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評ありがとうございます。

 投稿者:おおたにあかり  投稿日:2021年 9月18日(土)19時02分29秒
  三浦様。

評を頂き、ありがとうございます。
カプチーノの響きの可愛さと
長男との甘かった時間を
思い出し、書いてみました。
カプチーノ的甘さの佳作、
嬉しさが増します。
しかし、
甘ーく評をつけてもらって
満足していてはいけませんね。
試行錯誤、色んな書き方をして
楽しみながら、勉強しています。
これからもご指導よろしくお願い致します。

ちなみに、現実の長男に頼むと、
「カプチーノ?なにそれ。
面倒くさい。自分で行ってきたら?」と
言われそうです。。。
カフェラテがすきなのですね。
わたしもブラックは飲めません。
 

三浦様、御礼

 投稿者:秋冬  投稿日:2021年 9月18日(土)18時05分21秒
  こんばんは。この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

絵空事という意味や文字面がなぜか好きで
こうして投稿を始めたことも
つい先日までは絵空事だったことを思いつつ
自分自身への励ましの意味も込めて書きました。

引き続きよろしくお願いします。
 

三浦様 評のお礼

 投稿者:荻座利守  投稿日:2021年 9月18日(土)17時40分23秒
  三浦志郎様
私の詩の「一握りの草」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
今回は「一発回答的佳作」との評をいただき、大変嬉しく思っています。
評にありました、「簡潔に思いを伝える路線」ということを、これからも常に念頭に置いて、詩を書いてゆきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
 

三浦様 詩の評のお礼

 投稿者:エイジメール  投稿日:2021年 9月18日(土)17時16分46秒
  三浦様 詩の評をありがとうございました。
詩の中にも書いているように、体重の増加が多ければ多いほど、透析は大変苦しいものとなります。それも0.1g違うだけで苦しさは違います。それと週3日もやってるとまた病院かあとストレスになります。じゃあ透析の事を詩にしようと思ったのですが、うまくいかなかったです。「公園の自然」という前の大テーマが終わって、自分の詩の在処みたいなものをここでもないここでもないと探しているところです。その間もできるだけ詩は提出していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
 

三浦さま 評のお礼

 投稿者:るり なつよ  投稿日:2021年 9月18日(土)16時17分29秒
  評を頂き、ありがとうございました。
詩の表現としては普遍性、客観性に欠いてしまったかもしれません。
割とリアルタイムな内容で、冷静さを欠いてしまいそうなので、時期を見て推敲したいと思います。

引き続きよろしくお願いいたします。
 

三浦志郎さまへ、評の御礼

 投稿者:高山京子  投稿日:2021年 9月18日(土)16時06分10秒
  このたびは、拙詩「望郷」に感想と評をつけてくださり、本当にありがとうございます。
何を隠そう、私も最終連が一番気に入っております(笑)。
ですから、先生にそこを褒めていただいて、素直にうれしかったです。
最初はなかなか最終連が決まらなかったのですが、出来たときは思わず「やったー」と声をあげてしまいました。
詩を作り始めてから、初めての体験でした。
しかしその一方で、最終連に至るまでの部分がかすんでしまったなあと自分でも思います。
佳作半歩前とのこと、先生がおっしゃってくださったように、フラットになってしまったので、もう少し言葉を練り上げていきたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
 

道徳と世界の見つめ方

 投稿者:藤代望メール  投稿日:2021年 9月18日(土)15時34分49秒
  灰汁を取っている
時計の針が重なっていた

外は雨
風が雨粒で窓をノックする
ガスコンロの火が暖かい

いつから
こうしているのだろう

この家は
知らない
ドアはどこにもない
怖い
外もこの場所も

灰汁を取っている
おたまで掬っては
そばのお椀に
汁を捨てる

もう鍋の中に
灰汁があるかも疑わしい
それでもずっと何かを掬って、捨てる
そもそも何を茹ででいるのかも
僕は知らない

透明なのに底が見えないし
何か物が入っているわけでもない
それでも僕は
何かを茹でているような確信がある
そこから灰汁を取っている

灰汁がもうなかったとしても
この行為をやめるのが怖くて
止められない
後ろを振り向くことも億劫だ

それでも
一度は手を止めて
この場所から逃げ出したい
腕が痛い
なにより胸が苦しかった

突然薄暗い部屋の中に
なにか灯った
後ろからぼんやりとした
光の布が壁を沿ってきて
僕を覆った

僕はそっとおたまをお椀の隣に置いて
灰汁をすべて鍋に戻した

それからロックをはずして窓を開けた
風と雨が部屋の中に吹き込んでくる
目を細めてしまう
雨風を全身で受け止めた
光の布が部屋の中に飛んでいった
それでも問題が無い気がした

