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9月 7日(火)~ 9月 9日(木)ご投稿分、評と感想です

 投稿者:青島江里  投稿日:2021年 9月20日(月)00時30分20秒
  ☆お待たせしました。

◎9月 7日(火)~ 9月 9日(木)ご投稿分、評と感想です。


◎フォークロア  投稿者:妻咲邦香さん

フォークロアは民俗学っていう言葉ですね。2000年初めぐらいに雑誌やカタログの広告によく登場したので覚えています。民族調のアイテムが新鮮でした。

さて、作品全体を拝見して、フォークロアの意味を考えると、ここでは、その土地に今もなお残っている庶民の文化になじむという感じをイメージされているのかなと思いました。

一連目から二連目なのですが、地方の風景を枠として気持ちを重ねていこうとされているのかと思ったのですが、レトリックのカラーが強すぎるためか、自分の心の中に内容がうまく入ってきませんでした。かろうじて二連目の「ああまだ私/羽根も生えていなかった」で入ってきました。

三連目から四連目は、馴染もうとしても馴染み切れなかったもの・叶えたかったけれど充分に叶えられなかったことを感じました。五連目では、自分とは反対に、どうにか暮らしていけそうな目途が立った友人が浮かんできました。

六連目と七連目は読み込ませてくれる連になっていると思いました。虚しさや、実際には言葉にしたいけれどできない痛みなどを彷彿させてくれました。作者さんの表現力を感じさせてくれる連になっていると思いました。

全体的に見て、やはりスタート地点の一から二連目の部分。考えながら読み込まないと進んでいけないレトリックの強さが、もうひとつ作品にのめりこめない要因になっているのかなと思いました。作品全体にレトリック色が強めなので、あと少し言葉をそこから解放してあげると、もっと入り口が広がるのではないかと感じました。

しかしながら、最終連はとてもインパクトのある表現でした。これからもどんどん独自の表現力を磨いていってくださいね。今回は佳作一歩手前で。



◎ねえ。読んで  投稿者:あさぎさん

親子の読み聞かせのシーン。図書館などでもみかけますね。とても微笑ましい光景ですよね。

一連目と三連目。女の子の言葉の連続した重複が気になりました。もう少し整理するとすっきりすると思います。

例えば一連目。一行目は無しで、二行目からでも通じると思います。二連目は詳しく状況を伝えようしてくれるあまりに、女の子とお母さんの言葉をたくさん使い過ぎるようになってしまったように思います。難しいけれど、できる限りまとめてみてください。かなりすっきりすると思います。例えばこんな感じで。

しゃがみこむ
同じ高さのお母さん
右肩には女の子の
ぽてっと置かれた左の手

四連目の「女の子は一心に聞き/自分の中で想像をめぐらす」ですが、具体的にどんな様子だったかを描くと、かわいらしさが増してくると思いました。目をまるまるさせていたとか、お母さんの服をきゅっと握りしめていたとか、実際に自身がどうしてそう感じたのかを、さらに踏み込んで描かれるといいかなと思います。

五連目から七連目の発想は素敵でした。あさぎさんならではの発想ですね。私が実際に経験したことですが、心が流れるという実証ではないけれど、昔、理科の実験でねやったことがあるんですよ。みんなで手と手をつなぎあった最終地点で電気がついたっていう実験。心も体の中を流れて伝わるってありえるなって思います。

これを受けた最終連も、親子の寄り添い合ってつながるものや、見えないけれどつながっているものを感じさせてくれる表現になっていてよかったと思いました。ほほえましい作品。今回は佳作一歩手前を。



◎escape  投稿者:高山京子さん

エスケープはしたことないんですけどね。病院に行ってからの時間差登校だとか、そんなことでもドキドキしましたよ。何でこんな時間に制服の子がいるのよ?みたいな周辺の視線でね。だから、それ以上のこととなると、もっとドキドキですよね。補導員につかまったことがあるとなるとなおさらね。

ドラマのように光景が次々に動き出しました。一気にその空間に連れていかれるような感じにもなりました。ただ光景を忠実に描写しただけではなくて、その動作ひとつにひとつから、その光景ひとつひとつから、隠しきれない孤独がにじんでくる雰囲気があって、どうしようもない切なさに、胸をつかまれている気持ちにさせられました。三連目全体、四連目の「しばらく石投げをしてみたり/蟻を観察してみたり」のなんでもないことで時間をつぶさなければならない寂しさの表現等々。

