<思いやりのあるコミュニティ宣言>
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感想のお礼です。

 投稿者:じじいじじいメール  投稿日:2021年 1月 9日(土)23時44分32秒
  井嶋様

はじめまして。
宜しくお願い致します。
詩の感想ありがとうございました。
主に小さいお子さんに読み聞かせして頂ける様な詩を書いています。ただMY DEARの先生方から詩の基本を習得するのに大人向けも書いては?とアドバイスを頂き、大人向けも書いております。山の生き方の後半は仰るとおり、説明の様な感じになってました。改善します。
これからも宜しくお願い致します。
 

井嶋りゅう様評をありがとうございます

 投稿者:キリコメール  投稿日:2021年 1月 9日(土)23時26分6秒
  はじめまして。井嶋りゅう様批評ありがとうございます。
確かに読み手にイメージを伝える力が不足していたと思います。
私は歌を歌うので、この詩はうたに関する私の思いになっています。
ある時たまたま知り合った、
喋り声も小さい小柄な女の子が
ストリートでオペラを歌って投げ銭をもらってると聞きました。
どんな歌かと思い頼んで歌ってもらった所、
何か突然スイッチが入った様に凄い声量で場が震える様な歌でした。
私ももっと根源に迫る様な歌を
歌いたいと、いつかやがて来る死が訪れる事を知っていても、
その様なうたをうたって行きたいと。そんな思いを詩にしました。

読み手のイメージについて考えるきっかけになりました。
井嶋様。ありがとうございました。
 

三浦志郎様

 投稿者:Liszt  投稿日:2021年 1月 9日(土)23時06分25秒
  三浦志郎様

今回も拙作を丁寧にお読み頂き、誠にありがとうございます。上席佳作との評をいただき
大きな励みになりました。
投壜通信というタイトルの詩論があるのですね…。
きっとこれからも、投壜通信というテーマに繰り返して戻って行くような気がします。
今後ともどうかよろしくご指導のほど、お願いいたします。Liszt
 

おやすみ

 投稿者:みたこ  投稿日:2021年 1月 9日(土)20時52分28秒
  天井を見つめる
眠りに落ちる前のほんの数分だけ
私は毎夜 天井を見る

一日の出来事を振り返る
儀式のような時間

周りの人がもつ私のイメージ通りに
動く日々
その終わり
苦しくはない
辛くもないけれど

この天井を見つめる時に
真面目な私の後ろから
真逆のわたしが現れる
一瞬だけ

真面目なイメージの私が
不真面目になる
裏切りの時間

真面目な私と
そうではない私が
共存する身体で
それを知らない人たちの中で
生きている

きっとみんな
一日の終わりのひととき
自分だけの
夜空を見上げる
 

井嶋りゅう 様

 投稿者:蓮見 丈メール  投稿日:2021年 1月 9日(土)20時45分23秒
  丁重なご指摘ありがとうございます。
義母を実母に置き換え、
3連中の二行ほどを削りました。
日常のワンショットを膨らませようとして、
駄弁が過ぎてしまったようです。
 

三浦志郎様

 投稿者:まるまる  投稿日:2021年 1月 9日(土)20時13分45秒
  「宿題の書初め」に評をありがとうございました。楽しく拝読いたしました。趣旨をお伝えできていたならよかったです。形についてもご容赦いただきありがとうございました……が、せっかく「なかなか重要なテーマ」ならもっと魅力的な形にできたらよかったですね。書きたいと思うことが日常に密着していることが多いのですが、それを「展示物」にもなり得るように表現できることを目指したいと思いました。  

12/29~12/31ご投稿分の感想です。

 投稿者:井嶋りゅう  投稿日:2021年 1月 9日(土)20時11分54秒
  明けましておめでとうございます。
評者の皆さま、投稿者の皆さま、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
この度、青島江里さんの代わりを務めさせていただきます井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。今回は臨時ですので評ではなく感想とさせていただきます。


