投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


雨の日の憂鬱

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年 6月20日(水)04時56分46秒
編集済
  梅雨に入って
降り続く重い雨

怒りに任せて叩きつけるように
勢いが増していく

息が詰まるような
現実から逃れたくて

人生は楽しくて
何もかも上手く
いっているかのように

演じて来たけれど
もう無理なんだ と

心が叫んでいる

まだまだいける
大丈夫だと

頭の中で声がする

心の感情も頭の中の思考も
僕の中にあって振り子のように揺れている

この迷いも雨が流してくれればいい

窓を開けると外の空気はひんやりとして
頬に落ちる冷たい雨の雫で
目が覚めた気がした

この世界には矛盾したルールがあって
正しい事が全てでもない

人間のエゴが見えて
自分もそうなのだと
気がついて

心が罪悪感で
溢れてしまう前に

もう一度
大切なものが何なのか
向き合ってみよう





 

良い人と悪い人

 投稿者:こたきひろしメール  投稿日:2018年 6月19日(火)23時15分31秒
  良い人と悪い人とは
例えば、右と左ほどに分かれているのか
そうだとしても
私はどっちつかずの中途で半端
私という人間の品質は良くも悪くもないに違いない
ても、そんな奴はどこにでも普通に転がっている
そしてそんな奴は決まって
良い人の仮面を顔につけているに違いないんだ
仮面をつけていながら
時にはそれをつけているのを忘れてしまい
偽善者の臭い息を吐き散らすんだよ

たいそうな能書きを垂れ流して
自分自身に陶酔しながら
本質はなにもかもわかっていないくせに
正義を振りかざして

いい加減
そんな自分を写す鏡を見たくなくなった私は
どうせなら悪い人になろうと
心に思うのだった
悪い人の仮面をつけてステージに立てたら
もしかしたら
私らしく生きられるかもしれないような気がして

 

Kazu.様

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年 6月19日(火)22時23分6秒
  「月明かり」と「乾いた紫陽花」に評と感想をありがとうございました。詩を書き始めてまだ一年と少しですが、こちらでご指摘を受けて毎回、考えさせられる事が多いです。

自由に書いていると雰囲気で書いているような、「詩」とは言えないものになってしまうのが悲しいですが、多分私は自分の心を書くことを何処かで躊躇っているのかもしれません。勿論、表現力の乏しいのもあります。
私の今後の大きな課題はそれなのだと思います。
「横綱」という「詩」にどんどん稽古をつけてもらって少しでも良くなれば、と思います。お忙しい中、どうもありがとうございました。
 

孤独の集合体

 投稿者:えみゅいメール  投稿日:2018年 6月19日(火)19時48分53秒
  生まれるときも、死ぬときも、息をしている今も、
ひとりなんだから仕方ない。
悲しいも、嬉しいも、死にたいも、生きたいも、
誰も同じ気持ちの人なんかいない。

都会の夜に光る、みえない星たちは
なんのために光っているのだろう。
誰もいない夜に光る、誰にもみられない星たちは
なんのために光っているのだろう。

孤独の集合体のこの星は、今日も死んでいる。
だからこの星に永遠なんてものはない。
 

kazuさま

 投稿者:こたきひろしメール  投稿日:2018年 6月19日(火)18時21分28秒
  お久しぶりです。批評感想ありがとうございました。
私は本音を書いてしまうから反感や不快感を読み手に与えてしまうかもしれませんね。
そんな作品に佳作をありがとうございました。
 

kazu.様へ

 投稿者:中也  投稿日:2018年 6月19日(火)16時53分13秒
  いろいろ考えるところがあって、こんな作品になってしまいました。
批評していただき、ありがとうございました。
少し、冷静に考えてみようと思います。
 

Kazu.さまへ。

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2018年 6月19日(火)16時02分59秒
  Kazu.さん、

こんにちは、
「光」へのご感想をいただきまして、ありがとうございました。

星の瞬きは人の鼓動のようだと思う時があります。星自体が光を放つのではなくても、
そこに星があり、生きているから、光を受けて、もしくは自ら発光して、それを地上へ届けてくれる、当たり前のように見つめてきた星空を身近に感じていましたが、書いていて、とてつもなく大きなものだと気付きました。
けれども星の光は、離れていても、こちらが求めていなくても、人の傍にいるようで、それを何と表そうかと考えて、Kazu.さんが触れてくださった「無償の愛を/夜空に散らして」の一行を置きました。また、5~7連にも注目して感じてくださり、ありがとうございます。

皆伝を受ける前にも、おそらく全評者さまへ、夜の詩を投稿してきました。夜について書いてゆく事は、今後も続けていきたいです。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。この度もありがとうございました!
 

