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評のお礼です。

 投稿者:じじいじじいメール  投稿日:2020年 9月20日(日)20時45分3秒
  斎藤様

こんにちは。
評、ありがとうございます。
子供への読み聞かせ向け詩を中心としていますが、MY DEAR様の先生方に、勉強になるので、大人向けもとお勧め頂き、大人向けも作成させて頂いております。私は表現力と語義力が不足しているので、?や!を多用してしまいました。今回の2つの作品とも、ストーリーの表現をもっと上手に出来ないかが課題ですね。

今後も宜しくお願い致します。
 

齋藤純二様へ

 投稿者:鈴鳴すずしろ  投稿日:2020年 9月20日(日)20時18分31秒
  感想及び評の方、ありがとうございました。

まだ続くか、ですか……そうですね。この二作は彼(と彼女)の物語ではありますが、彼らは物語の登場人物ではないのです。
私の詩の中でもとりわけ現実に近い存在であると言いますか。
彼らは私が描かない間も人生を過ごしていて、私はその一場面を切り取って描いている感覚です。
彼の人生に何か進展があれば、きっと続くでしょう。

『悲愴』、特に第二楽章は悲愴な感じがしませんね。
第二楽章と言うだけあって、乗り越えた先、それこそ『悲愴から』先をイメージした楽曲なのかもしれません。

今回も沢山の嬉しい感想、佳作の評をありがとうございます。
また最後になりますが、私鈴木ではなく鈴鳴です。特に気してはいませんが、念の為お伝えしておきますね。
今後とも、何卒宜しくお願い致します。
 

齋藤純二 様

 投稿者:蓮見 丈メール  投稿日:2020年 9月20日(日)20時01分50秒
  初めまして。箸休めのような小品ですが、温かい感想をありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。  

齋藤純二様

 投稿者:Liszt  投稿日:2020年 9月20日(日)17時45分2秒
  齋藤純二様

今回も拙作「名画」にお目を通して頂き、誠にありがとうございます。
丁寧なご感想を頂いた上に佳作との評をくださりとても励みになります。
美術館に行って絵に向かい合うと、いつも決まって、この同じ絵に、やはり画家も
向かい合って描いていたのだな…と思います。そう思うと、この絵に導かれて
見えない世界が急に開かれてくるような気がして、不思議な気持ちになります。
散文の詩、また書いてみようと思います。
今後ともどうかよろしくご指導のほどお願い致します。Liszt
 

澤一織様、島秀生様~遅くなりました。

 投稿者:小林大鬼  投稿日:2020年 9月20日(日)16時24分13秒
  「終戦の日に」「令和の花火」~遅くなりましたが、感想ありがとうございます。

今年はコロナ感染が長引き、いろいろ考えさせる年になりました。表現の足りなさはまだまだ推敲が必要ですね。
 

未来への橋

 投稿者:ピロットメール  投稿日:2020年 9月20日(日)15時19分50秒
    あなたがもしも遠くへ行ってしまったら
  私も一夜で飛んでゆくと云った…

天神さまへの白い参道
さだまさしの歌が
頭に鳴り響いていた

朱鮮やかな太鼓橋
真紅映える夏の緑
涼しげに飛沫をあげる噴水は
真っ青な空と水面の間に虹を渡す

太陽に照り映える熱い欄干
左手を沿わせながら
過去 現在 未来
一歩一歩踏みしめながら
心字池に架かる橋を渡る

「過去」は振り返らず
「現在」は立ち止まらず
「未来」はつまずかず

過去から未来までの邪念は
消えるのだろうか
海松色の池の水に
清められるのであろうか

残暑の日差しを燦々と浴び
何代目かの飛梅は
時を経た未来の今も
道真公の眠る地に
しかと根をおろしている

  あなたがもしも遠くへ行ってしまったら…

胸の中に咲いた一輪の梅の花
真っ白い鳩になって飛んで行く
鮮緑の境内を翳め
三世の橋を渡り
鳥居の彼方へ

高く
遠く
あなたのもとへ
 

2020/9/15(火)~2020/9/17(木)の感想と評になります

 投稿者:齋藤純二メール  投稿日:2020年 9月20日(日)14時12分2秒
編集済
  澤さんから少し評が遅れるというご連絡をいただきましたので評を出します!