*****

①蓮見 丈さん「居留守」

蓮見 丈さん初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
この詩は4連でなりたっていて、2連目以降、妻が居留守を使ったことによる、自身の考察が書かれているかと思います。4連目がとっても良いのです。特に最後の2行「洗濯物を~あったのかも知れない」ここは、映像とともに切ない感情が湧き起こってきます。とてもしっとりとした良い作品だと思います。
細かく書きます。1連目の義母、4連目の実母は、同一人物だと思いますので、実母に統一した書き方を一連目でしたほうがよいかもしれません。理由は、妻にとっての義母なのかと勘違いするからです。2連目、3連目は、比喩が多くて長いので、逆にいきてきません。少し減らすか、あるいはもう少し連を作るか、したほうが届くような気がします。もったいないです。4連目の比喩はいいですね。居留守と海外ドラマがリンクするラストになっていて、余韻が残りました。妻の居留守からの思考が素敵な作品でした。また引き続き掲示板で読ませていただきます。


②キャベツさん「膜の中のあなたへ」

キャベツさん、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。
御作品、良いですね。膜というのが何を指しているのか、読み手によって想像の幅が広がっていくというのが、キャベツさんの詩の良さだと思っています。私的にはなんとな~く、大きな卵、あるいはシャボン玉のようなものを想像していて、その中にすっぽりとおさまった人間同士が、くぐもった声で会話をしているようなイメージ。自分が言ってることも相手が言ってることも半分くらいしか聞き取れず、ぼわんとしている感じ。よそよそしいという表現が中程にありますが、妙にしっくりきました。ラスト、自分も仲間になっていく恐怖心のようなものをあらわしているのでしょうか?どきっとしました。面白かったです。


③エストリンさん「夜を走るんだ」

エストリンさん初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
終連の6行がとても良かったです。普通であることを実感する喜びが全面に出たところで、この詩は終わっています。そして、考えさせられます。居酒屋で友人と飲むとき、健常者や障害者を気にして飲んだことなど一度もなかったことを。16連目「仲間と私は~覆い隠す」ここが、健常者には感じられない空気なのかもしれない、と思いました。
エストリンさんの作品はいくつか拝見しておりますが、私の知らない世界をいつも教えてくださってありがたいです。わりとストレートに書かれてあって、客観的な目線も好きです。
「夜を走るんだ」のタイトルですが、ちょっと、ややこしいかもしれません。居酒屋デビューのことをおっしゃっているんでしょうかね?それとも、夜そのものに出歩く機会がなかったことからの喜びの表現でしょうかね?というのは、ジョギングのイメージが前に出てしまって、実際この詩の半分くらいまでそのように読んでしまいました。

エストリンさんは、もう一作、ございますね。


④三浦志郎さん「微光の中を」

三浦さん!なんて素敵なご挨拶でしょうか!!
見事に繋いでくださっていますね。
ラブレター、師走の林檎、蝿、午後から不在、聞き分けのいい子供。これらの詩を微光が見守ってくれている!いや、微光の中にあるといってもいいかもしれない。あったかいです。いやあ、自分では自分の詩をこんなふうには書けませんからね、ありがたいことです。さすが!
三浦さん、花束のような詩を、ありがとうございます!幸先の良い一年になりそうです。やった!!

またのちほどへ続きます。


⑤タルコンティさん「旅立ち」

タルコンティさん、ご無沙汰しております。2017年7月以来ですか。懐かしいですね。少し詩も変わられましたでしょうかね?
先に旅立った「貴方」にはおそらく戸惑いすらなかっただろう、と想像する「私」には、死の影が督促という形で近づいていることを察知している。一時の宿場(この比喩は良かったですね。なるほど宿場であるかもしれない)でしかないここでの滞在期間は長くて百年、体という抜け殻を残して私たちは一体何処へ行くというのか。生死というのは不思議で、実態がないように見えても交差点ですれ違う人々(第三連、私は意外とここが一番好きです)の存在を目の当たりにしながら、旅人として生きている自分を実感もしている。太古の光を放つ星たちは幸せであろうか、私の知らない時間がまるで流れ星のようにきらめいているが、みな私の知らない顔(無表情、あるいは知らんフリ)だ。というふうに、読ませていただきました。そして、初連と終連は星という形で繋がっているのでしょうね。生きること、生きていくことへの虚しさや哀しみが織り混ざっている、とても良い詩だと思いました。また書いてくださいね。