最終連の「ちっとも楽しくない心を/ぶら下げた私は」という表現。それはどうしようもない中途半端な状況を、独自の言葉で表現してくれようとしていると思いました。こんな状況から脱却したいという気持ちを、うまく川の光になぞらえていると思いました。

タイトルの「escape」ですが、このままでもよいのですが、英字よりもカタカナ変換した方が、パッと見た感じ、意味が入ってきやすいかなと思いました。もっと深く掘り下げるとしたら、川のきらめきを想像させるようなものでもいいかと思いました。もうひとつ、最終連の「きらきら」なのですが、これもこのままでもよいのですが、ありきたりな感じもするので、更にランクアップをめざすのであれば、光に関する言葉を再考されてもよいかと思いました。今回はふんわりあまめの佳作を。



◎おとうと  投稿者:おおたにあかりさん

動物の動画がとても好きで、よくみたりするのですが、全く同じようなシーンがあって、その場面がリアルに浮かんできました。

作者さんは、第三者目線からこの作品を描いてくれていると思いますが、赤ちゃんのことも、さんじのことも、どんな性格だということもよくわかっていて、心から好きで、書くことをすごく楽しんでいるなぁって思いました。

簡潔に言ってしまえば、赤ちゃんとワンちゃんが遊んでいるところをみているっていうふうになるのだけれど、それぞれのことをよくわかっているから、こうしているからさわるととか、こうするからわらうのだとか、あっちへこっちへいっているのは、こうだからなんだよって、スイスイと描けてしまっていますよね。

特に五連目と六連目がよかったです。さんじは、ただみんなの周りを回っているのではないのだよっていうところ。素敵なイマジネーションでした。そして、そこでとどまらず、それをおとうとは知っていると持っていくところが、すごくよかったです。そのうえ、おとうとのことを、お兄ちゃん目線で自慢しているフィニッシュ。本当に可愛らしさにあふれていて、なんともいえないほのぼのさに包まれました。愛情の詰め合わせのような作品でした。秀作を。



◎受容  投稿者:藤代望さん

読後感。独特のものがありました。タイトルは「受容」とは、受け入れて取り込むことですよね。時折、需要と供給の「需要」も彷彿させるような感じもありました。

一連目。一行目から二行目は受け入れて取り込むという意味としてわかったのですが、三行目から四行目の状況が把握しづらかったです。

二連目から五連目なのですが、受け入れるや取り込むというパターンをそれぞれに表現してくれようとしていると思えました。ただ難しかったのは、二連目で地球の中の僕ということに関連して以下に続いていくパターンであると想定しても、夕方であったと思うと、急に夜だったり、公園の子供の様子かと思うと、急に花束を抱える人がいたり。広い範囲であちらこちらに場が飛んでいるので、入り辛く、それらをまとめるような前看板的な言葉が必要なのかなと思いました。地球というものだけでは、大きすぎるような気もしました。できれば、公園であれば公園のあらゆる場所で転換していくパターンでいく方が、詩の中に入りこみやすくなったかもと個人的には思いました。

作中の中では、五連目から六連目が一番よかったです。一連目の水滴からのおふろ。液体としてのお酒。それらのモチーフをうまく取り入れて、受け入れて取り込むということを表現されていると思いました。「受け入れにくい今日であったとしても、生きていくということを自分なりに飲み込みながら受け入れよう。そして明日を迎えていこう・・・・・・そのような気持ちが、どことなく気だるさを感じさせるも、それだけではない前向きである気持ちが、じんわりと伝わってきました。今回は佳作一歩手前を。



◎あのそらの向こう側 / 肥満体  投稿者:冴渡はくさん

今回は二作のご投稿ですね。最初は「肥満体」からです。

書き手からしたら、作品を肥満体のイメージにひとつひとつ作り上げていく感じ。読み手からしたら、肥満体という像があって、そこにひとつひとつ言葉を埋めていく感じ。

一連目の「わたしのからだを満たしていく」は、たくさん食べて太っていく人間を彷彿させますね。二連目の「脂肪」も同じですね。

二連目から四連目まで肥満体のイメージさせる連になっていますね。詳しく描こうとしてくれていることはいいことなのですが、作品全体を眺めてみると、その部分が大きくなりすぎているようにも思えました。各連を収縮する、或いは、連を整理してみてはどうかなと思いました。