◇ よもやまばなし     あさぎ さん     9/15


もうタイトルでこれは面白いぞ、と予想を立てて拝読しましたね。こういうのを書いてしまうから、あさぎさんは魅力あるなあと思っちゃうんですよね。「佳作」です。でも、他の評者されている方だとどうなんだろうこちら? 私はビンゴでした!

もう設定がよくわからない感じで読み始めますが、なんか読めてしまうんですよね。微妙な構成バランスというのでしょうか、詩を書かれる方は理屈や技法でなくこのようなトンチンカンなようで、ちゃんとストーリーを伝えてしまうセンスがとっても宝だと思うのです。

「余白」この重要性を私も最近はよく考えますね。詩でもそうですが、音楽でいう間、会話や芝居でもスペースと時間が奏でる雰囲気っていうのは何かを伝える時のパフォーマンスに必要不可欠でしょう。写真でいえば花を撮るときに、花の先に空間を置き広々と咲いているように表現したり、鳥の写真なら飛んで行く先に大きな空を入れ、どこまでも自由に進む感じを出したり、あさぎさんのいう撮ったひとのメッセージを入れることもできますね。

「死に生まれ成長します」となり、この話はどうなるの? と、なりましたがちゃんとオチがあり、上手にまとまっていますね。内容にはあまり触れませんでしたが、わかるようなわからないような感じがいろいろと読者がこちらの作品から自分なりの解釈がなされて、いいのではないでしょうか。

自身の思いを「私」として表現する作品より、あさぎさんは誰かになって語る作品の方があさぎさんらしさが出るのかな、と思いました。これ、私が前にとある方から言われたことなのですが、あさぎさんもきっとそうだろうと勝手に仲間を増やしています。失礼しました。





◇ 嵐の前の静けさ     エイジさん     9/15


台風がやってくる前日を公園で過ごされている様子ですね。明日にはこの公園も表情を変えてしまうだろうが、今はとても穏やかでカラスを観察したり、雲の流れ、葉からこぼれる陽から日常が自然に伝わってくる作品です。朝のまだ力の入らぬ感じが上手に表現されています。そのせいか少し言葉に気持ちが乗っていない感じもしましたが。難しいところです。

僕がいなくなっても営みを続ける自然という、自身の刹那と存在を考えているのでしょうか。そのような時間を誰しもがどこかで感じると思います。このふと思うこと、それを詩にすることは難しいけれど自分への慰めというか、哲学というか、そうですね秋を感じます。実になる季節なのにしゅんとする季節だからでしょうか。

もう少し推敲が必要かな、と。説明というか設定する内容がほとんどなり、なんとなく伝えたい雰囲気はあるけれど……。
たとえば最終連「永遠てやつ」と「何度も何度も」と「永遠に繰り返す」は、ほぼ同じ意味の言葉なので工夫が必要でしょう。また「僕が死んでも…」は、「僕が死んだとしても」でもいいかもしれません。「面白いなぁ」のところは読者も感じてもらうところなので、「嵐の前の静けさ」の今に微笑む表情くらいの表現がいいと思います。

エイジさんと同じように私も公園のベンチが好きです。景色やひとの様子を眺めながら、風を感じて……。書きたくなりますよね、詩を。最近はウクレレを公園で弾いてますが。やはり外はいいです。詩も収穫の秋ですかね。エイジさんのまたの作品を楽しみにお待ちしています。