⑥三浦志郎さん「おにいちゃん」

三浦さん改めまして。詩集刊行おめでとうございました!
さて、「おにいちゃん」ですね。うーん、そうなんですか。。。私は不勉強でして、初めてその事実を知りました。有名なんでしょうねきっとそのお話は。四度の中絶。同じ女性として、いくら澁澤龍彦だからといって「批判は受けねばならないだろう」という三浦さんの言葉は正しいと思います。「不滅の少女」、なるほど、彼のためにそうでなければならなかった。
ちょっとこの詩とは離れて。。。愛について考える時、それは依存ではないのか?と問いたくなるときがあるんです。愛という言葉で偽ってはいないか、と。愛って時には厳しいもののような気がするんです。正解はありませんが、そう考えたとき、この詩中の二人に、見えない愛が存在していてほしいなあ、と思ってしまいます。勉強になりました。ありがとうございました。


⑦あんずさん「一人芝居」

あんずさん初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
ああ、すごく良くわかります、この詩。
私の中のもう一人の自分、あるいは本音とでも言いましょうか、面に出て動いている自分より、もっと深く自分を知っていますよね。友達よりも恋人よりも家族よりも、知ってたりしますね。終連、かっこいいですね。「あばよ誰かさん」がいいですね~。「私は私と生きていくから」今はその決意でいいと思います。その揺れない決意の向こうに見える景色が、たぶん、あると思います。その時、この詩の続きのような詩が出来るのではないかと思っています。気取らない正直な良い詩だと思いました。


⑧あさぎさん「服のボタン~独白~」

あさぎさん、ご無沙汰しております。お元気でしたでしょうか?
ボタン!これはまたユニークな発想ですね。相変わらずのあさぎさんです。私にとってボタンとは、あまり注目度が高くないんですよ。のわりに、ボタンの取れてしまったブラウスなどは結局処分してしまいます。つまりさほど大切に思わないのになくなったら困る、そういう存在であるボタンがなんと独白を始めた!これは事件です。。。
とても優しいボタンが居ます。凍えた身体や乾いた感情つらいことのあったあなたを、可能性の話ですがと謙虚になりながらも、守れるかもしれないと思うボタンが居ます。5連目'大丈夫と思ったのに'、ここいいですね。何度だって守りたいと思う、私を思い出してと健気なボタンの独白。いいですね。いいですね。内容は素敵です。いいですね。
さて、私は違和感を覚えています。それは、2連目です。服のボタンは自らの意思では動けないと思うんですよ。自ら動いたらそれは心霊現象です。なので2連目のボタンの独白を、受け身の表現にしてみてはいかがでしょうか?と提案したいのです。例えば

あなたがそんなときは
私をひきよせてください
もう一方もたぐりよせてください
私は諦めたくないのです
重なり合うことで出会うことで
私にも出来る何かがあると思うのです

こんな感じで、どうでしょうか?自らは動けないけど、ボタンをかけてくれたら精一杯あたためます、というニュアンスが伝わるような気がします。もし宜しかったらご一考ください。とても良い作品でした。


⑨キリコさん「スイッチ!」

キリコさん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
?は無視ですね。了解いたしました。
さて御作品ですが。何度も読んだのですが、スイッチというのは、例えば思考の切り替えや、発想の転換、あるいは一気に視界が変わるような自らの中に存在する魔法のようなもの、そんなふうに私には読めたのです。もしかしたら具体的な何かに想いを馳せて書かれたのかもしれませんが、それが何かは書かれていないことと、少し歌詞のようなニュアンスも受けましたので(短い詩の中に同じ連が二箇所あるため)、作者の伝えたい気持ちのようには、正直読み込めなかったというのが感想になります、すみません。「虹色の車輪」というのが後半に出てきますね。何を指しているかは置いておいて、素敵な比喩だなと思いました。また引き続き掲示板で読ませていただきたいと思います。


