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僕が好きな君は

 投稿者:のん  投稿日:2018年 6月11日(月)16時04分53秒
  夏の夜が好きと言った君をなぜか冬になると思い出す。
どうしたって夏の夜にそのことを思い出すことができない。
夏の夜を君が好きな一瞬として感じることが、僕にはできない。
だからだろうか、僕たちが上手に同じ風景を眺められなかったのは
上手に眺められなくたってほかに一緒に居られる方法を
なぜ僕たちは探せなかったのだろう。
君も僕が秋の匂いが好きだと言っていたのを春の金木犀の香りで
思い出したりしているんだろうか。
それはそれで同じ景色を見てはいないけれど
ロマンチックだと思う。
 

三浦志郎 様へ

 投稿者:沢口リリキメール  投稿日:2018年 6月11日(月)15時27分0秒
  三浦さん
「投影の楽園」に佳作との評、感想をありがとうございます。
何をもってして、楽園となるかは人それぞれの主観や美意識によって異なりますが、私にとって沖縄の海は楽園の象徴です。
観る側にその美しさ、心地よさを感じる心がなければ、そこは楽園にはなりえません。
人によっては高層ビルが立ち並ぶビジネス街かもしれないし、山麓や湖畔、或いは自分の家かもしれません。生まれてきたこの世界そのものが楽園という人もいるでしょう。
反対にある人の楽園が失楽園と感じる人もいるかと思います。いずれにしても、その感覚は人の意識や心情によって主観的に判断される。そんな事を個人的見解で書きあらわせたらと思いました。
太陽の沈黙、は時間を超越した存在としての比喩になればと考えました。
自分の詩に解説をつけるのはナンセンスですので、読む方の解釈に一任したいと思っています。
この度も、熟読下さってありがとうございました。
 

 投稿者:玉稀リオ  投稿日:2018年 6月11日(月)14時01分21秒
  傘に溜まった雨粒が、
一瞬ではじけるような、
そんな恋をしたい。
宇宙でいうスーパーノヴァみたいな、
マグロの刺身につけるわさびみたいな、
そんな恋。
ボタンを押して、信号が青になるのを待つ。
黄色い軽自動車が、溜まった雨水をとばした。
冷たさが、ピンクのスニーカーをすり抜けて、
わたしの足を包む。
そう、こういう恋をしたいのだ。
 

三浦 志郎 様

 投稿者:中也  投稿日:2018年 6月11日(月)04時25分34秒
編集済
  三浦  志郎  様
この度は二作品に批評していただき本当にありがとうございました。
私事ではありますが、伴侶が二度目のガンの手術を受けることになり、ちょうど同じ頃、友人の娘さんが全身にガンが転移していて、手の施しようがなく、自宅で最後を迎えることになったいうことを聞き、思いが詰まってしまい、同じような作品を書いてしまいました。
僕は夢の世界を詩にしたように人には運命があると思っています。死を考える年になり、また死を考えることで、生きることの喜びを感じて生きていくことが大事だと思っています。長くなりました。妻も友人の娘さんもいつまでも元気で いられること、本当に奇跡を願っています。
ありがとうございました。
2018年6月11日
                             中也

 

三浦 様

 投稿者:ゆき  投稿日:2018年 6月11日(月)01時55分11秒
  おはようございます。
「優しい思い出」に評と感想をありがとうございます。詩の中の母の弁護をしてくださり、嬉しかったです。「問題解決型母親」そうかもしれません。普段は本当に放任主義でした。

私の詩は抽象的で、雰囲気だけで書いているような所があると思うのですが、それを直してテーマをもっと追求していくために、今まで詩に書いたことのない、(両親の事など)自分自身の事を何度か書かせて頂きました。自分の事を出してみたらもっと気持ちが入り、追求出来るのではないかと思ったのです。結果は私の表現力の乏しさから満足のいくものは書けませんでしたが、三浦様の仰るようにこれをこれからの肥やしとして頑張っていきたいと思います。いつも丁寧に読んで下さりとても感謝しています。どうもありがとうございました。
 

僕はね

 投稿者:れめる  投稿日:2018年 6月10日(日)22時19分23秒
  わかるかな?