評価は「佳作一歩前」です。





◇ 袖の下     蓮見 丈さん     9/15


初めまして蓮見さん。齋藤と申します。今回は私にとって初回の方なので感想を書かせていただきます。よろしくお願いします。

政治と金。ほんとふざけるな、って感じですね。こちらの作品は政治家を揶揄している感じでまとめられています。鼻で笑っているような雰囲気を感じながら拝読しました。アナーキーシティを想像するような破壊的ではありませんが、日常に飛び込んでくる政治家の滑稽ニュース、いったいなんなのこの人たち、俺たちの明日の暮らしはどうなっちゃんだよ、そう思わせる内容でソフトパンクな口調ですんなり拝読できました。
相手の顔色を伺い、尻尾の巻き方を変えるという表現は上手いなあ、と思いました。そして蓮見さんは、ずいぶんと書き慣れていらっしゃる方だと感じました。今後の詩作投稿がとても楽しみです。次回は評を書かせていただきますので、お待ちしております。





◇ 絶縁状     エストリンさん     9/15


相手が何に対して怒っているのか、なかなかわからない時がありますね。親しく慣ればなるほど「なんでだよ!」と怒りが大きくもなるでしょう。そして、こちらでは「絶縁状」が送ってくるという強烈な感じになっていますね。私も似たようなことがありました。私の友人だと思っていた仲間も心の病で病院にいました。ある日、電話のやり取りのちプツンと音信不通です。今はどこに居るのかもわかりませんが、知らせがないので元気だとは思います。ほんとうに理由をいって欲しいですね。そうやって友人が歳を重ねるごとにいなくなってきます。人生で生涯にほんとうの友人と思えるひとがひとり居れば、幸せだと思いますね。日常、話す相手はいても親身になって話し合える友人はなかなかできませんね。

そんな絶縁状を送ってくるひとが病気だからと逃げ込んでしまうところに、喝を入れた口調の表現は説得力がありました。ちょっと可愛そうなひとだというのも匂わせ、正直に今のご自身の許されない気持ちも伝わってきました。絶縁状を絶縁詩で返した感じですね。やはりエストリンさんは相手の行為と自身の気持ちを思いうまく言葉にできる方だと思いました。あまり気持ちだけで書くと、興奮がそのまま言葉に出てしまい上手く伝わらないですが(あの野郎、クソ野郎になってしまいますから)、そこはちゃんとセーブがかけられるのが凄いですね。こちらの作品、とくに心の病のある方との内容となっていますが、誰しもが日常にある出来事のようで共感を得ると思います。

評価をつけ難い作品だったので保留させてください。





◇ アンドガール     ともりん さん     9/16


ごきげんよう、ともりんさん。久しぶりのような気がしますね。よろしくお願いします。

アンドガールですね。おじさんの私はファッション雑誌からほど遠い人間なので、そちらの雑誌は知りませんでした。そういうところに疎いからダサダサなのかもしれません。まだ、おしゃれの楽しみを知らない人間なので、これから目覚めるかもしれません、なんてっ。
なので、ネットで調べました。二十代後半から三十代の女性向けのファッション雑誌ですね。背伸びするようなファッションではなく、日頃のライフスタイルを豊かにしてくれるようなファッションのように思えました。きれいなスタイルで爽やかな着こなし、メイク、女性はやはり楽しみ方が上手だな、と。寝癖でシャツに洗濯バサミをつけて出勤しているようじゃ、ダメだ俺って感じです。
そんな女性の楽しみが伝わってくるエピソードが微笑ましい作品になっていますね。片思いの彼が指さしたモデルさんが私と違うタイプっていう場面、おいおい違うだろそこの彼、ちゃんとともりんさんを見てよ、なんて気持ちになるくらい応援したくなる作品の雰囲気がありました。

アンドガールを通し会話が弾み、思い出がいっぱいできたのですね。休刊する雑誌に今まで感謝の気持ちを表し、アンドガールの雑誌関わる方々がこちらの作品を拝読したのなら、たいへん嬉しく思うことでしょう。