五連から最終連にかけては、自らの溢れる思いが湧き出ている面になっていて、じわっと伝わってくるものがありました。

ことばが、
赤い飛沫になる。
泉が枯れるまで、
わたしは書くよ。

これはわたしだけのもの。
誰にも、
あげない。

以上の表現、とても印象深かったです。その中でも「誰にも、あげない」という表現は、
「誰のものでもない」以上に、自らの言葉に対する思いをとても感じる一言になりました。

ユニークな表現から沸き立つ溢れる思いが印象深い一作でした。


続いて「あのそらの向こう側」です。

光と音が交差する世界、そして目に染みてくるような色彩の世界。とても美しい作品だと思いました。

作品の先頭から色と音を感じる独特な表現、

「黄昏、/目覚めて弾け飛んだ、/きみが飛ぶ」

何事が起こるのだろうと読み進めていると、さっきとは違い、いきなり迫ってくる現実の空間でした。空から、天井の木目を使って室内に舞台を移し、次第に心の内側に進めていく部分も自然でした。

全体的に見てみると、気になることが一点。一連目の「きみ」と四連目の「きみ」は同じものかどうかということが、はっきりとしないことでした。こちらの部分は、全体のバランスを見ながらの考察が必要だと感じました。

外に向かって飛び出していく部分。そしてその向こうにある景色の描写も美しいものでした。特に「殴るような音がして振り向く/燃えるような/あか、」は美しさだけではなく、力強さもプラスされていて、杞憂や不安という言葉を包み込むような勢いを与えているようにも思えました。黄昏の太陽の暖色系と心の寒色系。そしてそれらをすべて包んでしまう情景は響き渡る音でまとめるという構成。それらは更に、目に耳にそして気持ちに、心地よい美しさを与えてくれました。今回はふんわりあまめの佳作を。



◎大切なもの  投稿者:麻月更紗さん

初めまして、麻月更紗さん。青島江里と申します。よろしくお願いいたします。
今回は初回ということで、感想のみで行かせていただきますね。

おつかれさまでしたね。私にも子供がいますが、懇談会のことを思い出しました。確かにいますよね。相性のいい先生と悪い先生。そうですよね。合わない先生とは、ほんの少しの間お話するのも疲れていたと思います。

子供の印象って、人によって見方はさまざまで、良く言ってくれる人もいれば、悪く言う人もいるけれど、元気で優しく育ってくれるのが一番ですよね。

真夜中に目が覚めると
タオルケットがかかっていた

お子さんは風邪をひくって心配したと思います。だけど、叩き起こすと可哀そうだと思ったのでしょう。

この作中の言葉の中のすべてが物語っていると思いました。お子さんはかなり優しいお子さんだなってことを感じました。そしてお母さんも、ふだん、お子さんにそんな風にしてあげているのだなってことも。

まだ幼さが残る
無邪気な寝顔をみつめた

この言葉の中に、お子さんに対する愛おしさを感じました。

一生懸命生きているのですよね。子供も、大人も。
大切なもの。大切なものを見つめながら、すごしていきたいですね。

子育ておつかれさまです。ご家族一同、どうぞお健やかに。
そんな思いにさせてくれる作品でした。



◎死に顔 / 悲しみのカケラ  投稿者:北川 聖さん

今回は二作のご投稿ですね。最初は「死に顔」からです。お母様との間に答えの出すことのできない葛藤というか、何らかの深いご事情があったのですね。

生きていると本当に色々なことがありますね。端から見ていて何もないように過ごしているように見えても実は心の中に重いものを抱えていたり、必要以上の我慢を強いられる環境にいたりと、自分の中にだけしかわからないものや、見えないものが個々にあると思います。よく今までたえてこられましたね。そんな言葉が、喉元に浮いてくるような作品でした。

母の写真も押入れにしまいました
愛してくれたのに憎しみがあるからです

こちらの表現は印象深いものがありました。単純に「憎しみがあった」と言わずに「愛してくれたのに」という言葉が前方にあったからです。それは人徳のようなものを感じさせてくれました。