⑩九丸さん「嘘つき」

久丸さんの詩は何度か拝見しております。初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
いい詩ですね。流れるようにあっと言う間に読み終えましたが、道中破綻もなく上手にオチています。詩暦が長いのでしょうか?書けるかただとお見受けいたしました。「嘘つき」なわたしと猫との関係も上手く描かれていて、猫の性質も何気にご存知のよう。もしかして飼われていますかね?後半の「正直なものが側にいるだけで」から以降、うなるような素晴らしさでした。そう、正直なものに救われるんですよね。こうやって文字にされると、わかる!って思いました。オチの二行の前に一行空いてますが、空けなくても良いと思います。たぶんここでひと息つきたかったのかも知れませんが、一気にいっても問題ないと私は思います。いや、一気にいってほしいというのが私の希望です。この詩は大晦日に書かれていますね。ご自身の最後を飾る、あるいは締める、もっともふさわしい作品だったと思います。良かったです。素晴らしい。拍手です。


11.小林大鬼さん「遥かなる刻」

小林大鬼さんは常連さんですね。初めまして、井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
訂正の件、了解いたしました。
そうですね。私も旅に出たいです。物理的にも心理的にも。今はコロナウイルスが蔓延していて、行きたい時に行きたい場所へ行けない日常ですので、一連目がとてもすんなり入ってきました。体は動けなくても心は自由ですから、あの日のあの景色へタイムスリップ、あるいはまだ見ぬ景色をあの人と一緒に行く夢想をする、そんな想像が今の私たちを支えるのだと思います。そして案外とこの詩は、帰省できなかったかたたちへ捧げられた詩であるかも知れない、とも思いました。私は年末年始、実家の青森へ帰れずにいまして、そのようなしょんぼり心で読むと、ピタっとはまるのです。ラスト「光と影の時代の旅に」ここが現実的で、今までのふわりとした感覚を引き戻してくれますね。その把握の上でのラスト、やっぱり旅に出よう、というメッセージではないか、と思いました。良い詩でした。


12.じじいじじいさん「不思議なキラキラ」:「山の生き方」

じじいじじいさん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
まず「不思議なキラキラ」から。
まるで絵本を読んでいるような気持ちになりますね。絵があるともっと伝わるのでしょうが、なくてもじゅうぶん、ほっこりしました。水たまりの氷を私も割ったことがあります。大きな一面だったものが、割れて、映っていたものも分裂する。子どもはそういうことが大好きなような気がします。特徴をよく捉えていると思います。割れたらキラキラが増える、逆のような現象を改めて知ることで、何となく人生も豊かになるような気持ちになりました。
お次は「山の生き方」ですね。
前作とは趣を変えた作品ですね。じじいじじいさんは、主に前作のような詩を書かれているイメージを持っていましたが、別の顔もお持ちなんですね。発見です。山はしばしば人生に例えられますね。こちらの詩もそのようです。そして私も、この詩の私のように、大変似た性質をもっています。高い山ばかりが見えるのです。私の場合はまだ降りるほど登ってはいないので、まだまだ高い山が見えますし、登りたい。この詩の後半部分、山の言葉の箇所がちょっと微妙なんですよね。「挑む者を舞妓していけばよい」まではいいと思いますが、それ以降が説明的な感じがするのです。そして、山の生き方、というよりは、山を登った者の生き方、のほうが合っている気が、するんですよね。でもそれを山に例えてるので山の生き方でもいいのかなあ?どうなのかなあ?と、まだ保留中になっております。山の言葉はさすが良い言葉だと思いました。もう少し、じじいじじいさんの、このような詩を読んでみたいと思います。


13.中也さん「Yシャツの世界のボタンの嘆き」

中也さん、大変ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。
冒険作であるとのこと、なるほどですね。ボタンの嘆き。ところでボタンって今、流行ってるんでしょうか?実は先程あさぎさんもボタンの独白がありました。もしかして男性陣の間ではひそかなブームになってるとか?ボタンて良いよね、みたいな?流行にうとい私です。さて。中也さんのボタン、なかなか面白いですよ。職業に例えているところ、面白いです。そうですね、ボタンと布はセットじゃないと意味がありませんから(飾りボタンもありますが)、コロナウイルスによる人間のような嘆きが、ボタン世界にもあったっていい。だって毎日濃厚接触だもの。このボタンのいじらしさ、罰金10万に反応するあたり、いいですね。ただ、この詩はタイトルで明かしてくれているのでそのつもりで読みますが、だいぶ後半じゃないと布との接触が出てきませんので、分かりずらいかもしれません。ボタン世界を示唆する会話で3連目くらいから徐々に明かしていきましょう。そのほうが面白いかな。いずれにせよ、ボタンに限らず、この手の試みは続けていかれたら良いかと思いますよ。楽しみにしております。