全力で部屋を飛び出した
裸足だった
ガラスの欠片が足に刺さっても
僕は走った
泣きながら

世界はこれほど広いのか
心の中は晴れやかだった
一縷の不安もなかった

なぜなら窓をちゃんと閉めてきたから
 

感想と評② 9/10~9/13 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2021年 9月18日(土)14時49分22秒
  10 麻月更紗さん「立つ鳥は」 9/12 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。

よろしくお願い致します。
コロナ禍で出掛けられない、閉塞状態。ましてや旅行は二の足を踏む。そんな時期ならではの詩という感触を得ました。「ずんずん、どんどん」は勢いがあっていいですね。前作「夜の散歩」とは対称の妙を感じさせながらも、詩風、詩行のニュアンスは継続されているように思います。
もちろん、この詩は「飛ぶ鳥、後を濁さず」を逆手に取ったおもしろさがあり、何かを振り切る前向きさを感じます。実際に行く、行かない、は別として願いの分量というか熱量を感じました。人間、ぎりぎりのところに立たされても、こう思うか、思わないかで、がぜん生き方も違ってくるように思えるのです。爽やかでした。また書いてみてください。



11 秋冬さん「絵空事」 9/12

「海底二万里」の筆者、ジュール・ヴェルヌの名言に「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」というのがあるそうですが、(ホントかよ?)と思いつつ、この詩にもその精神が流れているように思います。「絵空事」とは多くの場合、負の要素として語られがちなのですが、この詩の良いところは、正の方向、前向きにも用いられている点です。もう少し言うと「負→正」への価値転換を試みようとしていることにあります。これを読みながら上記、ヴェルヌの言葉とも思い合わせて、(そうありたいものだ)と思うものであります。注目しておきたいのは6連で、意味の両面を上手く使って自己の願いを端的に表している点です。「実現可能な空想をする」といった意味合いも込められているかもしれません。それを受けての終連は実にフィナーレに相応しい。人類の、時間の、全ての普遍性に繋がっていく大きさです。最後まで読んで再度前半に戻ると「人は笑わば笑え」―そんな気概にもなってきます。そこがいいのです。絵空事でない現実佳作を。



12 ピロットさん「中也くん」 9/13

*すいません「中也詩集」探したけど、今見つからないので、無しで書きます。

佳作ですね。今回はなかなか新機軸を感じました。モチーフ面もそうですが、自己を極力セーブし友人に語らせている点です。そしてそれはピロットさん自身大いに感じているだろうことです。自己の考えを友人に代弁させたニュアンスも感じるのです。この詩には誇張が殆どなく、中也の熱心な信奉者ならあり得ることです。場面とともに中也の環境、横顔も触れられていますが、小林秀雄の件に触れたのには驚いた。よくご存じです。この詩は単に中也伝でなく、あくまでオリジナルであることを証拠立てています。次の句によって。

あんたさあ
真面目に詩
書きなよ
ふざけんなよ
死ぬ気でやれよ

(ハイッ、そうします!)と評者が直立不動したくなるほどの凄みと真実があります。友人のこのセリフの背景にあるのは中也の生涯そのものだった気がします。墓地で中也と友人の魂が強く邂逅したのを、この詩で感じます。彼には無頼、奇人のような側面もありましたが、家族の不幸も含めて、天才肌が持つ多くの属性を持ち、全身体、全生涯でもって、人生というひとつの詩を書いた人だったでしょう。

アフターアワーズ。

今も女性が墓参りするほど人望があるのは、太宰治、沖田総司(新選組)…あと、誰かいたかな? (西城秀樹?) あと、この友人が詩を書くのかどうか、ちょっと興味あります。あのセリフからすると、書かないほうがしっくりしそう。