果てのない階段を登り続けるような
世界中の砂つぶを数えるような
ねこに道を聞くような

明るい日の光の下を真っ黒な薄衣をあたまから被っているような。

僕はね、さまよい続けているよ。

考えることが人間だと言うならば
それは人間らしい人間なのかもしれない。

僕のあたまはいつだってフル稼働だ。
くだらない。
ああなんてくだらない。

くだらないことをね、考えるんだ。

せかいは不思議と理不尽でいっぱいだ。
そこに何の意味があるのか僕は考えるんだ。

それはまごころか
それは善なるものか悪しきものか
それはなにかと引き換えなのか
それは誰もが喜びうるのか悲しむのか
それはお金がいるのか
それは無償の愛か

なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?
どうして?
どうなるの?
どうすべきか?
どうあるべきか?

ああ、
いつしかぼくの心は軋んでたわみ、砕けていった。
砕けた欠片を寄せ集めたけれどなかなか元には戻らないと人は言った。


僕はくだらないことをね、考えるんだ。


でも後悔はない。
何も考えずにぼうぜんと生きるよりは。
くだらないけれど、そう。

これからは、君を大事にしよう。
僕も僕を大事にしよう。

目の前は暗い海が広がっていても、砕けた心しかなくても。


その手に灯りを持って進め。

 

三浦 志郎さまへ。

 投稿者:葉月 祐メール  投稿日:2018年 6月10日(日)19時58分20秒
  三浦さん、

今回も、「夜明けの色」へのご感想をいただきまして、ありがとうございました。

この詩は、以前三浦さんに評していただいた「あさのうた」でのコメントに、
「夜と朝の境目」について触れられていたのを書きたかった事、その瞬間をこの目でようやく見られた事から、始まりました。
眠れない事よりも、目に映る窓越しのその瞬間に、時間も忘れていたのを覚えています。
この作は手元の稿をもっともっと煮詰めて、音や色、匂いが文字から立ち上がるくらいのものにしたいと思います。真っ白に近い透明な朝の色を、また見たいです。(いつも寝起きが悪いので、なかなかかなわないのですが…)

作中で描いた現実の夜と自分の夜の時間差など、あげていただいた表現にも感じてくださり、ありがとうございました!
(「あさのうた」では、詩のトーンを統一させられませんでしたが、今回、その作の前半部分を救えていたら、と思います。)
 

三浦さんへ

 投稿者:こたきひろしメール  投稿日:2018年 6月10日(日)19時02分39秒
  評価と感想ありございました。
最近は詩が書けなくなっています。詩が書けなくても生活に困ることは何もありません。それどころか詩から解放されたらどれ程に快適かと想像してしまいます。
なのにどうしても詩を手放せない自分がいるのです。
そんなかんなで詩に私の脳内を占領されてしまう事が日常茶飯に起きるのですが、病の一種でしょうか?
不治の病の。それはさておいて。
また宜しくお願いします。
 

感想と評③ 6/1~6/4 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2018年 6月10日(日)17時03分30秒
編集済
  カツオとわかめさん「心の中の鐘が鳴る」 6/4

初めてのかたなので、よろしくお願い致します。楽しいペンネーム、いいですね。
初回なので、まだ「佳作」等の評価はせず、感想のみ書きます。
森と自転車そして私とあの人。さわやかな設定に好感が持てます。2連で自転車に乗ったあの人が一本しかない道を尋ねる。ここで考えられるのは見知らぬ同士の初対面というのが普通です。ところが3連では親しげに嬉しげに自転車の後ろに乗っている。「あの人の後ろに横座り」とあるので「私」が女性でしょう。会ってすぐ意気投合して後ろに乗るケースも(個人差で)無くはないでしょうが、ちょっと考えにくい。2連と3連の間にはしかるべき時間が流れたほうが自然なんですが、そのあたりの処理の仕方でしょう。案外、書き手は自分でわかっているから、サラリと書いて、読み手はついていけない例はままあるものです。もしこの通りならば、2連をもう少し親密なムードにするなどして事情示唆は必要になるでしょう。ただ、そういうことを一切気にせず読めてしまうことも事実なんで、ちょっとなんとも言えないんですが…。また書いてみてください。


サンダーソニアさん「少女と星じかん」 6/4

おそらく僕にとって初めてのかたと思われますので、よろしくお願い致します。
本日は感想のみを書かせて頂きます。
連ごとに見ていきます。

1連…敬語体。
2連…ト書風普通体+カッコ「  」付敬語体。つまり、ここを除いて全て敬語体。
3連…敬語体。1連に同じ。
4連…カッコ「  」付敬語体。

敬語体と普通体。カッコ「  」。それらの区別・使い分けの基準がちょっと判然としないので書いてみました。カッコ以外は詩の発話者と想定可能なのですが、カッコ部分は発話者か少女の独白なのか、わかりにくいのが、ちょっと気がかりでした。少女のような気もするんですがね。作風としては、やや、ファンタジー風なところが印象的です。ファンタジー的でありながらも、死の真理と現実を正面から踏まえ、自己の考えも成立させていることがわかります。また書いてみてください。