お母様が旅立たれて、その時のお顔を胸にしまうことで、思い出を消されたとのこと。そんな心に、ある種の決断や勇気という言葉が浮かんできました。

最終連の「死顔」ですが、他の部分やタイトルと揃えて「死に顔」と統一される方がよいと思いました。

いのちについて、人生について、一人の人の旅立ちを通じて、自らの心を冷静に見つめ、受け入れることができるまでの流れを隠しごとなく表現された作品だと感じました。


続いて「悲しみのカケラ」です。

まるで悲しい絵本を開いているようです。拝読しているうちに、胸の内にBGMが流れてきました。高音のピアノの音でした。音のスピードで言えば、ゆっくりした小川の流れのような音です。ギターで言えばアルペジオのような速度。

「悲しみのカケラ」という表現は、通常の私では、「悲しみの」という部分を「悲しみ」と醸し出せる言葉に変えることをお勧めしそうですが、作品全体が、ある種、歌に近いようものになっていて、詩の中でひとつのリズムをつくっている要素もあるように思えました。「悲しみの瞳」と連鎖されていても違和感もなかったので、このままでも大丈夫だと思いました。

詩の連を追っていくと、きらめいて流れて自分のもとに降りてくるという、流れ星を思い浮かばせるものになっていました。

そして「流れ星」から彷彿させるもの。一瞬という儚さ。消えてそれきりになるというイメージをうまく引き出して、人の一生について考えさせてくれる表現になっていると思いました。

最終連の「微かなきらめき」と「それきり」という言葉のセッティングは、なんともいえない静寂な空気と、寂しさを感じました。短めの作品ですが夜空の張り詰めた空気の中に反映された、凝縮された寂しさを感じさせてくれる作品になっていると思いました。今回は佳作を。



◎オカンと生姜焼き  投稿者:秋冬さん

初めまして、秋冬さん。青島江里と申します。よろしくお願いいたします。
今回は初回ということで、感想のみでいかせていただきますね。

ほんわりとした笑顔をさずけてくれました。空のオカンさんも、きっと同じ思いになっていると思いました。どこの家にもその家の味がありますよね。実際、うちで食べていたものが全国区かと思えば、うち独特のもので驚いたりすることもありますよね。

高価なもの。流行のもの。料理の素材や手段は数えきれないほどあるけれど、作者さんは
読み手に納得させてくれました。

ところが

間違いなく
美味いのに
続くと
飽きる

この言葉の一択につきますよね。この言葉には大きく頷いてしまいました。その家の味。つまり、もっと奥を探っていくと、その家族の暮らしの情景なども浮かべることもできるのですよね。いつものごはんの中には、オカンさんの心がいっぱい詰まっていて、ほっこりとした気持ちになることができました。

ボクは
空のオカンに
生姜焼き風なんて
ナマ言うてゴメンと詫び
いつもの生姜焼きに
里帰りさせてもらう

この連、とってもよかったです。息子としてのオカンさんへの愛情がみっちりと詰まっていて。本当にいい息子さんだと思いました。「いつもの生姜焼きにもどった」ではなく、「里帰り」という言葉を使ったところがものすごくよかったです。「母への心」を感じました。

家族と暮らすということと、親への愛情と感謝がたっぷりと詰まった作品だと思いました。



◎いただきます  投稿者:山雀詩人さん

一行目から目をひきました「どうして言わないの?」のかって。読み進めていくと「そのほうがおいしそうでしょ」っていう答え。予想外の普通の返答。その次の質問もごくごく普通の返答。

しかしこの連の返答が、次の連から活きてくるとは。これも予想外。起承転結の転のような部分になるのかな。こういう事情があって、この答えに辿りついたのだって、最後まで読ませてくれる重要な部分だと感じました。

13連目の「静かな」「温かな」ですが、このままでもいいと思うのですが、静かなという言葉が、個人的には固い目の感じがして、この二つの部分、「なんてしっとりとした」「なんてふっくらとした」みたいな感じにしてもいいかなって思いました。

終盤になるにつれて、どんどん自分の意見が作中に散りばめられていきますね。一つの経験を通して感じたこと、気づかなかったことが、大げさでもなく、本当に自然に描かれていると思いました。

当たり前のように過ごしていた日常。一つの経験を通して生まれてきた思い。それが「いただきます」という一語に注がれて、読み手の気持ちをあたたかいものにしてくれました。当たり前のような日常に対しての溢れる感謝の思いが非常にナチュラルに表現されている作品だと思いました。佳作を。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