14.エストリンさん「偉そうに」

エストリンさん、ふたたびの再会ですね。
この詩は、このまま出せるところに出したいほどの説得力を伴って読み手に迫ってきます。障害者雇用の障害者の障害、という文が、太字で、ガン、ガン、ガン!と、迫ってくるんですよ。この命の叫びが、タイトルと最後の、「偉そうに」に繋がっていて。結局個人を大切にしていない今の沢山ある企業の内情にも通じていて、外面だけがいい者の仮面を外しにかかる作品ですね。頭の下がる作品です。心をどこかに置き忘れた頭でっかちな人間への警告であり、また希望にもなり得る詩だと思いました。


15.榎鳳大さん「underground」

榎鳳大さん、初めまして。井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
とてもリズムの良い詩だと思います。
うめられる、というのは、ふみにじられるというような意味に私はとらえました。

愛しい何を求めても/愛しい何かにうめられる

きっと誰にも届かないまま/きっと誰かにうめられる

リズムがいいのでスルッと入ってきて、でも哀しい気持ちの余韻が残ります。詩なんですけど、唄のような印象も受けますね。心地の良い哀しい唄、そんなふうに受けました。誰かが窓辺で口ずさんでいるような。良い詩だと思いました。少し短い詩だったので、これからも掲示板で読ませていただきたいと思います。


*****

以上になります。
途中で番号表記が変わってしまいましてすみません。漏れなどないと思いますが、気づいたかたはお知らせください。
数年前に3年ほど評者を務めさせていただきましたが、数年ぶりの代打ですので緊張しました。違和感を覚えた箇所などございましたらどうぞスルーしてくださると助かります。
二度目の緊急事態宣言下にあります。去年の春は不安にかられ気持ちも落ちてしまいましたが、今は対策がわかりましたので、そこまでではないようです。
ご投稿ありがとうございました。





 

三浦志郎 様

 投稿者:蓮見 丈メール  投稿日:2021年 1月 9日(土)18時48分42秒
編集済
  思いがけぬヒントをありがとうございます。
「だから」以降を下記のように修正しました。


だから多少の異物の混入は想定内
例えば盛り過ぎた元旦の計であったり
鼠に引かれたマンモスの抜毛であったり

門松は冥土の旅の一里塚
カレンダーはこの世の夢の迷子札
重宝でもあり 重荷でもあり
有相でもあれば 無相でもある
 

感想と評② 1/1~1/4 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2021年 1月 9日(土)17時26分51秒
  6 まるまるさん「宿題の書初め」 1/2

この詩の本質的な部分に、習い事へのアプローチの仕方があり、モチーフとしての習字があり、そこに親子のスタイルの違い、気質の違いを重ね合わせています。何気ない日常に包んで書かれていますが、なかなか重要なテーマ性を感じました。結果から言うと、お母さん(お父さん?)空振りの態なのですが、現代の子供はこんな感じなのかもしれません。上達と言う点で考えると、これで上手くなるはずがありません。ポイントになるのは、習字が本人にとって興味なく単に宿題の消化なのか、それとも特技にしたいのか、です。おそらく前者なのでしょう。それはそれで仕方のないことです。僕も小学生の頃、ピアノを一年もたずに辞めました(笑)。「興味→特技へ」は早い時期に本人が見つけるに越したことはないですし、親としてはその手助けとしてのヒントを与えるのは重要なことだと考えられます。特技を目指す以上は“易きに流される”では上達しないのは保証されています(努力~効率のバランスはありますが)。まあ、学校もそれ(習字)よりは、英語とかパソコンに注力したいのも時代の要請から、やむを得ない部分があるのでしょうねえ。既述したことは、この詩の終り部分に充分感じられたのです。僕はただなぞってみたに過ぎません。どこか評と言うより精神訓話のようになりましたが、お許しを。ちょっと散文的、平文的ではありますが、内容の性質上、ある程度やむを得ないと見てます。佳作半歩前を。