作品自体はちょっと淡白というか(楽しい感じはよく出ています)、もうちょい言葉で遊んでみてもいいかな、と思いました。

例えば一連。


お気に入りのファッション誌が休刊する
ショックだなぁ
見やすくて
あーこれ着てみたい!
っていう、ときめく服が
たくさん載っていたのに



ショックだなあ
どうしてどうしてなの

見やすくて
あーこれ着てみたい!
っていう、ときめく服が
たくさん載っていたのに
お気に入りのファッション詩が
休刊するんだって


最初に「~する」という起きたこといって、その雑誌の説明をする。それを「ショックだな~」と始めると、えっそれって何が起きたの、と思わせておいて最後に事情を説明することによって、いきなりサビから始まる歌のようにインパクトが出ます。主語がなく話をして何をいっているのかわからないけど興奮が先に伝わる戦法? ご自身の書き方のパターンをツーパターン、スリーパターンと持っていると面白いかもしれませんね。

一連一連、全体の流れの構成を遊んでみて詩作してもいいかもしれませんね。最後の永遠のガールの締めはとってもいいです。でも、最後から一、二、三連はちょっと急ぎ足になっているようです。もう少し言葉を補い流れを作るともっといい感じになると思います。ともりんさんもかなりの詩を書く力量がありますので、ちょっと厳しめなことをいいましたが、私の場合は的外れなことをいったりするので、参考になりそうなことがあればいいのですが……。

評価は「佳作一歩前」です。





◇ 言葉、一つ     九丸さん     9/16


朝に公園を散歩、いいですね。休みの朝はだらだらしてしまう私ですが、お弁当を詰めるのに早起きすれば、それからの一日が充実したりしますね。疲れているからといって寝ていると、なお身体の調子も狂うし、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

秋の香ばしい匂いがする爽やかな風、好きなひととお話をしながら歩く。あなたからのあの言葉ひとつは、秋を感じる気持ちよさよりはるかに気持ちいいんだよ、そんなふたりの関係性を探りながそれがどんな言葉だったのだろうと思いながら拝読しました。話し口調で書かれているのに、すっと場面が目に浮かんできますね。とてもいい感じですね。
誰かのひとことが自分の暗かった目の前を明るくすることってありますね。何かに失敗したり、落ち込んでいた時に「よくがんばったね」とか「結果がすべてじゃないよ」「きっとわかってもらえるよう」なんて慰めてもらうと、気持ちがちょっと軽くなり明るく先が見えたりします。言葉の内容というよりは、優しさが伝わってくるのかもしれませんね。


 悲しみに
 手繰り寄せられ歩くよりも
 手探りでも
 幸せを手繰り寄せるように
 歩きたい


こちらの作品では悲しみからあなたのひとことで、幸せを自分から手繰り寄せたい、と思えた内容になっています。はて、どんなひとことだったのでしょう。でもここはあえていわない、読者に委ねるというのがなかなか想像が膨らみ楽しめる構成がいいですね。
また、公園にいる鯉の様子から言葉ひとつで晴れやかな気持ちなることをユニークに伝えているのが、なんとも良かったです。終連がなお明るい感じになり、秋の朝の爽やか感と同調して素敵な着地になっています。

評価は「佳作」となります。





◇ 夏を聴く     鈴鳴すずしろ さん     9/17


そうですね、お久しぶりです鈴木さん。頭を撫でるちょっと姉さん肌の台風の少女、印象に残っていますよ。そして、その続編ですね。お待ちしていました。んっ、でも東京(東京でなく都会だったかもしれません)に追いかけて行ったけど、会えてないんですね。ということは、まだ続く? なんて、勝手に思ってしまいました。