彼岸花の咲き乱れる頃となりました。毎年、彼岸ちょうどに咲く花を見て、そのタイミングのよさに驚いています。だけど、もしかしたら、タイミングを失って季節はずれに咲いてしまう花もあるかもしれないですね。その時はあたたかく見守ってあげたいです。あなたは彼岸花だよって、きっちりと名前を呼んであげたいです。

いつのまにか九月も終盤を迎えようとしていました。雨の多い日が続きましたね。
どうぞご自愛ください。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。
 

三浦先生 評をありがとうございました

 投稿者:ピロットメール  投稿日:2021年 9月20日(月)00時27分4秒
  この度は、お忙しい中、拙詩「中也くん」を御丁寧に読んでいただき、ありがとうございました。
やはり、引き算がうまくできず、長々とした詩になってしまったにもかかわらず、佳作まで頂戴し、恐縮しております。
ありがとうございました。
詩人中原中也と、友人のおかげかと思います。

墓参りのあと、中原中也記念館、詩碑、ゆかりの地を訪ね歩きました。
友人は食い入るように展示を見つめ、なかなか帰ろうとせず、宿に戻った後もまた、記念館、生誕の地に足を運んだようでした。
友人宅に上がり込んでは議論をし、職を得ながら詩を書く者を軽蔑し、最後まで詩の筆一本に命をかけた大詩人の足跡に触れ、友人のみならず、私も大変勉強になりました。

中原中也賞の詩集が記念館に置かれていましたが、友人は一瞥し、中也くんの詩は中也くんにしか書けない。本人は迷惑しているだろう。こんな詩集は中也くんに対する冒瀆だと憤慨しておりました。
私の今回の詩も投稿前に彼女に見せたのですが、そっとしておいてほしい、思い出を汚さないでほしいと言われてしました。
私は私の作品として、彼女の思いに自分の思いも重ねる形をとりつつ、バランスをとりながら、詩として形にしたつもりです。

友人は小1の時に第一回鎌倉文学賞を受賞し、その後も数々の詩の賞を受けておりましたが、中原中也に出会って以降は中原中也の詩しか読まず、ミジンコ研究にあけくれております。

今回、たまたま、持病の検査結果が悪く、詩はもう書けない…気力もなくしかけていた処に先生の評を目にしました。
本当に嬉しかったです。
そして、自分の詩句ではありますが
あんたさあ~死ぬ気でやれよ
の文句に目から水がでて、また、筆をとった次第です。
おこがましいですが、自分の詩句に叱咤激励されるとは思いませんでした。
詩とは、不思議なものだと改めて思いました。
余計な事をダラダラと書き連ね、申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。
今後とも、ご指導のほどよろしくお願いします。
 

しばなし

 投稿者:かーてんメール  投稿日:2021年 9月19日(日)22時23分31秒
  誰かが言った。
詩は連ねるものだと。
誰かが言った。
死は連なるものだと。

私は言った。
連なるものも、連ねざるものも、
連ねるものも、連なりざるものも。
最後だけ見りゃ、
連なっているだけだと。

誰かが言った。
恐怖の言葉を。
私は言った。
安心しろ、と。

彼女は救われたような顔をして、
ありがとう。とそう言った。
私はどんな顔をしていただろうか。
だって、
誰かが言った恐怖の言葉は
ずっとずっと昔から私を抱きしめていて。
私が言った言葉は、
私が誰よりもかけて欲しい言葉だからだったから。
今日もまた、しは連なっている。
 

金床雲

 投稿者:おおたにあかり  投稿日:2021年 9月19日(日)21時31分16秒
  かなとこ雲という
名前の雲があるらしい
形が金属加工などに
使われる金床に似ているからと
名付けられた雲

かなこと雲と言い間違えるし
かなこと雲と書き間違えそうだし
かなこと雲と間違って覚えるだろう
ややこしい名前

でも
ほんとはね
かなこと雲
絵本のタイトルみたいで

かなこちゃんが
すこしうらやましく
なりました
かなこちゃんと
かなとこ雲は
ただ名前が
似ているだけなのだけど

秋の始まり
空の辞典をひらいている

かなとこ雲
かなこと雲
つぶやきながら
かなこと雲のものがたりを
ちょっと考えて
かなこちゃんの友だちの名前に
自分の名前をつけてみる

金床雲
漢字にしたら
豪華な金色の雲が
床のように長く続いているのが
思い浮かぶ

かなとこ雲
わたしも
雲の上
どこまでも歩いて行けたら
いいのに

今日は
台風が過ぎ去り
雲ひとつない秋の空

 