7 油性さん「土曜日」 1/3

勘違いかもしれませんが、ずっと以前にも投稿されたような気もしますが、もし、そうだとしても、間があいているので、今回は感想のみ書きます。
初連、いい描写、いい表現ですよね。2連は昨夜の夢が消えた跡を想像してみました。
それ以降は、ごめんなさい。わかりません。土曜日。休日の朝のベッド小景といったところなのでしょうか。かなり抽象度の高いフレーズが並んでいます。外れたら恥ずかしいのですが、「裸足~柔肌」にちょっとセクシャルな身体性を感じてしまいました。謎めいた部分・言葉を味わうという方法もあるでしょう。もう少し長く書いてくれると、見えて来るものがあったかもしれません。また書いてみてください。



8 エガミさん「重力」 1/3 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。

丁寧な挨拶文をありがとうございました。三浦と申します。
この詩も厳密解釈上、難しい部分があるのですが、評者のイメージによる推測ということで。
まず多くの読み手がそうするであろう、読みの支点としての「日記」。ここから始まるでしょう。ふと最近の日記を読むともなしに読む。鬱陶しい重さ。我ながら息苦しくなる。
そこから始まる軽さへの希求。自ら空想に遊ぶ。それはひとつの癒しであり、ある種の自己浄化かもしれません。

「青い寒さに満たされて/ぼくは 死ぬんだろう」

これは儚いながらも詩的美しさに転化された名フレーズですね。
終連の「夕焼け~無人の~水の中で~画面に向かって」はそれぞれ、今日あるいは毎日という日常性にまみれてゆくさまを極度に比喩化したものと捉えてみました。
ところで、話し言葉と書き言葉が混在しているところがあります。具体的には「なあ……
なんて」このあたり、やや話し言葉的甘さを残しているようです。話し言葉的なものを入れたい場合はセリフ調「 」や( )にするなど、方法もあります。あと、最後の「画面」は読み手を戸惑わせるでしょう。「はて、これは何だろう、どういう事情だろう?」と。評者の感覚で言わせてもらうと、もう一度「日記」に回帰してみると良い気がしました。
また書いてみてください。



9 Lisztさん「この手紙を受け取られた方へ」 1/4

上席佳作です。
ここに出て来るイデオロギーとはマルキシズムのような気がします。そして政治体系としての共産主義です。イメージとして浮かんだのはソルジェニーツィン「収容所群島」でした。
あれは反革命分子を入れたというから、ちょっと違うのかな? ともかく、そういった歴史現実に非常に近似した創造作品と思われます。圧倒的なストーリーと告白調の語り口に一分の隙もありません。説得力です。迫力です。うまいです。引き込まれて読みました。かつてその思想に憧れたが内実を知るにつれ失望し批判したが為に、自分も収容所に入れられ辛酸を舐めた。今はその施設近くの墓守をしている。感染症のくだりは今のコロナ禍がヒントにあったでしょう。ここで注意しておきたいのは、ストーリーとは“流れてゆく”運動性を持ちますが、この作品はある一定期間で“流れを止めて”何か“入れ物の中に収めて”語っているようなところがある。固定されているから、話が濃くコアになるのは必然です。そこが、かえって凄いのです。前述「入れ物~」という僕のイメージは、この手紙の伝達手段と無縁ではないかもしれません。投壜通信。英語でボトルメール。これをちょっと調べたところ、もともとは難破船などで死期を悟った船乗りが送った悲痛な手紙が起源のようです。ヨーロッパの風習のようですね。この作品のこの手紙は悲痛さという点で共通性が見られます。私事余談ですが、僕もこの伝達形式をある作品に使ったことがあるので、懐かしく興味深く読んだのです。地味ながら、このモチーフも作品の性質を盛り上げているでしょう。
質・量共に劇的です。畏れ入りました。