中也さん「また君と銀河鉄道に乗って旅してみたいな」 6/4

「お金で買えないもの」が3ヶ所に登場します。当然のようにこの詩のポイントになり得るでしょう。すなわち、ここでは恋愛感情、お互いを思い合うこころ、そしてその記憶に代表されるでしょう。さて、2連、7連。今にも死んじゃいそうですが、“君もあなたも僕も彼氏も彼女も”○○年後かもしれないし、明日かもしれない。不可避であるならば、せめて僕はこうありたい、という詩でしょう。つまり来世でも契りを結びたい。タイトルに銀河鉄道を含んだのは印象的です。ひるがえって言えば、今をそれほど愛している、の謂いでしょう。ある映画のテーマ音楽に「死は少しだけのサヨナラで、時の彼方で、あなたは待ってくれている」のような大意の曲がありましたが、僕の中でこの詩とその曲がオーバーラップしたことでした。佳作を。


葉月 祐さん「夜明けの色」 6/4

まず私事から入らせて頂きます。僕はよほどのことがない限り、9:30には床に入り、朝4:30には起きます(老人、朝早い!)。ところで、最近、あれを思い、これを考えると、容易に寝られないことがままあります。従って、この詩の気分は痛いほどよくわかるのです。
「焦りと諦め」の錯綜、あるある!刻々と時間の経過を書きながらも、印象的な表現は自然と生まれてくるかのようです。いわく「空から夜が抜けてゆく」「枕元に残る夜も 一緒に連れて行った」など。「黒い液体が綺麗に濾過され」の感覚もいいですね。よくわかりますね。明け方になって初めて自身に夜が訪れるくだりがおもしろいのです。皮肉な時間差。すれ違う自分の身体と意識。この日、出勤日だとしたら、寝過ごしにご用心!




評のおわりに。

ひなのさんの作品に西行が出てきました。僕は彼の歌を一首も知らないのですが、人となりには興味がありました。書きたくてウズウズしているので(?)、手短かに行きます。歌人・西行は平安末期~鎌倉初期の人。元は武士で、しかも宮廷警護の名誉の士でした。あることがきっかけ(道ならぬ恋という噂あり?)で、妻子を捨て全てを投げ打ち、漂泊の歌人になりました。ところで、源頼朝は西行と対面しています。いやがる西行をむりやり招いて話を聞いたそうです。しかも歌道ではなく武道のことでした。“武の本場”の総元締めである頼朝が、いかに名誉の元武士とはいえ、弱いイメージの京侍の西行に解説を求めるのはいぶかしいです。おそらく宮廷における武士の典礼・行儀作法を尋ねたと思われます。なるほど、坂東武者は荒くれ者・田舎者揃いで、文化的なことはからっきしダメだったのでしょう。頼朝は喜び、お礼として銀のかたまりでできた猫の像を与えたそうです。お金に換算すれば、のけぞるような価値だったでしょう。西行はありがたく拝領するフリをして頼朝の許を辞しました。その後、辻で遊んでいた幼児にその猫の像を惜しげもなく呉れてやったそうです。世俗から超越した西行の気分が、なにやら匂い立つような気がします。このエピソードは鎌倉幕府公式記録「吾妻鏡」に載っています。ちなみに西行の腕の立つ証拠に、荒くれ法師で聞こえた文覚上人をも屈服させたそうです。彼の漂泊の精神は、はるかな後年、松尾芭蕉に受け継がれていきます。 では、また。

(参考文献:司馬遼太郎「街道をゆく“三浦半島記”」朝日新聞社)




 

感想と評② 6/1~6/4 ご投稿分

 投稿者:三浦志郎メール  投稿日:2018年 6月10日(日)17時00分58秒
編集済
  こたきひろしさん「唐突に」 6/3

「お父さん童貞だよ」「何言ってるの~最低二回はしてるでしょ」で、失礼!笑えました。
笑う以上に、僕はこの家族、親子関係に敬意を表したいと思います。何でも自由に話し合える風通しの良さにです。特に、とかくタブー視される性について。この土壌を創り上げたこたきさんにです。この詩精神は「閉じ込めて蓋をしてはいけない」に代表されているようです。終わり近くは娘さんの告白に動揺するこたきさん。父親らしいシーンです。
このあたりの微妙さは、こたきさんも僕も、全ての父親が、愛について性について、若い頃、やってきた張本人である点です。最終フレーズは、おっしゃる通りです。深く賛同致します。この詩はテクニックや構成からは自由に解放されています。「家族に乾杯佳作」と致しましょう。