 投稿者:秋さやか  投稿日:2021年 9月19日(日)21時16分55秒
  秋蝶が
さざなみを連れてくる
空の青さに溺れながら

わたしのなかの水が震え
冷えてゆく
指先の
死んでゆくものと
生まれてゆくものの狭間
蝶が止まる

翅、閉じてゆく
祈るように
沈むように
くちづけのように

ほんとうの
呼吸を思い出す
ゆっくりと
張り裂けないように
青さを吸う
たましいのなかへ

徐々に
透けて
透けて
消える翅

嗚呼これは
わたしの指だったのか
嗚呼これは
わたしの心だったのか
嗚呼これは
あなただったのか

戻ってきた指を
少しだけ舐めてみれば
やはり
甘くて苦い

いつのまにか
孤独は消えている
 

 投稿者:麻月更紗  投稿日:2021年 9月19日(日)20時04分22秒
  私はただ、感じていたいのです
この世界に数多ある
本や映画をみて
まだ知らない感情を

私はただ、感じていたいのです
行ったことのない土地へ行き
見たことのない景色を

私はただ、感じていたいのです
ファインダーを覗いて
シャッターをきる緊張感を

地を這う蟻のように働いて
休日は空を飛ぶ
鳥のように自由に過ごしたいのです
飛びつかれたら
本を読み、映画をみたいのです

のぞみはただ
それだけなのです

なのに
私を繋ぐこの鎖は
頑丈で
飛ぶことができないのです
 

無題

 投稿者:hikikoメール  投稿日:2021年 9月19日(日)19時32分1秒
  一瞬の迷いで狂った秒針は
誰かの時間を止めた

そして私は終わりの見えない
灰色の景色に囚われる

どこを見ても同じ姿をした
生きた亡霊に囲まれて

人形の様
決められた動きだけを繰り返す

やがて針は戻り
鮮やかだった記憶が溢れ出す
絶望と懺悔の激流と共に

しかしもう焦がれるあの色彩へは
戻れない

それを知った時
再び秒針は狂い出した

そして最後は自分の時間を

止めた
 

たぶん、大丈夫

 投稿者:秋冬  投稿日:2021年 9月19日(日)10時16分37秒
  回れ右ができず
いつも居残りで
泣いていた私

けんけんで
前に進めず
くるくる回っていた
たっくん

幼馴染は
どんくさいことも
沢山知っている

左手と言われ
迷いに迷って
右手を上げる娘

足ジャンケンで
チョキができずに
二択しかない息子

どちらの
遺伝かなんて
言えない

似た者同士だから
二人の
遺伝だと思う

似た者同士が
二人から
三人
四人に増え
にぎやかに

私達は
幼馴染から
夫婦になり
父になり
母になり
家族になった

父のあなたは
子供達を
心配する

私は
たぶん
今でも
回れ右が
できない

それでも
妻になり
母になった

だから
子供達も
たぶん
大丈夫

パパは
けんけんで
前に進めるようになりましたか?
 

星を眺めるとき

 投稿者:荻座利守  投稿日:2021年 9月19日(日)09時00分23秒
  人は星を眺めるとき

最も孤独になるという

それは

星々の孤独が

何万年もの時を経て

虚空を翔たその光に乗り

我らのもとへ

届けられるから

人が星を眺めるとき

孤独に研ぎ澄まされた

深遠な星の光に

人は魅せられてしまう

そのとき人は

己の内に眠っていた孤独が

星の光に共鳴するのを

密やかに感じとり

虚空を航りきた

星の光を受け継いで

最も孤独になるのだろう

だが人はその孤独を

決して厭うことはない

何故なら

そのとき引き継がれた孤独は

己の存在

そのものなのだから

星を眺めるとき

最も孤独になるならば

人は

孤独の美しさを

知るのだろう
 

評ありがとうございます。

 投稿者:tumitate  投稿日:2021年 9月19日(日)01時59分21秒
  三浦様
評を頂き、ありがとうございます。
また詩を書こうと思います。
ありがとうございました!
 

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