13 tumitateさん「春」 9/13 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。ちょっと伝わりにくいスタイルなので、通常連分け・詩行形式に換えてみます。(評者のお任せスタイルで行かせて頂きます)。感想はそれからにしましょう。

春の日差しに
思い出深く
揺れた心は
無駄じゃなく
いつの日にも
どんな時も
きっと 思うだろう
おにぎりを噛みしめて
今日も行く
いつかの空は
今日の空
夢と同じ景色を 歩いたなら
単なる道も 心地よく
春は今日も
風が吹く

書いてて気づいたのは、ひとマス空けが多いです。僕も“マイブーム”的にたまにやるんですが、ちょっと多い気がしました。そういう部分、僕のクセで改行してます。ルールなどないので、ご自分なりにアレンジするのがいいでしょう。

あ、そうか、春を肯定的に描いた詩ですね。想い出を交えながら。いつも通りの春がいつも通りに巡ってきて、人々に平等に挨拶する春。そんな春を作者さんは溢れる好意で迎えているのがわかります。「おにぎりを噛みしめて」は素朴な春気分があっていいですね。「いつかの空は/今日の空」が最も好きなフレーズです。また書いてみてください。



14 るり なつよさん「白いお手本、黒いお手本」 9/13

るりさんには時にこういった詩が登場します。ごく自然に子育てに悩んだりするのでしょう。孤軍奮闘しているのかもしれない。おつかれさまです。時に書くことにより、ご自分の考えをまとめたり、時に激励したり、抑止したりするのは有益なことと考えられます。自分の気持ちを白・黒で表したのはちょっとおもしろい。少し気になるのは「*」以降で、黒を探求するにいわゆる「世代の属性~黒いバトン」というのは、僕は違うと思うんですがねえ。あくまで自己本位ではないかと……。
感覚として「人生脚本」という概念がすでにあって、話をそこに合わせすぎている気がします。
最後はそういったものをはねのける気持ちでよかったです。結論に至る過程として、そういった考えもあることを承っておきます。佳作二歩前で。



15 まるまるさん「朝 長男と私」 9/13

まず不思議なのは、高校生に親が目覚ましの責任を、これだけ負うものだろうか、ということです。いえ、良い、悪いではなく、ただ不思議に思うだけです。基本的に今思うのは、先生の言う通り、「高校生なら自己責任」ということです。あるいは母親とはこういうものなのかもしれません。ウチの場合、どうだったろ?遠い昔で忘れたけど。2階に繋がる柱を叩いて「おーい、時間だぞ!」くらいは言ったかもしれない(ギリギリ、又は遅刻がけっこうあったことは聞いていたが、僕はあまり気にもとめなかった)。おかあさんの狼狽ぶりに比べ、息子さんのボソボソ、ぶっきらぼう。このコントラストが際立っておもしろい。結果としてオンラインに救われたようですがこの種の事は実際に居合わせた二人でないと、わかりにくい面はどうしても出てきてしまう。おかあさんのバタバタ感が詩にもそのまま反映しちゃった気がしますねえ。佳作二歩前で。



16 galapaさん「私のアルバム(ノスタルジア)」  9/13

さて、困った。評者は前回のあるかたの評で「本人が詩と思えば、すなわち詩なのだ」と大見得を切ってしまった都合上、これが詩ではない、とは言いにくい状況にあります。(まあ、第三者だから言ってもいいんだろうけど)。以上、ご賢察のほどを。
10行目「あるいは出来ないとゆう」は「いう」です。以前もあった。クセでしょうね。ちょっと恥ずかしいです。あと「なつかひー」これも世間に公表する文としては如何なものか?(ヒトのこと言えるか、少し疑問に思いながら)。
あとは楽しく懐かしく読みました。「サマンサ、犬の餌、髪型、鯉のぼりのポール、剣、拳銃、水筒ぶら下げ」―けっこう多くの部分で僕の時代感覚と一致します。手続き上「エッセイ詩」ということで。評価は冒頭の理由により、お休みさせてください。