アフターアワーズ。

投壜通信。これを冠したタイトルの、凄い詩論も存在するようです。



10 ピロットさん「椿鈴」 1/4

二月堂~お水取り~花ごしらえ~良弁椿(糊こぼし椿)~良弁椿鈴など、まつわる事象を典雅で優美な文体で綴られていきます。詩によるガイドブック的側面もありますが、それ以上にご自分の言葉で感慨を表しているのがいいです。描写と感慨のバランスもこれで良いと思います。自己と人々の非力に想いを致し、へりくだっている様子に好感が持てます。とりわけ後半の鈴の音のくだりでしょう。特に問題になる部分はないのですが、3連を少しだけ語ります。
まず4行目が異常に長くバランスが崩れています。推敲時にタテ変換して詩形を観るのがいいでしょう。それと全体の語り口が「である」調ですが、ここだけ「かしら」なのがわずかに違和感となっているようです。下記に微調整案を書いてみます。参考までに。(3連目4行目以降、その連全文)

苦しむ人をすぐに救わんと
十一のお顔であらゆる方向を見守ってらっしゃるはずなのに
新型コロナウイルスに翻弄される

(地球人は見えないのかしら)→「地球人」より「世の人々」の方がこの詩には合う?

繰り返す歴史に学ばぬ私たちに
自ら学び答えを出せと諭すのは

(お慈悲かしら)

私たちは充分に苦しんでいるのに
罪障の懺悔は

(どこまで続くのかしら)

「~かしら」をリアルタイムなつぶやき風にすれば「である」調と共存できそうですし、ちょっと場的な変化も付けられそうですね。佳作半歩前で。
さて、椿の詩もシリーズ化され、特に「名樹散椿」「つばき逍遥」と本作、三部作で、端正な文体のひとつの型ができたように思います。わかりにくい言葉は注釈も考慮に入れていいでしょう。



評のおわりに。


今年初めての評になります。新年に相応しく、
僕にとって初めてのかたが四名参加されました。
どのかたもイマジネーションに富んだ詩を書かれていました。
楽しみです。

一都三県に非常事態宣言が出されました。仕事と買い物以外、
外に出ません。家で飲みながら、音楽聴いたり本を読んだり
詩を考えたりするには悪くないです。
なんとか前向きに考えたいものです。では、また。
 

感想と評① 1/1~1/4 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2021年 1月 9日(土)17時11分42秒
  りゅうさん。すみませんが、お先に失礼致します。



1 おおうちさん「正義」 1/1 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。

新年を飾るにふさわしく、フレッシュな新参加のかたです。よろしくお願い致します。
まずは大きな“くくり”で来ました。「正義」。抽象的に、具体的に、どちらにも語られる。
まず考えねばならないのは、この概念の持つ相対性であり、語る人によっての立場の違いでしょうか。実は両者は微妙に関係していることでしょう。本作では1、2連に前者を、3連に後者を色濃く感じました。この詩は前述したことを過不足なく表し、しかも人間が本来的に持っている「性善」VS「性悪」にも詩行が及んでいます。
「純粋正義」―僕が定義するならば「戦争なく差別ない人々の共生」―これで最低限、世界は回ってゆく、と思います。正義というより理想かな? しかしこの単純こそが難しいのでしょうね。また書いてみてください。



2 九丸(ひさまる)さん「待つおもい」 1/1

2020年 12/26付 島さんの「のんさん 冬の樹木」の評に以下の文があります。
下手に調べるより、この言葉を引くのが全ての事情を簡潔に伝えています。以下、引用。

「そもそもが晩秋に紅葉するのは、冬に備え、葉の養分を回収して、幹や枝に蓄えるためだとか。桜にしても、そうやって春に咲くわけですね」

本作は正にこのことを言っています。詩情を以って。簡潔に言ってしまうと、

「冬=老婆」「春=少女」

なんですが、前者の代表隠喩は「細い髪を乱されて」であり、後者のそれは「花で着飾り」なんですが、結論から言うと前者の方が圧倒的にいいんです。雪にまとわりつかれた桜を老婆に喩えるのもちょっと珍しいからでしょうが、いや、それ以上に、この筆致には何か鬼気迫るものを感じます。老婆が少女にもどるという修辞展開もおもしろいし、タイトルに表された「待つ」の感覚をふたつの女性像に絡めたのも、よく考えられています。甘め佳作を。



