔 あの口調

のつもりで書いているのか、方針を決めたほうがいいです。
以上、うーーん、全体としてはいい詩なんだけど、いまいち細部が甘いんだよなあー まあ、全体を評価して、秀作を。


かすみじゅんさん「真夜中の溜め息」

不眠の中で浮かんでくる、自身の内面の得体の知れないものを追っているというより、そこにはあまり深入りせず、不眠の空間を叙景的に描いている詩なので、それだからこそ、叙景を丁寧に描かねばなりません(前者については、今ちょうどHPに載せている日笠さんの詩を読むといいですね)。叙景がこの詩の生命線ですからね。の、割にはいまいち雑に思うところもあるんですよねー

「毛布から食み出した/スウエット」。もちろんもともとは食みだしてないんでしょうけど、寝相によって、足かどこか、着ているスウエットが布団の外に出てる部分を言ってるんでしょうねえー。それとも、防寒かたがた、蒲団の上にスウェットを乗せてる? とまあ、こんなふうに親切に解読しようとしてくれる読者はあんまりいないですから、もうちょっと丁寧に書きましょう。

「開け放たれた窓に」は、窓自体を開けてるんじゃなくて、カーテンを開いてるということではないんですか? このままだと前者に読まれちゃうけど、いいのかな? それと、この「開け放たれた窓」の話は、モーニングブルーが見えてくる終連に、見える理由として重ねたほうがいいですね。

同じく6連1行目の「またひとつ」も、修飾する先が遠すぎて、どこに係ってるかわかりにくいです。また、ここで「騒音がまたひとつ(たびたび)」とやっちゃうと、7連の「静けさ」との関係性においてロジックがおかしなこと(騒音⇔静けさ)になってしまいます。以上の点を総合して、6~7連は、こういう案はどうですか?

 川沿いを走る貨物列車が
 くぐもった騒音を
 窓から投げ込んで
 通り過ぎると

 あとは息を潜めてしまう程の静けさに
 寂しさがじわり
 胸の奥に滲み出す

こんなふうに、音の対照としての2つ連の連係をくっきりさせては、どうですか?

まあ、スウェットの件を除くと、1~5連までは気合いが入ってましたし、得意のオノマトペも、詩にいいアクセントを与えていました。私、特に3連の煙の出ないタバコを描かれているのが、現代的だなあと、おもしろく読みました。詩において、これが書かれているのを見たのは初めてかも、です。
あ、でも従来の火のつくタバコでの「寝たばこ」は、長らく火災原因の上位でした(昔は火災原因の一位だったこともあります)から、タバコを吸う人間にとって寝タバコってのは絶対厳禁ものだったんですよ(なので逆にいえば、昔からタバコ吸ってる人は、絶対寝タバコはやらないはずです)。煙の出ない加熱式のタバコってのは、そこは心配ないのかしら? 禁煙して久しいので、よく存じませんが…。なので、できれば寝タバコじゃないシーンで使って欲しかったかな。

まあ、プラスもあり、マイナスもあり、でしたね。半歩前としましょう。

 

齋藤純二様

 投稿者:ゆき  投稿日:2019年 3月23日(土)21時18分6秒
  「君と夕陽」に評をありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。
この詩は、齋藤様の仰るように思い出に身を寄せて癒される気持ちを書きたいと思いました。足りないところが多いのですが、また色々と試していきたいと思います。
 

青島江里様

 投稿者:ゆき  投稿日:2019年 3月23日(土)21時10分16秒
  「儚い」に評とご指摘をどうもありがとうございました。お礼が遅れて申し訳ありません。今回は推敲が足りなかったように思います。もう少し読み手の事も考えて独りよがりにならない様に気をつけたいと思います。  

六時半

 投稿者:司 龍之介メール  投稿日:2019年 3月23日(土)19時02分40秒
  六時半の鐘がなる
鳩が塔から飛び立ち
昇日(のぼりび)に向かって羽ばたく
目覚め時だよ
僕は鳩に惚れたんだ

六時半になると足音が鳴る
鐘を鳴らしに爺やが杖と
登る螺旋階段の冷石
走り時だよ
僕は爺やに挨拶したいんだ

鳩が飛んでいる
仲間と歩調を合わせて
どこまでも幸せそうに平和に
何をしても仲良し
鳩と共に目を追いかける

六時半の鐘が鳴る
乾いた空気に響く霜の音
僕は駆け上がる
時計塔から見下ろす町に
鳩は雲の下舞回る
 

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