17 galapaさん「Bloody Mary」  9/13

かっこいい。ロックバンドの名前でもかっこいい名前だなあ。聞いたことありそうだけど、飲んだことないんで調べました。「ウォッカ、トマトジュース、レモンジュース」+「好みで、塩、コショウ、タバスコ」だそうですね。僕、トマトジュース嫌いなんで遠慮しときます。
この女性、かなりきこしめして、御酩酊の様子か?なにか哀しいことがあったみたい。度数の高いウォッカを要求してるんで、まだ酔いたいようです。
「不定形の夜に居場所などない」―詩的でもあり悲しみも滲んでいます。「だってば」に代表されるように、ハスッパな話しぶりが実に雰囲気出ています。そういうモードの中でも、4連のように、いわゆる“galapa節”もしっかり入っているのです。臨場感たっぷりで映画の一場面のようです。僕の勝手なフィーリングで言わせてもらうと「ブルースが聴こえるゼ」ってなもんです。ちょっとヘンな感想ですが、お相手の(男?)が全く出て来ないのが、かえって効果的で、出て来ると、かえって月並みになりそう。違う方向に行きそう。そのあたりもおもしろい。すごく書き慣れた印象を受けました。「そちらのご婦人に”佳作カクテル“を。もちろん、オレの方にツケといてくれ」



評のおわりに。


午後2時27分、評完了。
台風が迫っています。
今、静岡県あたりか。神奈川県内、豪雨警報・洪水警報発出中。
まあ、家に籠って評を書くにはちょうどいいと言うべきでしょうか。
各地被害が無いことを思っています。 では、また。

 

感想と評① 9/10~9/13 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2021年 9月18日(土)14時43分23秒
  青島さん、お先に失礼致します。



1 妻咲邦香さん「翅」 9/10

まず思考と場面、その両者の交差、馴染ませ方、補完のあり方、その分量が見事で、それを維持しながら詩は全篇を終わります。とりわけ、前連を受けての具現化としての2連。外の景色に上手く託されています。続く自己の想像。これは願いに突き動かされた産物と言えましょう。結果として外に飛び出したのは、希望的想像の一環と捉えたほうがいいでしょう。ホントに出てたら大変なことになります(店員、血相変えて「お客さん!!」)。その後も想像は余韻を引きながら続いていきます。締めくくりはリアルな場面で、かえって効果的でした。佳作を。
ところで、ここで評者はひとつの作業をしたいと思います。以前作「夢」と今作「翅」との比較研究です。まず結論を言ってしまうと、

「夢」…周囲を気にせず、本当に書きたいことを自由に書いた。感性一発。その意味での本領。
「翅」…周囲への迎合とまでは言わないが、ストーリー、場面を加味し、より“解釈側”に寄せている。少し変針がある。

これを、僕の場合、音楽に喩えると、ギタリストが曲によりギターを持ち替える。サックス奏者が曲によりアルトからソプラノに持ち替える。けれども、どちらもその人の曲。妻咲さんは素材に応じて、ツール(あるいはモード)を持ち替えている。けれども、どちらも妻咲さんの詩。ここで大事なことは3つほどあって…。

①…自分が本当にやりたい事と世間が期待し求めている物は“微妙にズレる”ことがある点。それを不幸と思わず、むしろ積極的に使い楽しみたい。

②…ズレの存在。しかしながら妻咲さんには、両者間を微調整で往来することができる。つまり“持ち替え”ができる。これはなかなかできることではないので大切に。

③…長期的見通しとして、僕としては両者を”交代的に“出していってもらえば…などと愚考しております。



2 高山京子さん「望郷」 9/10

小学校校歌って、意外と歌えるものかもしれない。中~高~大の各学校に比べ、歌う機会が多く、刷り込まれてる部分が多いと思う(あ、僕も歌えた!)。ここに、この詩のひとつの“ある、ある”があるです。共感もありそうです。詩は2つのパートに分かれて校歌部分と望郷部分。後者の契機はいろいろあるわけで、今回はたまたま校歌だった。そう考えると後者が主で前者が従と言えなくもない。しかし校歌部分も5連に見るように細かく描写され、望郷部分をよくバックアップしております。やはり主役は4連かな?平易ですが、本質的です。ここからちょっと深読みします。人はいろんな理由で故郷を離れるわけですが、仕事もさることながら、僕は女性の場合、結婚という契機が多いと思う。故郷を離れて嫁ぎ先に住む。そう考えると、男より望郷の念は強いか?「小学校校歌」ですから、明らかに生まれ在所であるわけです。まあ、ここでは結婚のケースではなく一人暮らしのようですが。あと、高山さんを少しがっかりさせるかもしれないけれど、僕の一番気に入ったところは、―ごめんなさい―終連なんです。ここで、これを持って来たのはセンスですよ、センス。かえって詩が締まりました。