生きる。

 投稿者:えみゅいメール  投稿日:2018年 6月19日(火)15時59分0秒
  生きる勇気があるから生きている
それだから幸せになる人がいる
死ぬ勇気がないから生きている
それでも死んでいく人がいる
幸せを知らないのに幸せになりたいという
死んだこともないのに死にたくないという

明日はいいことがあるかもしれない
そんな理由で死を先延ばしにする
生きていてもいいことなんかない
気づいた頃には死んでいる

生きる。はそんなものでいいんだ
 

I'm ADHD

 投稿者:  投稿日:2018年 6月19日(火)14時26分37秒
  I'm ADHD
抜けたアルファベットが俺っぽいね
徒競走で負けても 忘れ物の数なら誰にも負けなかった少年時代
誰に怒られても別に気にもしてなかった

Pay attention please??

Sorry  俺にはそれが難しい
だって意識はとっくに滑走路を離陸してあの空を飛んでいる 飛行機みたいに..
で俺は窓から退屈に手を振ってる
そんなに悲しい顔をしないでお母さん
このままじゃ まともな大人になれないって心配してるんだろ?
けど案外そうでもない

当時は誰も俺の中で起きてることなんて
知りもしなかったけど 誰も恨んでなんかいない

この子はドーパミン受容体が他の子と違うなんて誰にわかる?

ただ年齢があがるにつれて生き辛くなる

社会って魔物が
背後から ゆっくりと近づいてきて
俺を摘もうとしてるのがわかる日がくる

鏡を見れば

見た目とはアンバランスな精神

追いかけてくる 白い目と嘲り

そして 最後に医者が俺にADHDの烙印を押す

社会って魔物に希望を吸われて 絶望の淵で横たわる

そして その場に沈んでいく

そんな俺を眺めながら 精神科医はきっぱりと言う

彼はADHDの二次障害で鬱になりましたってな

で また 飲む薬が一つ増えるってわけ

社会に認められるために薬を飲み続ける同志を見ると胸が痛くなるよ

俺を救ったのは薬なんかじゃない
彼女の偏った愛
100人の人間が否定しても
たった 一回の抱擁で肯定してしまう愛

失った自尊心さえとり戻せば
他人の目を気にすることさえやめれば
ADHDは覚醒する

集中力のなさは発想力に
多動性は無限のエンジンに
衝動性は行動力に変わって

今の自分は誰にも止められないだろうなって気分になる

だから おまえも
魔物に貼られた このむず痒いレッテルを剥がせよ

社会は型にはまらない俺逹を恐れている

どこまでも自由で野蛮な俺達に名前をつけることで  どうにか納得している

もう 我慢しなくていいんだ

ADHDの創造力の翼に身を任せて
好きな空を飛んで 退屈に手を振るんだ...





*ADHD ...発達障害







 

6月12日(火)~6月14日(木)ご投稿分の評と感想です。②

 投稿者:Kazu.メール  投稿日:2018年 6月19日(火)14時08分2秒
  ※葉月 祐さん 「光」 6月13日(水)ご投稿分

葉月さんこんにちは。
皆伝者さんからのご投稿なんで、感想だけを申し上げましょう。

普通、私たちは「光」というと、真昼のそれ、あの太陽からやってくるものを想像します。ただ、私たちは「光」そのものは肉眼では見られなくて、その光が映し出してくれる物質を通して、間接的に光の存在を意識できます。しかしここで言う光は星空のそれで、晴れた夜空に散りばめられた星々から放たれる光を対象にしています。そして星は単なる無機物に過ぎませんが、その無機物が自ら光ったり、また他の熱い星から照らし出されることによって、長い年月を経て、今、地球に届けられたことに注目しています。

古来、「星」と「光(光る事)」は同等に扱われ、私たちが「星」と言うとき、それは夜空に瞬くそれ、光の粒々のことを差し、その星の光から、知恵や勇気、神話や予言まで「遥か はるか 遠くから/私達へと贈られた/プレゼントのようだ」となるのです。

このスケールの大きな事象と対照的に、葉月さんは「人々」や「恋人」との、星の光に想いを馳せます。ここには星の光を通して、マクロ(宇宙)からミクロ(人間)まで語られていて、これこそが詩と言う言葉がなせる業と言えます。たぶん「光」の本質とは、物理学で言うところの量子論で解明されようとしているのでしょうが、しかし詩人の「光」は、「無償の愛を 夜空に散ら」すものと結論付けられました。それで充分、納得です。

******************************************************************

○ロンタローさん「大きな橋からの眺め」6月14日(木)ご投稿分

ロンタローさん、こんにちは&初めまして。
私はKazu.と申します。よろしくお願い申し上げます。
ロンタローさんは、私宛のご投稿は初めてなので、今回は所感を申し上げることと致します。