出だし、いいですね。聴いていたクラッシックの曲は、彼女が玩具のピアノで弾いていた曲。調べると「悲愴」だったのですね。その曲と題名のイメージが違くて苦笑い、いいですね。私もこの曲は悲愴という感じがしません。悲愴から気持ちが上向きになっていく感じがします。ベートーヴェンは題名の付け方を間違えましたね。「悲愴から」とかの方がいいじゃないの? と、ベートーヴェンに喧嘩を売ってみました。なんて。



玩具のピアノを鳴らしながら
この曲だけ弾けるんだよ
なんて言って笑う
貴女の背中にもたれかかって

拙いピアノの音色
遠い蝉の声
微かな息遣い
少し高鳴った心臓の音



この連、ふたりの様子がとってもいいですね。ひとことひとこと、一行一行、一連一連と、もうここだけで佳作ものです。



叶うことなく終わった恋慕を
僕は『悲愴』だなんて思わない
叶ってしまったら
手に入れてしまったら
そして
それを失ってしまったら
あの夏の貴女に
こんなに安らかに恋焦がれることなんて
きっと出来なかっただろうから



いやぁ、ここもめちゃいいですね。恋していたその気持ちが今も嬉しく大切な想い出なのでしょう。せつないけど素敵な感じ(でも、個人的には再会して欲しいなあ、くどい齋藤でした)。



久しぶりに再会した旋律に乗って
ひとつ足りない体温を探しに
未だに色褪せない記憶の中へ
穏やかに溶けだしていった



「ひとつ足りない体温を探しに」と。もうノックアウトです私。先ほどの背中合わせと対比した表現こみこみでお見事。

夏に聴いてしまったのですね。そこから始まる回想から今の心象スケッチ。素晴らしい作品にほっこりです。
評価?
もちろん「佳作」です。





◇ 強がり  ◇ はずかしい     じじいじじい さん      9/17


二作のご投稿、まずは「強がり」ですね。

「恋」からの「強がり」の心象が描かれていて、視点がなかなかいいですね。この強がりはかっこ悪い自分ではないというプライドなのだろうか、その場を何事もなかったようにする自分への瞬時な慰めなのだろうか、この「強がり」の心情を考えながら拝読していました。

ストーリーの流れはよくある感じですが、拝読しやすく場面が目に浮かびます。告白をしようと思っている次の瞬間、手を繋いでいるあなたと親友。この急落下に平静を装いながらもおどおどしてしまう表現が上手ですね。わっちゃ、って感じでショッキングな青春の一場面を見たようです。がんばれ、私、そうそうもっといいひとが世界にはたくさんいるんだから。「35億」いますから(もう古いっ)と応援したくなりましたね。ちゃんと最後はすでに折り合いがついている内容にもなっています。

「あなたの後ろにもう一人???!」
ここはバグったものでなければ、クエスションマークとビックリマークを多用しなくても伝わる工夫をされるといいかな、と。でも、けっこう難しい作業とは思います。おいおいなんだよ、の表現を言葉にするのですから。
それと「出」と「来」の字は漢字かひらがなのどちらかに統一した方がいいです。数字(漢数字)も統一した方がいいのかな(ちょっとここは自信ありません)。

読者を意識しストーリーと思いが大事に描かれています。評価は「佳作」です。



二作目「はずかしい」。
こちらは子どもが語り部となっている作品のようですね。自分の子どもの頃に感じていたはずかしいさを思い出しました。私もなかなか声が出ない子どもでした。席を譲れなかった時、自分の道徳心のなさを責めたりして、子どもの頃は純粋だったかもしれません。声を出して席を譲れた時などは、なんだか嬉しい気持ちを覚えています。
ずいぶん前の話ですが電車にシルバーシートができた時、なんだか違和感がありましたね。「譲る席」をわざわざ設置するというのも、なんだか悲しい感じがしました。シート全部譲る席で構わないじゃないか、と。とくに最近では杖を突いて歩かれる方、病気を患っているヘルプマークをつけている方も多くいらっしゃるのでなおそう感じますね(私の個人的な意見)。