「ゴロッ」
こんな時間にも
氷が造られる音

こんなフィーリングもありですね。
もしかするとこれは前作「わが町」のB面的部分があるのかもしれない、テーマやトーンは整っています。ただ、前作のインパクトからすると、ちょっとフラットで損したかも?佳作半歩前で。



3 Ibさん「喜び」 9/10 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。

よろしくお願い致します。
この作品は、ほぼ実際にあったこと、考えたことを基に(多少、修辞があったにせよ)、比較的、ありのまま、素直に書かれたのではないか、そんな気がします。悩みというのは世代毎に必ずついてまわるものですが、今の人は本当に大変だと思います。
スマホのメモ文がこの詩の主文になりますが、大意としては「自分が素直に喜べない、感情を出せない背景にあるのは、家庭環境」。そんな解釈が成り立ちそうです。年齢から言って幼児虐待ではなく、親の専制といったところでしょうか。一方、主文を挟む前後の連には時間差があり、終連に「我を保った」とあるので、事態が好転した現在から過去を振り返ったものと思われます。タイトルからこの詩の主旨を引いて来ると、、メモ文のような事態から脱した喜びなのか、それとも一般論としての喜びの接し方・表し方を見出したものなのか、そのあたりがよくわかりませんでした。このメモ文から、いかにして喜びに転じたのかを焦点化するといいと思いました。また、書いてみてください。



4 おおたにあかりさん「おかあさんのすきなもの」 9/10

今回は息子さん目線。ただしまだ幼かった頃のようです。自然、書き方は児童詩のようなフィーリングになりますね。それでいいと思います。多少思考が入っているので、小学校中~高学年くらいか? この詩、思うに、おかあさんがお子さんと、ちょっとしたおしゃべりを楽しみたかったんだと思う。そのきっかけとしての初連でしょう。後は読んだ通りのいい雰囲気です。(おかあさん、大好き!)がよくわかるし、5連で思いがひとつの山を作っています。思い伝わる連です。「2」の高山さん同様、おおたにさんを少しがっかりさせるかもしれないけれど、僕の一番気に入ったところを書いておきます。

かぷちーの
かぷちーの
まぬけなひびきの
かぷちーの

ここには子供らしい感性と可笑しみと、優しささえあると思うからです。最後の繋げ方もいい。
この詩、漢字まじりで書いたら、さほど良さが伝わらなかったかもしれない。そのチョイスもよかったです。“かぷちーの的甘さの”佳作を。

アフターアワーズ。

カフェラテはさらに甘いか??(僕、甘ければ、どっちでもいいんですけど 除ブラック)。



5 晶子さん「言葉のお守り」 9/11

以前作「おろし器」のトーンというかノリに近いと思います。

「靴の踵踏まない」

もう、ここ大好きですよ! エンドも軽みと笑いの地点にうまく着地です。
しかし、ここからが評の本論です。この詩は“おもしろおかしく、実は大変重要なことを言っている”ことです。その点で早くも佳作とします。

「気をつけて/その言葉で事故の確率が少し減る~」
「言葉をお守りのように」 (タイトルとリンク)
「いってきます また後でね」「おまじないの言葉」等々。

最近、家族でもこういうセリフ、はかばかしく言わない気がしてますねえ(あ、ウチだけか?)。
いったん外に出たら何があるかわからない。「ちょっと友達と会って来る」と言って山の中で死体になってしまう時代です。上記セリフで、もしも守られるとするならば、言ったほうがいいのです。女の子なら、なおさらです。
こういう挨拶話を見聞きする時、僕の場合、いつも日航機123便事故を思い浮かべてしまいます。人々は上記のような挨拶をしたことでしょう。けれどもみんな帰らなかった。声をかけていたとしても、こういう恐い世の中であります。それはともかく、社会において日本人はもっと「声掛け」をしたほうがいいと思う。そんなことも感じさせる詩でありました。ある種の啓蒙にもなると思います。よかったです。