3 タルコンティさん「使い捨てのバケツ」 1/1

大掃除の時に浮かんだイメージでしょうか。窓ふきでもしたのかもしれないですね。
バケツとその中の水という、非常に具体的なものの隠喩なんですが、それだけに、誰にとってもわかりやすい。従って伝達力も強いし、共感も得るのでした。当初「何事も八分目くらいが良いのだな」としながらも、結論は「溢れるまで水を汲む」「汲み続けるだけ」に発展する。ここをどう見るかなのです。人生に関する比喩ですから、水を捨てることはできない。水を入れ替えることもできないはずです。そう考えると量を考えざるを得ない。
そこに僕は意志の濃度を見ておきたいと思います。この詩は平明な中に凄く実(じつ)を感じるのです。おそらくタルコンティさんの人柄が書かせたものと推測致します。
タイトルだけ、ちょっと書いておきたいと思います。内容からすると、ちょっと違うんじゃないかという気もします。後は趣味的領域になりますが、バケツは文中はいいとして、タイトルは、もそっと格上げしたい気がしますが…。陳腐ながら例えば「水を汲む」「汲み続ける」等、“そっち”方面に持って行ってもいいんじゃないかと思ったりするわけです。
するとバケツが客体化され、相対的に自己の意志がより浮上しそうです。甘め佳作で。



4 蓮見 丈さん「カレンダー」 1/2

カレンダーとは普段は何気ないですが、年末、年始にはやはり気になるものです。
時期的にタイムリーなこの詩であります。卓上と日めくり。両者を比喩しながら、人生にもその比喩は重ねられます。このような両者ではありますが、用済みで焼かれてしまえば、皆同じ。以降、詩は別方向に動き出します。ダイオキシン防止のことですね。余談ですが、僕ら子供の頃は庭や道端で、缶にゴミつめて平気で燃やしていました。よく祖父さんにやれと言われていました。環境の為、今はそんな光景も見られなくなりました。結論から言うと、終わり3連目なのでしょう。続く連「だから」とあるから、前連を受けてのことでしょうが、ここが、申し訳ないんですが、よくわかりませんでした。最後はオチ的でおもしろく読みました。「門松~」は一休の狂歌で「めでたくもあり めでたくもなし」と続くそうですね。
気分がよく表れています。蓮見さんの自作狂歌も負けてない。カレンダーを一方向から見事に言い当てています。佳作半歩前で。

アフターアワーズ。

ちょっと一休を調べていたのですが、周知の通り奇癖のある人物ですが「由緒ある文書を火中に投じる」などとありました。詩と関係あるかどうかはわかりませんが、この詩を思うと、やや興味深い逸話でした。



5 キリコさん「天気予報」 1/2 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。

どんな作風だろう、と過去3作を読ませて頂きましたが、なかなか奇想天外なイメージがありました。今回もそういう部分が感じられます。まず目を引くのは、「北西の風~」のフレーズを二つ使い、詩をドッキングしている点です。本文の抒情・叙景の前後に、意図的にデータ的な情報を挟むのは、ひとつの趣向として大変効果的と考えます。どちらかと言うと、テクニカルな領域に属すると思います。それが無味・無臭であればあるほど、効果的でおもしろくなります。僕もたまに使う“手”です。さて、本文は?正直書くと、よくわかりません。イメージで推測するならば、自分という人間性をやや否定的に、自嘲的に語っているように思われました。けっこう抽象度は高いです。特に4連でしょうか?そういうトーンに上下の「天気予報」を絡めてみると、2連と5連が「北西の風~」フレーズに寄り添っているように見えてきます。客観的に言うと、その日の天気予報は人々にとって、けっこう重要なものなのですが、「僕~自分」にとっては必ずしもそうでない部分、そうでない自分がいる、そんな感覚が示唆されているように思います。まあ、作者と同じ解釈を取るのは難しい詩に属するものでしょう。また書いてみてください。



つづく。





 

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