タイトルの通り、はずかしい気持ちをストーリーと場面にのせて子どもらしさが表現できています。
最終連の「おとなになると / こえがでないより / こえをださないほうが / はずかしい」のところがとても頷けて、的を得て表現が素晴らしいです。ただ、子どもがこのお母さんの言ったことを理解して語るのは、ちょっとキツイかなとも感じました。たぶん理解していないとお母さんの言葉を復唱できるくらいの記憶には残らないでしょう。でも、小さい子でもそういうことをピンと理解出来る賢い子も多いので、これでいいのかもしれませんね。

作品はストレートな表現で、語り部の視線や気持ちもストレートな感じがとても好感を持てます。なので、今回の作品でいうとそれプラス子どもの気持ちや気分の変化をもっと描くと、面白くなると思います。例えば一連でいうと……


バスのなか
ぼくのらくがきをみせると
ママがわらっている


ちょっといいのが思い浮かばなかったのですが、最初に楽しい気持ちでいて、そこからガクンと真剣な気持ちにするとバス内の空気がもっとガラリとかわり変化が大きくなります。「ママといっしょにすわっている」だと座っているイメージから席を譲ろうかどうかといった場面なので変化が少ないですかね。「おいすはみんなまんいん」という場面設定もありますから、とくにここでは座っているという場面説明だけより、少し遊んだ設定の方が面白いかもしれませんね。私の意見はピントがズレることばかりなので、参考になりそうなところがありましたら、ご一考ください。

評価は「佳作一歩前」です。じじいじじいさんは力量があるので評価も厳しくなっています。





◇ 糟童     真清水るる さん     9/17


真清水るるさん、初投稿をありがとうこざいます。齋藤と申します。よろしくお願いします。ツイッターでのテーマ詩『毎日がダーツ詩』の作品アップもありがとうございます。最近、『毎日が記念詩』という企画から、辞書からほぼ無作為に選んだ言葉をテーマのものに変わりました。ちょっと難しい感じなのですが、楽しでいただければ幸いです。
今回はわたしにとって初回のかたなので、感想を書かせていただきます。

糟童(かすわっぱ)というタイトルですが、字といい音の響きといいぐっと何かあるぞ、という深みがあり読者を惹きつけていますね。
そして、罵られた君に釈迦如来からのお言葉が聴かれるという、ありがたきお話になっています。雨垂れの音からこの世界へ流れるように誘っていまして、真清水さんの詩を書く力量も感じましたね。雨水管を落ちる音が水琴窟に見立て、すっと幻夢的な情景に読者を連れて行ってくれます。見事な場面、構成です。釈迦如来は君に優しく寄り添うように、少年の声にして同調し誹りを受けた君に顔を上げもっと広い世界を見よう、とおしゃっているのでしょうか。ある意味、応援詩になってますね。慰めを言葉の意味ではなく、情景を描きそこから伝えている作品というのが素晴らしいです。

終連は元の世界に戻り確かに聴こえていたあの響き、と回想をしますが水音はまだ聴こえているではないか、ここは見方によっては光に続いている場所となり、雨音からその雰囲気が沁みてくる感じですね。雨音が響く素晴らしい作品でした。

次回のご投稿の際には評価等も出しますので、今回はこのような感想となります。またのご投稿をお待ちしております。






◇ 名画     Lisztさん     9/17


おっと、散文詩ですか。もしかしたら私の評期間で初めてのことかもしれません。行分けしていない詩ですね。何が語られているかをメインに拝読していきましょう。

名画とはどのようなものかを三つの観点から語られていますね。

(1)は絵画が時間と距離を越えて鑑賞者と出会う運命や奇跡を感じられ、そこから自分宛のメッセージがある、と。その絵画から感じとり、これからの自分の生き方にも影響を与えてくれる衝撃や感動があるのでしょう。