アフターアワーズ。

私事。現役時代の会社で4年間、毎日ドライバーをしたことがありました。それこそ東へ西へ。
その時はさすがに出がけに「また 会おう」と言ってましたね。その甲斐があったのか、今こうして無事に評を書いてるわけです(笑)。



6 荻座利守さん「一握りの草」 9/11

やった、一発回答的佳作。モチーフ、構成、語り口において、ややオールドファッションドですが、そんなことは全く問題になりません。人が普遍的に持っている心情―ここでは優しさや暖かみーは時代に関係なく存在し、随時に掬い取れるという事です。この作品はその具現であり詩化であります。何処を読んでも簡潔に整理され、心理上、筆記上のもたつきがない。意志の統一がある。
総体を見ても、このサイズでほぼ言い切れている、想いを出し切っていると思う。エンドは最上の贈る言葉。いい詩、伝わる詩は評も書きやすいし冗長に語る要もなし。こういう簡潔に思いを伝える路線は温存されていいと思います。ぶっちゃけ書くと…

「こうこなくっちゃ、ウソだよ!」―という感じでございます。

アフターアワーズ。

この詩に共感、賛同しながらも、日頃、舌打ちしながら草むしりをしている評者であります。



7 エイジさん「優しさのコラージュ」 9/12

まず、この詩を読んで、週3日のご苦労、「本当におつかれさまです」と申し上げます。
評者はこういう事態が全くわからないので、大変勉強になるものです。
それとは別の地点―詩の客観性―で書くと、初連~6連まではこれでいいと思います。
僕としてはこの詩の主旨となる7連をもう少しふくらましてほしい、という意見であります。
やや意外性・ストーリー性をアピールするなら、こんな手もあります。

技師さんは言った
「僕はいつでもエイジさんの味方です」
「何かあったらいつでも言って下さい」……(7連一部を冒頭に持ってくる)
初連
↓……(通常通り)
7連……(冒頭セリフを受けてこの会話の主旨を場面として肉付けする)

以下同文。

よく映画でいきなり具体場面を出して、後、おもむろに物語に入るような手法でしょうか。
ただし、あくまで参考ということで。ヘンだったらスルーで。佳作一歩前ということで。



8 じじいじじいさん「どっち?」 9/12

1連…やまのはな自身。  2連…かだんのはな自身。  3連…それらを見たわたしとぼく。

3者登場は珍しいし、それに伴う構成、流れはこれでいいと思います。焦点になるのは……、

「いきかたって/ひとつじゃないから」

3連の子供たちが常時認識して、サラリと言葉にできる年齢とはどのくらいだろう? を今考えています。「少しズレはないか?」そんな疑問も浮かびます。このことは、時々話題になる対象年齢が関わってくるし、作者の創作位置も話に登ってきそうな気もします。いっぽうで「そんな小難しいことは言わずに、素直に読めばいいじゃないか」という意見もありそうです。僕自身も判断できないので、単に提示に留めます。まあ、いろいろ書いていく中で考えてもいい事項ではありそうです。冒頭の感想から、甘め佳作を。



9 じじいじじいさん「すき?」 9/12

こちらは対象年齢ということは、敢えて外します。人が好きに年齢枠はないからです。じじいの僕でさえ、こういう気持ちになるはずだからです(笑)。まあ、気持ちの流れからすると幼い子のイメージでしょうか。「へんなきもち」がそれを表している気もします。ところで、「むねがいたくないけど/いたいんだ」の「いたいんだ」です。
A「居たいんだ」 B「痛いんだ」―両方考えられるのですが、前文は明らかに「痛い」です。
Bで繋げると全く逆で意味をなさない。Aで繋ぐと繋がるが、心情的に不自然。あるいは「いたくないけど」は「いたくなるけど」の誤植か?ある意味、ひらがな書きの弊害が出た例かもしれません。ここだけは事前に推敲して表現を変えるべきだったと思います。



つづく。
 

なきむし

 投稿者:村嵜千草  投稿日:2021年 9月17日(金)22時12分17秒
  メモ帳に滲むインク

それをぼんやり見つめるわたし

扇風機は規則正しく首を振り
時折ページを踊らせる


うたにもならなかった、言葉たち
何の振動も起こさない、言葉たち

それらに思いを馳せるのは
未練を寄せるのは

もうやめたほうが良いのかい


きっと日の目を見ることのない
いとしいわたしの言葉たち
 

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