山下一歩さん「あの夜に」 6/3

まず、2ヶ所ほど漢字使いを換えたいです。

5連「空しさ」→「虚しさ」 前者だと空が空を満たす感じで、しっくりしない。
7連「夢現」→「夢うつつ」 前者だと読み違えられそう(ex「むげん」?「夢幻」?)

「深い森」「迷い猫」「ブランコ」等の比喩が利いていますね。山下さんは久しぶりでしたが、叙景から心理世界に場を移しても、山下さんらしいフレーズ配りは不変・不動ですね。これはもう“芸”と言っていい領域に行っています。とりわけ「静けさが時を蝕み~~あの夜に」の連は、ある種幻想味も加わって一級の表現でしょう。残された点として、この心情に至った原因・背景が欲しい気はするのです。佳作一歩前で。


山下一歩さん「感情」 6/3

前作と似た心象風景で姉妹編あるいは連作的です。何かあったのかな? 前半部は「承前」といってもいいほど前作の流れの中にあります。この詩では「蔦草」に注目しておきたい。これが問題の所在であり逡巡の象徴であるようです。詩では、それをひとつひとつほどいてゆく。見えてきたのは―。最終部分によると、どうやら自嘲的な反省のようです。物事をややこしくしているのは、煩雑に纏いつく付帯事項。それを取っ払ってしまえば、事の本質とは案外シンプル。そんなことを感じさせるこの詩の流れです。解けるまでの一歩前。佳作までの一歩前で。


中也さん「宇宙の誕生もこの世界の成り立ちも知らない僕は、ただ祈ることしか出来ないでいる。」 6/4

この詩は読み手にとって、最後の注釈こそポイントになるでしょう。ハーマイオニーの登場は個性的ですが、大勢にそれほど関与しないと見ていいでしょう。末期ガンの友人娘さんこそ、この詩の主題です。それを念頭に置くと…、冒頭から「クジラの形」の連(この詩の大部分)までをどう見るかなんです。一見、この部分は現実風景にも読める。しかし娘さんは自宅療養している。するとこれは幻想。してみると、これは“積み重ねられた日常に強く裏打ちされた幻想”とも言えるのです。この発話主体は学校教師で、しかも病気の娘さんの担任である、とも想像は伸びてゆくのです。そう読むと、これは痛々しくも情の込められたものであることに気づかされるのです。少し細かい点に触れると、3連目、ほぼ同状態の二者が比喩関係にあるのは不自然。「~のような」はカットでいいでしょう。
逆に「君の/血管の透けて見える/細くて白い手」―よく、こういう細かい描写に気づきましたよねえ。女性の色の白さを表現するに、これ以上の言葉を僕は知りません。当然のフレーズ大賞です。僕のワーズ・フェチごころがズキズキ疼くのです。甘め佳作を。
最後は祈りです。現代医学の粋を、誠実を、そして奇跡を―。


沢口リリキさん「投影の楽園」 6/4

リリキさんのいわゆる“海もの”の再来です、今回の目玉は「投影」という言葉にありそうです。ややメカニカルで詩に乗りにくい(乗っても叙情系より抽象系に似合いそうな)言葉を、どう料理しているか?興味津々です。前半「太陽の…」「沈黙」としたところがユニークでありおもしろいです。5連はこれからの季節の予感、期待を感じさせるものです。さて、「投影」に関して言えば、6連目から始まる後半です。およそ海なり山なりの景色という対象について、人間はひたすら受ける側にまわる。リリキさんがこの詩で試みようとしているのは(あくまで推測ですが)、受けるばかりではない。自分に確固とした景色≒楽園の概念がある。それは「意識の海原」「楽園はいつでも/自分の内側にあり」等に感じられるのです。それを求めてゆく、発信してゆく。外部に、海と空という環境に。それが広義の「投影」であると想像されるのです。すなわち、リリキさんにあっては、自然という対象物は自己との相互作用の中に存在しているのではないか、と思えるのです。行が進むにつれ、リリキさんのニーズと自然のサプライが一致したことを匂わせて終わっています。
それは会心の一瞬でもあったでしょう。佳作です。


つづく。
 

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