一読して、とても詩情豊かなお方とお見受けいたします。
また、1連目と5連目、2連目と6連目は対になっていて、技巧派でもあります。
中程に書かれた「渡り鳥」と「鳩」も同じ鳥類を題材にしていますが、渡り鳥は現実の、鳩は比喩の眼で書いていますし、文明批評のまなざしも感じられます。

とてもこれから先が楽しみな詩人さんだと思われました。
しいて言えば、題にある「大きな橋」がもっと中央に来て、主張して貰いたかったです。
なんたって「題」に登場してくるくらいですから。

*****************************************************************

○一歩さん 「薫風」6月14日(木)ご投稿分

一歩さん、こんにちは&初めまして。
私はKazu.と申します。よろしくお願い申し上げます。
一歩さんは、私宛のご投稿は初めてなので、今回は所感を申し上げることと致します。

詩のイメージとしましては、とてもすっきりとしていて、私はこの手の詩風は好きです。
特に語り掛けるような口調がいいですね。

尤も、この一作をもってして、一歩さんのカラー云々を申し上げることは慎みますが、この詩、ちょっと意地悪ですよね。「九十(才)を超えたわたし」に見えるものがあるのなら、やっぱり教えてあげたらどうでしょうか。「この歳まで生き」なければ分からんよ、と言うのは、ちょっと悪魔の証明みたいですね。そして「かつての夢は/すべて消えていった」としたら、「九十歳」で「はっきり見えるもの」は、自ずと答えが出てしまいます。

この詩、一歩さん、背伸びして書いているような気がしてなりません。それよりも、もっと身の丈にあった一歩さんの詩を読んでみたい、と思った次第です。

*****************************************************************

※井嶋りゅうさん「構造改革ノート①」6月14日(木)ご投稿分

りゅうさん、こんにちは。
今回は「井嶋りゅうファンクラブ1号」としてではなくて、MY DEARの評者として、きっちり、感想を申し上げましょう(笑)。

だいぶ昔なんですが、手塚治虫のマンガに二重人格の作品がありました。内容的にはほとんどうろ覚えの状態なんですが、主人公は、もう一人の邪悪的性格の自分に苛まれています。そしてこの二人、言い争いをします。最後がどうなったのか、忘れてしまいましたが、ただ、突然オソロシイ顔のもう一人の自分が話だして、主人公は困惑します。その場面だけが心に残っています。
この二重人格性、私は、人は誰しも多少の差はあれ、持っているものだと考えます。りゅうさん流に言えば「同居したはずはないのに/いつの間にかあんたには/ちゃっかり部屋がある」というわけです。正直言うと、私はよく自問自答します。これもいわば一種の二重人格ですよね。私の問いにもう一人の私が答えている。

この詩に見る饒舌手法は、そうでもしなければとても取り扱いかねる内容です。それができるのがりゅうさんの腕です。りゅうさんはもともと長めの詩の人です。野放しにしたら、どこまで行っちゃうんだろうと思われる詩人です。そしていつもどこかで、そのことに対してブレーキを掛けている人でもあります。だったらこの際、徹底的に「お前を甘やかし」「お前を放任し」てやったらどうでしょうか。『構造改革』は生易しいことでは出来ないはずです。時に「血」を見ることもあるかも知れません。どこかの国の『構造改革』みたいに、その場しのぎじゃなくて、ぶっ倒れるまで書いてみるのはどうでしょうか?『ノート①』は始まったばかりです。

但し、『明るい街』のりゅうさんも、正真正銘のりゅうさんです。そのバランス感覚、お忘れなく!

****************************************************************
6月14日に、燿子さんの島さん評に対するコメントに、マーラーの交響曲第五番の事がありました。私もだいぶ前の詩に、このマーラーの五番を使わせて頂きました。第四楽章に聴く静謐間は、筆舌に尽くしがたいものです。これ読んだら、無性にマーラー聴きたくなって、で、早速聴きました。(最近はずっとバロックばかりだったからなぁ)
私、一時期、マーラーとブルックナーにハマっていました。やはりCDになったお陰でしょう。レコード盤はそこに刻まれた能力はCDを遥かにしのぐものなんですが、如何せん、再生装置がその能力を活かし切れません。(つまり私のは安モンのコンポだったからです)
今日のマーラー五番は手持ちの四枚中、これを選んで聴きました。
「指揮:小澤征爾/ボストン交響楽団 1990年(ライブ)PHILIPS」
オザワ55歳、ボストン響とは17年間の付き合い、絶頂期の演奏です。
(オザワさん、もう長野での演奏会いいから、とにかく長生きしてください…。)
 

/1247