(2)は筆の入り方、力の入り具合、色あいから画家がその絵を描いているときの呼吸さえ聞こえてくる臨場感が伝わってくる絵画ということでしょう。

(3)絵画の劣化さえ深い印象を与える、と。

辞書でしらべれば「名画」は有名な絵、優れた絵などと書かれています。しかし、Lisztさんの「名画」という概念が詩というカタチで語られていまして、名画なるものはという内容を身近に感じ、楽しむことができる作品になっています。
この三項目はよくできていまして、「詩」にあてはめてみてもしっくりきます。(1)はもちろん、(2)では言葉の勢いとかリズムとか気持ちの入り具合、(3)は絵画と違い言葉自体は劣化しませんが、時代背景が変わると言葉遣いが懐古的な心情を得る効果が出ることもあるでしょう。
そして「人」としてもこの三項目はあてはまると思います。(3)は歳をとり皺や白髪になって、心の持ちようがその方の生きた証で深い印象を与える、といったことがあてはめられます。
なので、芸術作品を作り上げるとき、人として生きるとき、高みを目指すための条件があるような気がしました。よく考察されていて素晴らしい作品ですね。

前にキリストの壁画が修復されお猿さんになってしまったといニュースがありましたが、それが話題になり人気が出て「元に戻さないでください」と声が多く上がったそうです。これはたぶん、Lisztさんの(3)で考えてみますと、もともと名画ではなかったというこなのでしょう。すみません、ちょっと脱線しました。

評価は「佳作」です。
展覧会の絵を観に行くときには、こちらの作品にある事柄を感じながら味わうことでしょう。





。。。。。つぶやく。。。。。

長男が珍しく映画を観に行こうと誘ってきました。聞くとアニメ映画だったのですが、よく考えてみると長男が小学生の時に一緒に「クレヨンしんちゃん」を観に行ったのが最後だったと思い、いざ映画館へ。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という映画で、ドールという手紙の代筆屋の話でした。二時間以上の映画だったのですが、あっという間にエンディングが流れていました。寝ていた訳でなく、なかなか内容が良かったからです。手紙だから伝えられる言葉があるんだなあ、と。詩を書くときの思いの入れ方を大事にしようなんて、この映画を観て感じましたね。
コロナの影響で映画の上映も止まっていて、しかもこちらの映画が京都アニメーションが製作となっており、あの惨事により途轍もない悲しみや苦しみを背負いながら上映に漕ぎ着けたと思います。魂が注がれた作品に拝謝です。

https://mobile.twitter.com/mydear2000s

 

ふたりの間

 投稿者:みたこ  投稿日:2020年 9月20日(日)13時00分3秒
編集済
  私はあなたに背中を見せている
あなたが後ろで何の悪いことを
企もうとも
私には分からないのだと
背中を見せているの

私たちの間にはそれぞれに鏡があり
それぞれの現在(いま)を映している
振り向かなければ私には自分が見えない
あなたには自分の姿と
鏡の向こう側にある私の背中が見えるでしょう

私の小さく けれども希望に満ちた勇気は
背中を見せることしか許さず
あなたの誠実な勇気では
鏡を割って私を傷付けることはできないでしょう

私が後ろを振り向いて
鏡に映る姿とその向こう側にいるあなたのことを
目を背けずに見ることができたなら
その時
あなたは
私を連れていくことができるのでしょうか
 

かすみ じゅんさんへ

 投稿者:沢口リリキメール  投稿日:2020年 9月20日(日)10時06分12秒
  わあ、かすみさんが気に入ってくれて良かったです。
御作「秘めたる欲望」はこの音楽と同類のインスピレーションをお持ちでした。
こちらこそありがとうございました。

沢口リリキ(拝)
 

沢口さん

 投稿者:かすみ じゅんメール  投稿日:2020年 9月20日(日)08時35分31秒
  ブッタの休日。
とても心地よく何度も聞いています。
こころ洗われ、リラックスできました。
有難うございます。
 

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